2025年6月28日土曜日

働きながら大学院に戻った感想 一週目


さて、今週からフルタイムで働きながらフルタイムで大学院生をするというちょっと無理なスケジュールが始まったので印象を書いておこうと思う。会社からの大きな理解を得て仕事に支障がないように調整して大学院に行っている事とフルタイムで働いている人向けの修士のプログラムという事もあり、少し特殊な状況であることは一応書いておきたい。夏学期から始まり夏学期で終わるプログラムで27人のクラスの仕組みを取るStanford Medicineのプログラムに所属している。


クラスメート

クラスメートは本当多様でスタンフォードの医学部に通いながらギャップイヤーでこのプログラムに通っている人もいれば、医師かつコンサルティングファームのパートナーとして働きながらテキサスから授業のために通ってくる人もいれば、オーストラリアから授業のために往復するクラスメートもいる。医療系に特化したプログラムなのでその中での多様性という縛りはありながらもとても多様性を感じてかなり面白い。日本人自分だけで、シンガポール人は二人、韓国人は二人いる事を考えるともっと居ても良いんじゃないかなと思う。


久しぶりの学校

写真も貼ったけれど、キャンパスがきれいだし、雰囲気も良くいるだけでわくわくしている。大学と言う場所が好きという理由もあるとは思うけれど、良い機会に恵まれたなと一人でニコニコしながらキャンパスを散歩してしまった。


授業

内容が分からないという事は大きくなくて、一個だけ専門用語の理解が間違っているものがあったくらいで概ね想定の範囲内。これは今まで色々な機関で教育を受けてきたこともあると思う。上記に日本人も増えたら良いのにと思うものの、正直英語も勉強したいですというような人が来ても難しいだろうなとは思う。また、まだ始まったばかりではあるものの、とても楽しく毎回かなり学びがあると感じていて、特に統計の授業をこれほど面白いと思うとは想像していなかった。これはスタンフォード大学に質の高い講師が集まっている事に加えて自分の姿勢もあるんじゃないかなと思ったりした。10年前にMBAに行った時は斜に構えている面が結構あって、今は何でも役に立つ側面があるはずだという思いと自分を良く見せようとする必要はないというスタンスが非常に助けになっている。

2025年5月18日日曜日

海外就職インタビュー0053 公認会計士からスイスMBA留学し、経営幹部育成プログラムとしてスイスで就職

おしり探偵の小学生からの人気を実感したKeniです。さて、今回は公認会計士になった後日本でキャリアを積み、スイスへの留学を経て経営幹部育成プログラムの一環でスイスで働く方の紹介です。MBA卒業後の就職活動も15ポジション程度にしか応募してなく準備や評価されるキャリアだった事が伺えます。

高校~大学時代

  • 東京の中高に通い、帰国子女が多い環境で英語にコンプレックスを感じながらも、親が会計士として海外経験をしていたことから「いつか海外で働きたい」と考えていた
  • 東京の国立大学・経済学部で学び、公認会計士試験に力を入れて勉強し、4年次の12月に合格
  • 合格後は少し就職活動を行いつつも、最終的にビッグフォーの監査法人へ就職


監査法人→FAS→MBA留学

  • 監査法人で約5年勤めた後、FAS(Financial Advisory Services)へ転職し3年在籍
  • 英語は主に読み書きが中心だったが、ファイナンスのスキルを重ねるうちに欧州の1年制MBA留学を決意
  • 子どもが生後半年のタイミングで家族とスイスへ渡り、最もつらい1年と感じるほど苦労しながらも無事修了


就職活動とリーダーシップデベロップメントプログラム

  • MBA卒業後は、ヨーロッパ全土の事業会社でファイナンス職を探し、15ポジションにも満たない応募の中で新設のLeadership Development Programに採用される
  • 1年日本で働いた後、欧州の都市へ拠点を移し、ファイナンス業務に従事
  • 属人的な業務をシステム化しながら世界規模の影響をもつ仕事を進めており、裁量の大きさとやりがいを実感


アドバイス

  • ファイナンス職なら目の前の仕事で「一番を目指す」姿勢を持つと、将来のキャリアにも直結する
  • 日本で働くほうが理解されやすく楽だが、「周囲が理解しなくても自分が本当に楽しいと思う道」を選ぶことが大切
  • 英語に苦手意識があっても、業務を通じて徐々にスキルを積み上げれば、留学や海外就職も十分可能になる
  • 家族と海外生活を両立するなら、家族のサポートや事前の準備が不可欠だが、それを乗り越えるだけの価値があると感じている

2025年5月17日土曜日

海外就職インタビュー0052 銀行、コンサルからの米国帯同し修士からの米国就職へ

最近64GBのラップトップに換えたら重くて少し困っているKeniです。ラップトップ二台持ってる事が多いんですよね。さて、今回の方ですが、多様な経験を積みビジネスパーソンとして実力はある中、配偶者の方の転勤に着いていく転機も大学院を経由する事でうまくステップに使い成長し続けている方のご紹介です。配偶者帯同でも大学院の学びなおしを経由する事で難しいと言われたビザ取得の米国就活を達成している方です。帯同してきている方へ勇気を与えるだろうなと思っているので、該当しそうな方はぜひ!

高校~大学準備期

  • 日本生まれ・香港と日本のハーフ。英語で授業を行う県立高校で学び、語学が身近な環境。
  • 音大志望だったが Hotel Rwanda の授業で「世界を知りたい」と方針転換。
  • 海外大学進学準備校で米国大の単位を取りつつ渡米を計画。


米国大学(学部)

  • 提携先の米国田舎リベラルアーツ大へ入学し International Business + Piano のダブルメジャー。
  • 簿記が面白く会計専攻へ変更。NYCを訪れ都市環境に魅かれ、マンハッタンの大学へ編入し会計学で卒業。


日本帰国と邦銀勤務

  • 東日本大震災を機に「日本に貢献したい」とボスキャリで邦銀内定、日本へ帰国。
  • 東京支店で法人営業→システム部門異動(米国システム導入を日本側で担当)。顧客対応を求め転職を決意。


FAS時代(シンガポール駐在含む)

  • 社会人4年目でFASへ転職。多様なプロジェクトに携わり、1年シンガポール常駐。英語での業務自信を獲得。
  • 香港事業会社(経営企画)
  • 生まれ故郷の香港で働きたい+事業会社志向から、香港HQメーカーへ転職(経営企画/IR/Treasury/JV対応)。約2年在籍。


米国移住準備と修士取得

  • 米国駐在員だった配偶者と結婚を見越して、米国での滞在ステータスのため&その後を見据えて会計×データ分析のSTEM修士を取得
  • OPT取得を狙いMBAではなく専門修士を選び最小投資で卒業。


現職

  • 修士後、米国の税務アドバイザリーファームに入社し現在に至る。


アドバイス

  • 準備は3割で飛び込むくらいが丁度良い。情報過多で動けなくなるより行動を優先。
  • 修士など計画的準備をすれば、一般的な経歴でも米国就労ビザスポンサー獲得は再現可能。
  • 配偶者帯同でも学び直しと専門性でキャリアを築く道はある。

2025年5月12日月曜日

海外就職インタビュー 50人インタビューした時点でのパターンまとめ仮説

 今日野良犬に襲われかかったKeniです。いやー、Palo Altoにも野良犬っているんですね。さて、タイトルの通り海外就職のインタビューを50人行ったところで現時点版でのパターン分けとそれぞれの鍵となる要素をまとめてみようかなと思っています。もちろんパターンに当てはまらない人も出てくるとは思いますし、切り口も複数あると思うのですが一旦このような形で考えてみました。


パターン一覧

教育起点

  • 1. 学位取得新卒型:国内就業経験がないまま学士・修士卒後に海外で初職を得る
  • 2. 国内就業→大学院留学型:日本(または他国)で数年勤務後、海外修士・MBAへ進学し現地就職でキャリアを加速
  • 3. 研究・アカデミア型:海外の博士課程・ポスドク・研究機関でテニュアや企業R&Dポストを獲得
企業起点
  • 4. コーポレート異動・駐在型:国内勤務から海外拠点へ社内異動/駐在し、その後現地採用や他社に転じる
資格・制度起点
  • 5. 専門資格・ポイント制型:USCPA・弁護士・看護師など国際資格や移民ポイント制度を活用して海外就職・移住
公共・開発起点
  • 6. 国際協力・公共セクター型:UN機関・JICA・NGO・JPOなどでフィールド経験を積みつつ世界各地をローテーション
自営起点
  • 7. 起業・フリーランス型:日本発起業 → 海外子会社や投資家ビザで移転や
  • 8. 現地起業(移住後ゼロから法人設立)/デジタルノマドとして活動
ライフイベント起点
  • 9. 家族・ライフイベント型:配偶者帯同ビザや家族の駐在・結婚を機に現地でキャリアを構築

それぞれのパターンごとに細かく違う要素があるとは思いますが、共通して効いたこととしては
  1. ソーシャルキャピタルを積む
  2. 分かりやすい職務実績や資格を得る
  3. タイミングを逃さない
  4. 語学(できて最低限だと思うので細かくは触れません)

海外での仕事を掴むために、方向性としては a) より多くの機会に触れる b) 各機会での確度を挙げる事が大事だと思っています。

ソーシャルキャピタルを積む
ソーシャルキャピタルとは人々が持つ人間関係や信頼関係が、社会や組織の効率性を高めるための資源として捉えられる概念なのですが、自分という人を知ってもらってその信頼や関係性をもとにそこから仕事を見つけていく事です。80%の仕事は公開されずに決まるといった記事にもあったりするように、公開マーケットで戦うのではなくその前に勝負をつける事が大切だと思います。こちらは a) b)両方に効くと思います。

分かりやすい職務実績や資格を得る
採用側からすると自分の知らない国の知らない学校の知らない企業で働いてきた人は共通点が少なく会う事すら躊躇すると思います。そこで、例えば知っている現地の学校を卒業していたり、グローバルカンパニーで働いた経験があったり、想像できる経験があったり(米軍基地でのITの管理等)、分かりやすい資格(USCPA等)を持っている事でそのハードルを下げて仕事を見つける事につながると思います。これは日本にいても十分に可能なのでより良い選択をして積み重ねる事が大事で、b)の確度を上げる方に効くでしょう。

タイミングを逃さない
特定の業務を拡大しているタイミングがあったり、例えば日本企業が海外拡大しているタイミングをうまく使って飛び込めた人がチャンスをつかめているように思いました。狙っている機会が希少な可能性が高いのでタイミングを見て飛び込むことが大事です。

2025年5月10日土曜日

海外就職インタビュー0051 日本から米国オンライン留学から米国での通学に切り替え米国就職

さて、今回は中国から日本に来た方がオンラインをうまく活用して節約して米国留学からの就職した例です。最近円安な事もあって、留学の費用が2000万円とかかかるとか言われたりしていますが、オンラインも可能なプログラムに日本から通ってから米国に引っ越し通学を開始するという組み合わせをする事で800万円程度とかなり節約できた方の例です。これくらいなら比較的現実的な人もいるのではないかと思います。とてもクリエイティブな方法で素晴らしいと思いました。

大学時代~日本への就職

  • 中国出身で、「日本語+機械工学」を中国で学ぶ
  • 高校時代は「第三言語があれば役立つかも」と漠然と考え日本語を選択
  • 卒業後、日本のメーカーが中国人新卒採用を行っていたため渡日


最初の転職~ソフトウェアエンジニアへシフト

  • 日本のメーカーにて地方勤務・機械系開発を1年半担当
  • 東京在住のパートナーと一緒に過ごすため、またソフトウェア開発に達成感を見いだし、都内のITコンサル企業へ(第二新卒枠)
  • 約4年勤務後、さらにIT企業へ転職しエンジニアとして専門性を深める
  • 将来的にメガIT企業(GAFA、アリババ等)を視野に入れたのが転職の大きな要因


オンラインCS修士とアメリカ留学

  • 情報系出身ではなかったため、コンピュータサイエンスを体系的に学ぶ必要を感じ、アメリカのCS修士をオンライン受講でスタート
  • 1年目は日本で働きながら単位を取得し、2年目に現地キャンパスへ移行して残りを履修+就職活動
  • STEM修士のOPT期間(3年)を活用し、2024年前後の厳しいジョブマーケットで就職先を確保
  • 実際には千社ほどに応募、面接は20社ほど。トリリンガルよりもエンジニアとしての実力を評価され、米国東海岸の企業に入社


現在の状況と今後の展望

  • 米国東海岸でソフトウェアエンジニアとして勤務中
  • H1Bビザへの切り替え、グリーンカード取得を視野に入れ、家族を呼び寄せてアメリカで暮らす計画
  • 日本の3社での経験はそれぞれ社風が異なり、同期がいる点が助けになったと感じる


大学院コスト・留学費用

  • オンライン+現地キャンパスの2年で総額約800万円で全て現地で学生として過ごすより節約できた
  • 1年目オンラインは約50万円ほど、2年目に米国へ引っ越した際に授業料や生活費も含めて800万円程度

2025年5月5日月曜日

海外就職インタビュー0050 エンジニアとして日本のメーカーで日米勤務→コンサル→再度米国へ

最近家の電球をスマート化しているKeniです。さて、今回はエンジニアの方のキャリアの紹介です。日本で働き始めたエンジニアの方として海外で働く道を自分に合う方法で戦略的に築いてきた印象を受けていて、特に途中二度目の海外勤務の際に一年半かけてゆっくりと希望の仕事を選んだことが印象的でした。おそらくですが、そのタイミングでの仕事もうまく言っていたからこそゆっくり選べたのではないでしょうか。またご本人もおっしゃっていましたが、このパスはある程度再現性があると私も感じました。

高校~大学時代

  • 二歳まで親のポスドクに同行し海外に住んでいたが、記憶に残る海外経験はほぼない
  • 高校までは日本で過ごし、大学は地元の旧帝大で情報系修士を修了


最初のキャリアと海外プロジェクト

  • 地元のグローバルメーカーにソフトウェア開発者として就職
  • インド・東欧などグローバルな案件で英語を実践的に使う場面が多く、プロジェクト自体は大変だったが英語力と多様な環境で戦う力が鍛えられた


米国西海岸への出向

  • 7~8年働いた後、買収先の海外企業へ出向を希望し、米国西海岸でソフトウェアエンジニアとして数年勤務
  • プロジェクト経験が生きたため、現地での業務はそこまで苦労せず適応
  • 当初は子どもが生まれる頃にアメリカにいればラッキーくらいの感覚だったが、西海岸が性に合うと感じるようになり「いずれアメリカに戻りたい」と思う


帰国とコンサルファームへの転職

  • 会社の事情で帰国することになり、日米両方で就職活動を行う
  • 将来的に再度の渡米を見据え、知名度のあるコンサルティングファームにマネージャーとして転職
  • コンサル企業で数年働いた後、再び海外就職を検討。LinkedInやビズリーチのエージェントを活用し、海外ポジションを1年半ほどかけて探す
  • ソフトウェア関連でグローバル展開をリードする企業に需要があると判断し、最終的に複数の国からオファーを獲得。再度アメリカ西海岸を選び、条件にも満足できる形で渡米に成功


現在と今後の展望

  • 米国の政治・社会状況が変化しており、子どもの教育を含めどこで暮らすか迷い中
  • 小中学校の教育はアメリカが良いとも考えていて、タイミングや家族の状況によって動きを決めたい


アドバイス

  • グローバル企業のエンジニアとして実務経験を積めば、英語+開発スキルがあれば海外勤務は十分再現可能。開発者+英語を含む海外経験はニーズがある割に希少なので、ソフトウェア以外のエンジニアでも確率は下がるが実現可能ではあると思われる。
  • コンサルファームなどを挟んでブランド価値や経験を高めるのも有効
  • キャリアは意図的にデザインできる部分が多く、ソフトウェアエンジニアの人にとって海外を目指すルートはおすすめ
  • 日系企業の海外出向だけでなく、自身に合ったガバナンスと文化を持つ企業を選ぶのが重要だと感じている

2025年5月3日土曜日

海外就職インタビュー0049 日本で 3 社勤務 → マレーシアの日系工場へ海外転職

人生初インジェラを食べたKeniです。さて、今回は日本で三社の経験を積んでからマレーシアに転職した方の紹介です。私が住んでたシンガポールの隣という事でイメージが湧きやすくお話を聞いていても楽しかったです。大学の一年間の交換留学後も海外に関わる仕事を続ける事で言語やコミュニケーションのレベルを上げ続けた事としっかり管理職を経験してきたことと工場がどのような場所かしっかり理解しているという事がマレーシア就職のきっかけになったように思いました。

ファクトボックス(At‑a‑Glance)

項目内容
現在地マレーシア(都市名:要確認)
ビザ労働用のビザ
業界 / 職種製造業・生産/輸入管理(詳細要確認)
海外経験米国コミュニティカレッジ 1 年、マレーシア勤務 1 年
学歴東京の大学(クリエイティブ系ゼミ) + 米国 CC 編入(1 年)

タイムライン & 主な転機

年代出来事メモ
大学 3 年私費で米国西海岸 CC に 1 年休学編入転機① : 英語強化 & 海外視野拡大
卒業後日本で就活 → 流通業 (1 社目) 入社
1 社目(5 年)輸入部門に異動(最終 1.5 年)英語使用機会増
2 社目(4.5 年)生産管理・中国/ベトナム工場と折衝管理スキル取得
3 社目(6 年)管理職としてチーム統括 → 多忙で燃え尽き転機② : ワークライフバランス見直し
海外転職活動エージェント 2‑3 社に連絡、東南アジアに絞る暖かさ & 日本帰国しやすさが軸
渡航マレーシアの日系工場へ転職転機③ : 海外就職実現
現在在職 1 年、人事総務担当ポテンシャル採用と認識

海外転職の決め手 & 所感

  • 環境イメージの共有 : これまでの海外経験から現地での働き方を説明でき、採用側もリスクを低く感じた。

  • 英語力 : 留学 + 業務で培い、業務遂行に支障なし。

  • キャリアのリセット : 職種変更によるステップバックはあるが、長期的なステップアップを狙う。

  • 生活面 : インフラは概ね満足。車通勤がストレス源。


Success Drivers(本人が語った成功要因)

  1. 実体験に基づく環境理解

  2. 英語運用力の維持

  3. 過去のマネジメント経験のアピール

  4. エージェントを複数活用した比較検討


もし大学時代に戻れたら?

  • 中国語を履修 : マレーシア勤務で役立つと感じたため。

  • 学業への注力 : もっと専門知識を深めておけば良かった。

2025年4月28日月曜日

海外就職インタビュー0048 海外就職インタビュー0048 第二新卒でインド転職→コロナ帰国→欧州大学院からの就職 多段ロケット型キャリア

今日は子どもの自転車を組み立てたKeniです。アメリカってDYIが前提になっているところありますよね。さて、今日はロケットが多段でブーストしていくようにキャリアをブーストしていた方の話でした。色々な環境でも仕事を見つけられたりしてきているのはきっと以前からの積み上げがあった事なんじゃないかなと思っています。また、少し蛇足ですが、欧州の大学院の学費安いですね。興味ある人は検討しても良いかもしれないですね。

高校~大学時代

  • 高校までは日本育ちで海外経験はほぼなし。漠然と「海外に行ってみたい」「英語を話してみたい」という思いはあった
  • 東京の国立大学に入学し、ヒンディー語を専攻。1年間のインド留学を経験し、インドのフレキシブルで明るい雰囲気が合っていると感じた
  • 大学時代は語学漬けの日々で、アルバイト代を貯めてインドへ留学。現地で沈没旅行者を見て「手に職をつけよう」と考え、経済的に安定したい意欲が強まった


日本の企業キャリア

  • 卒業後は新卒一括採用で海外展開するメーカーに就職。将来的な駐在を期待していたが、実際は国内中心の管理会計業務
  • 過酷な労働環境により数年で転職を決意。「日本で働くのは嫌だ」と思い、第二新卒枠でインドの日系企業に転職
  • インド企業では制度会計や総務など多岐にわたる業務を担当。業務拡大により駐在員扱いとなり所得が上がったが、コロナの影響で帰国命令が出て日本からリモート勤務。その後ストレスで休職し、本社に復帰
  • 結婚後、パートナーの欧州駐在に合わせて退職・帯同を決断


USCPA

  • インド現地採用はリスクがあると感じ、単位を揃えてUSCPAに挑戦。インド時代に勉強、受験を始め、日本帰国後に全科目合格


駐在妻として

  • ヨーロッパに帯同した際、「働き方を学び直したい」と社会学の大学院に2年通学。学費は二年間で約3000ユーロ
  • 日系企業で問題解決に奔走してきたが、学問として俯瞰する時間を得たのは大きな財産
  • 2年間正社員で働かないことに伴うアイデンティティの揺らぎや経済的な不安を感じつつ、修了後はヨーロッパで仕事探しを実行。フルリモートや社内異動が可能な会社を3社ほど選び、全て内定を獲得


アドバイス

  • ビザ関連の情報は早めに理解しておくべき。海外で働くには、言語専攻だけではなく差別化できる専門性や資格が役立つ
  • ロケーションが海外でも、日系企業なら日本文化や働き方に近い面があることを理解しておく
  • 自分の場合、USCPAや多面的な経験が「海外でも採用される人材」になるうえで大きく貢献したと感じる

2025年4月27日日曜日

海外就職インタビュー0047 IT及びPMとして経験を積み、10年以上GAFAに勤めシンガポールへ

 高校~大学時代

  • 東京出身だが、地方にも引っ越しを重ねて育つ。関東の高校で英語をある程度学ぶが、1か月ほどの留学経験がある程度の一般的な高校生活。
  • ICUの心理学を専攻し、在学中に1年間の交換留学を経験。最初の1年半はESL必修で英語力を強化し、その後本格的に心理学を学ぶ。
  • 卒業時にアメリカの大学院を目指し社会福祉のインターンを行ったが、病気のため一度就職する道を選ぶ。


就職とキャリアの変遷

  • 新卒時はあまり積極的に就活をせず、IT系のLocalization翻訳の仕事でフルタイム勤務を開始。翻訳業務から始めて次第にPM(プロジェクトマネージャー)へ役割が変わる。海外勤務を希望するも異動は叶わず。
  • 約8年後に外資メーカーのPMとして転職するが、1年後にリーマンショックで日本撤退が決まり失職。次にIT系企業のPMとして日本で働きながら2人目の子どもを出産。製品への興味が薄れ、転職を再検討。
  • GAFAの日本オフィスで本社との橋渡しを担うポジションに就き、配偶者(外国人)と子どもの英語教育ニーズからシンガポールへの転籍を実現。APAC全体を担当する業務とタイミングが合い、スムーズに転勤できた。
  • GAFAでの勤務は12年目を迎え、数年ごとに仕事内容が変化し飽きずに仕事を続けている。


困難さ

  • シンガポールでの勤務や生活面では大きなギャップを感じず、「こんなに住みやすい外国があるのか」と思うほど楽に馴染むことができた。


アドバイス

  • 35歳を過ぎても、子どもがいても、転職できないと決めつける必要はない。
  • 今いる場所で「楽しいこと」を見つける姿勢が大切。例えば、東南アジア各国で行われるハーフマラソン大会に参加するなど、積極的に新しい経験を取り入れることで暮らしや仕事にメリハリを生み出す。

2025年4月26日土曜日

海外就職インタビュー0046 米国大学院から就活の再チャレンジからGCへ

Trader Joe'sのお好み焼きと鯛焼きが気になっているKeniです。ちょっとおいしそうですよね。さて、今回は日本の大学に在学中に米国へ編入しそこから留学、学部卒での米国就職の壁にぶつかり、日本に帰ったあと働いてお金を貯めて米国大学院に入り、そのまま米国に残っている方です。最初の在学中に米国に編入する意思決定も日本に帰ってからお金を貯め大学院に再チャレンジする意思の強さも将来海外で働きたい人にとってかなり学ぶところがあると思います。また、リファラルと自分としてのブランドの大切さを強調していて、大学院というプラットフォームを使って自分自身のブランドをゼロから築いていく事の大切さも本当同意します。聞いていて自分自身も頑張っていかないとなと思えるインタビューでした。

高校~大学初期

  • 地方都市の高校出身で、東京の大学への進学を望んだものの縁がなく、地元大学に入学。
  • 小学生時代から英語が好きで、ラジオ英語などで英語力を伸ばす。
  • 大学2年修了後、休学扱いでアメリカの小規模リベラルアーツ大学へ編入し、計5年かけて学部を卒業。


大学卒業後~大学院留学への道

  • 卒業後、OPTでの就職がうまくいかず、いったん帰国。「専門知識がないと難しい」と痛感。
  • 1年間、日本で英語講師の仕事をしながらGRE準備を進め、再びアメリカ大学院に合格。
  • 大学院を2年で修了し、卒業直後に再度アメリカで就職活動。


ビッグフォー就職とビザ・GC取得

  • 最初は給与が半分で将来性も薄いオファーしか得られなかったが、大学院がある都市のビッグフォー(コンサル)からオファーが届く。
  • 過去にビザ発行実績がある企業だったことも安心材料となり、ここで初めてアメリカで仕事を得る。
  • 馬車馬のように働きつつH1Bビザとグリーンカード(GC)を同社のサポートで取得。GC申請では「弁護士費用を負担する代わりにGC取得後2年勤務」ルールがあり、その期間はハードワークを続ける。
  • 約7年半勤務後に転職し、現在4社目で活躍中。


アドバイス

  • 自己ブランディング: 日本人、特に日本人女性は自身の強みや実績をアピールするのが苦手になりがち。国際的な場で埋もれないためには、自分をどう売り込むかを意識すべき。
  • 同僚や上司に客観的フィードバックをもらうのも有効。
  • 学業以外の経験: アメリカでの就職・転職はネットワークからの直接レファラルが最も有効。在学中はTA(ティーチングアシスタント)や学内アルバイトなど、講義以外での活動が将来レファラルを得る大きな助けになる。

2025年4月21日月曜日

海外就職インタビュー0045 社内公募6年目でMBA留学し、駐在からの現地採用へ

Costcoの牛タンが好きになってきているKeniです。さて、今回は6年越しで社費MBAの選考に受かる継続性と心の強さを持った方の紹介です。MBAに留学後は駐在を経験する中で家族ができてライフステージが変化して会社と交渉して現地採用に切り替え今も働いてらっしゃいます。給与が下がるなど一定程度デメリットはあったようですが、駐在の方に参考になる内容だと思います。今後も応援したいですね。

日本育ちと大学時代

  • 中高一貫の東京女子高で、英語教育が厳しい環境に適応し、受験に成功。慶應大学経済学部に進学。
  • 入学後、周囲の帰国子女や家柄の良い同級生、東大落ち組との比較で初めて挫折を感じた。
  • 大学3年のときに3週間アメリカへ短期留学し、海外生活への憧れが強くなる。


新卒就職とエネルギー系企業勤務

  • 「グローバルに繋がる仕事がいい」と思いエネルギー系企業に入社したが、実際は国内業務が中心。
  • 社内MBAプログラムに挑戦するも、最初は落選。一年目ダメ、最終的に6回目で合格し、米国MBA留学が実現。


MBA留学と帰国後の駐在

  • MBA留学時は最初の3か月、授業もクラスメイトの発言も理解できず泣くほど苦労。
  • 3か月頑張るとなんとか乗り越え、ヨーロッパへの交換留学も含め、留学生活を満喫。
  • 卒業後に帰国し再び同社で勤務。1年後、アメリカ西海岸への駐在が決定(コロナで渡米が遅延したが最終的に実現)。
  • 駐在中にアメリカ人の夫と出会い、結婚。駐在期間に第一子が誕生し、3か月の育休を取得。第二子妊娠直前に帰任命令が出るが、現地採用への切り替えを選択。


現地採用と家族の選択

  • 日本企業を退職し、アメリカ法人に新ポジションを作ってもらう形で現地採用に移行。過去事例がなかったが、上司に少しずつ相談し実現。
  • 給与は下がったものの、働きやすさのメリットを優先。
  • ワークライフバランスには満足しており、しばらくは子育てを中心にしつつ、仕事を続ける方針。


海外就職・留学へのアドバイス

  • 行動第一: 海外で働きたいなら英語学習や留学経験者の話を聞くなど、積極的に動くことが大事。
  • 社内政治: 会社の制度を活用したいなら、自分の希望を周囲に知ってもらう努力が必要。
  • 運と人脈の相乗効果: MBA留学6回目の挑戦中に部門長が社長に昇進するなど、運も味方に。自身を理解してくれる人が意志決定者になるのは大きい。

2025年4月20日日曜日

海外就職インタビュー0044 地方の高校からドイツに語学留学、大学からの現地就職

さて、今回はなんとドイツで語学学校から大学卒業し、そのままドイツに就職した方の紹介です。一つ一つのステップで想像以上の苦労もあったと思うのですが、説明して頂く中で本院の強さを感じました。途中専攻を変えてかなりチャレンジもあったり就職活動もおそらく結構大変だったと思うのですが、私自身が学生時代を東北地方で過ごした事もあり、これからも応援したくなるようなとても素敵な方からのお話が聞けて良かったです。

また、今後海外に行きたい高校生とかもしくは大学生にとっても参考になるのではないでしょうか。費用面でアメリカ等はかなり難しくなっていますが、その他の選択肢として参考になると思います。ただ、当然かなりの苦労はあると思うのでしっかり調べる事をお勧めします。

東北の田舎町で高校まで

  • 塾もマクドナルドもない環境で育ち、中学時代の2~3週間の交換留学以外に海外経験はほぼゼロ。
  • 高校在学中に「海外の大学へ行きたい」と思いつつ、費用面からアメリカは難しいと判断。学費が安いドイツを選択肢に入れる。
  • 大学入学資格のため日本の大学を一度受験し合格。高校卒業後、渡独して1年間語学学校でドイツ語を学習し、その後ドイツの大学に正規入学。


大学入学当初: 言語学を専攻

  • 1年目の後半に教授と面談し、「将来、素晴らしい言語学者になるね」と言われるが、「言語学だけでは就職が狭いかも…」と危機感を抱く。


アルバイトが転機: IT企業勤務の日本人との出会い

  • ベビーシッターのアルバイト先の親がドイツのIT企業で活躍しており、衝撃を受ける。
  • 「こんなキャリアもあるのか」と憧れを持ち、文系専攻では厳しいと感じて理系(コンピュータサイエンス)に転向。


理系転向と大学卒業

  • 数学・プログラミングに苦労し、YouTube授業を活用して遅くまで勉強。
  • 日本の受験勉強の下地もあり、学部を次席で卒業。
  • ドイツ語と英語の両方が母語ではないため大変だったが、飛び込んだ環境で着実に乗り越えた。


ドイツでの就職活動

  • 卒業前はバーンアウト気味で「この会社に受かったらドイツに残ろう」と腹をくくる。
  • ジュニア枠に応募。コーディング試験なし、成績と面接評価で合否が決まり、数十倍の倍率から内定獲得。
  • そのままドイツのIT企業にITコンサルタントとして就職。


生活面と今後の選択肢

  • 街や言語も未知だらけだったが、「飛び込んでからどうにかする」精神で乗り越え。
  • アメリカやシンガポール、日本を含め全世界を対象に異動を考えている
  • 地元を出て直接ドイツへ来たため、「日本をあまり知らない」という思いもあり、今後の進路を模索。


費用とアドバイス

  • 「海外留学=大金が必要」と思いがちだが、ドイツのように学費が無料or安価な国もある。
  • 奨学金や国費留学制度を調べるなど、情報収集を徹底すれば道が開ける。
  • やりたいことがあれば「完璧に準備が整うまで待たず、まず行動する」姿勢が大切。

2025年4月19日土曜日

海外就職インタビュー0043 医療系専門職から国内でピボット転職からのシンガポール移住

カリフォルニアに住んでいても、アイスはやっぱりあずきバー派の Keni です。
今日は、医療系の専門職から国内でビジネス寄りの仕事にピボットし、そのまま同じ職種でシンガポールへ転職、そしてサクッと PR(永住権)を取得した方のご紹介です。就職活動は人との縁がきっかけとなり、勤務中に英語力や海外志向をアピールできたことでシンガポールへの転職もスムーズに進んだなど、学べる点がたくさんあります。

ご存じのとおり近年シンガポールの永住権取得は特に難しくなっていますが、半年で取得できたのは、とても珍しいと思います。さらに「英語だけでなくローカル言語も学ぶべきだ」とおっしゃっており、私も強く同意します。私自身、中国語をある程度習得しているのですが、これはシンガポールはもちろん、カリフォルニアでも大いに役立っています。

最後に、お子さんが三人いらっしゃるとの事で、子ども三人は本当無条件で尊敬するので、すごいことだなと思います。

海外移住・就職のきっかけ

  • 都内の国立大学院修士課程を修了後、医療系国家資格を活かして循環器専門病院に就職。
  • 大学院で治験業務に関わり、英語を使う仕事に憧れを抱きつつも、当時は「海外で働く」という意識は薄かった。
  • 病院での臨床と煩雑な事務手続き、低い給与(手取り19万円以下)に不満を覚えはじめる。
  • 病院が治験受託会社を設立する計画を進め、内資系製薬会社へ派遣CRAとして出向し、英語を使う業務を楽しみながらも社内政治やパワハラに直面。
  • プロジェクト終了を機に退職し、外資系CRO(Contract Research Organization)へ転職してCRA業務を続行。この外資系での経験がキャリアの礎となり、上司からチームマネジメントや女性のライフイベントとの両立など多くを学んだ。
  • 20代後半になり「人生このままで良いのか」と悩み始めた頃、女性だけの飲み会で別の外資系CRO人事担当者と出会い、英語ができるPMポジションのカジュアル面談が急遽設定。カジュアルな服装のまま臨んだ英語面接に合格し、現職PMとして働き始める。そこで夫と出会い、社内恋愛を経て結婚。

事前準備や苦労した点

  • 結婚後はしばらく東京で生活し、第一子・第二子を出産。コロナ禍に出産を経験したことで、日本政府や社会の非科学的な動きを痛感し、子供たちの将来や語学教育の面でシンガポール移住を決意。
  • ペット(犬2匹)の輸出入手続き、持ち家の賃貸化、区役所手続き、コロナ関連の入国制限対応、小児義務ワクチン等、引っ越し準備が多岐にわたる。
  • 第三子妊娠が判明し、社内移籍を断念していったん退職。夫のスポンサーでシンガポールのPRビザを6か月で取得できたが、出産直後の新生児育児と新生活が重なり大変だった。

実際の仕事探し・キャリア形成

  • シンガポール移住後、第三子が4か月のタイミングで、以前の会社の人事・上司に連絡を取り、シンガポールオフィスのマネージャーを紹介してもらう。
  • 東京勤務時代に積極的に英語力・海外志向を周囲に示していたことや、リファレンスを書いてもらえたことでスムーズにシンガポール勤務を決定。
  • PRビザ取得時期と雇用オファーが重なり、ビザ面で問題なく同じPMポジションで復帰。夫も同じ会社勤務だったが、現在はそれぞれ転職済み。

現地の職場文化や習慣

  • 「時間遵守」の感覚が日本と大きく違う。シンガポールでは5分の遅れは遅れとみなされないなど、時間に対する緩さがある。
  • オフィスカジュアルやタトゥーへの抵抗感が日本より少なく、服装や見た目の自由度が高いことに初めは驚いた。

生活面でのギャップや驚き

  • 中華系シンガポール人が多い環境では、食べ残しをすぐ捨てる文化が根付いており、日本人として「食べ物を粗末にしない」教育とのギャップを感じる。
  • 高温多湿の国なので衛生面で仕方ない面もあるが、慣れるには時間がかかる。

英語(または現地言語)の習得方法

  • 日本で働いていた頃から海外ニュースの視聴やラジオ、子供向け英語絵本の読み聞かせを習慣化。
  • シンガポール移住後も同様に継続。業務で日常的に英語を使うため、特別な新しい取り組みはせず、仕事を通じて自然にブラッシュアップ。

今後のキャリア・目標

  • 現在3人の子供を育てており、「これ以上ポジションを上げたい」意欲が湧かない状態。上司からコンフォートゾーンを出て挑戦を勧められるも、育児のウエイトが大きい。
  • 数年は育児を優先し、長期的視点で拠点や教育環境を考え直す予定。将来、子供たちの教育拠点をどこに置くかを模索中。

海外就職を目指す人へのアドバイス

  • 海外移住は華やかに見えるが、文化も言語も異なる場所でゼロから築き上げる大変さがある。
  • ビザのステイタス次第では「外国人として生きる」厳しさも。
  • 明確な目標・目的を持って行動すべし。辛い場面や軌道修正が必要な時、「初心に立ち返る」助けになる。
  • 英語+現地ローカル言語の習得が望ましい。生活面でも仕事面でも圧倒的に生きやすくなる。

2025年4月13日日曜日

海外就職インタビュー0042 日本で勤務PhD取得後、商社で全世界でビジネスをした後、米国で起業

さて、この週末の三本更新の隠れたテーマは起業だったのですが、今回も研究職→商社→米国で起業という面白いキャリアの人の紹介です。この方も昔からの友人なのですが、出会った時はまだ研究職で気が付いたらとても面白そうな人生になっていて今回は話を聞きました。また、このように文章にしてみると印象としてはとてもキラキラしてそうなキャリアな気がするのですが、一個一個の意思決定はとても論理的で一個一個しっかりと目の前の仕事に取り組んでキャリアを積み上げてきたんだなという印象を持ちました。加えてPhDの有用性についても実体験を持って聞けて、自分自身も修士二つ目取り終わったら、PhDも視野に入れたいなと再認識させられました。最後にこの方のアドバイスにもあるように米国での就業は困難な面もあるとは理解しつつ最終的には本人の意思次第なのも同意します。

幼少期と多国での生活背景

  • 親の仕事の都合でアメリカ生まれ。幼少期を数年アメリカで過ごす。
  • また幼稚園時代に1年ほど韓国に滞在(ただし日本人幼稚園通いのため、主に日本語で生活)。
  • 日本へ戻ってからは名古屋・大阪・神奈川などに引っ越しが多く、国内各地を転々とする。

 

大学・大学院と最初のキャリア(研究職)

  • 東京の国立大学・薬学部へ進学し、修士まで同じ大学で修了。卒業後は大手メーカーの研究職として約10年勤務。その間、会社の制度を活用してPhD取得のチャンスを得る。
  • 修士終了後すぐに博士へ進む選択肢は、経済的理由で断念していたため、PhD取得は大きな収穫。
  • キャリア前半の5年間は自由度の高い基礎研究を行い、後半は研究結果が商品化される過程(技術営業など)を経験。
  • ビジネス面に興味が芽生えたタイミングで再び基礎研究に戻る人事異動があり、転職を検討し始める。


総合商社への転職とビジネス経験

  • ライフサイエンス寄りのビジネスと給与アップを目指し、コンサルティング・投資銀行なども検討する中、ライフサイエンス人材を募る総合商社に縁があり転職。
  • 転職後、約10年在籍しながら世界各国でM&A、新規事業開発、商材売買など多彩な経験を積む。
  • 研究者時代には得られなかったビジネス視点を習得。
  • 商社は専門家を含むチームビルディングがしやすい体制が整っており、実務を通じて着実にスキルが身に付く。
  • 約半分の期間は合弁会社立ち上げに携わり、自ら経営者ポジションで事業を進める。小規模企業を動かすノウハウを獲得。 起業とアメリカ西海岸でのベンチャー経営
  • 合弁会社の経営経験から「シードレベルで会社を作り上げられる」と自信を得て、最終的に独立・起業。
  • 現在はアメリカ西海岸に拠点を移し、自身のベンチャー企業を経営している。

 

海外に出たい人へのメッセージ

  •  PhDの価値: ライフサイエンス業界で人を巻き込みプロジェクトを進められたのは「PhDが強みになった」と実感。機会があるなら取得を検討してほしい。
  •  アメリカ就職への心構え: 周囲を見ていると日本に帰国する人も多いが、米国で働くかどうかは「本人の意志次第」と感じる。強い意志があれば道は開ける

海外就職インタビュー0041 大学・勤務共に日本から、香港のヘッジファンドで働き、経済的自由を得てシンガポールへ

さて、今回も昔からの友人なのですが、大学および最初の二社は日本で経験しヘッジファンドで成功したため経済的自由を得た方です。経済的自由を得てからはシンガポールで会社を作り、半分ほどの時間を自分にとって価値があると思う芸術等に時間を使う生活をしています。海外就職で括るには異例なのですが、本人曰く再現性はあると言っていて、ある程度は私も正しいと思います。ゴールを決めて調査をし、計画的に動く事で達成できるのですが、おそらくその一つ一つの精度がとても高い事と必要な研鑽を積む能力の高い事と意思決定の質が高い事が原因なのでしょう。自分が学生のうちのこういった話を聞いたら勇気付けられただろうなと思います。

 高校・大学時代

  • 地方のスポーツ強豪校に通学。海外経験は一切なし。
  • 大学から東京大学(経済学部)に入学し、卒業。
  • 学生時代は特に留学はせず、アルバイトで貯めたお金で毎月旅行。3年生の10月頃には就職活動を終え、一人旅を楽しむ。
  • 哲学やアートを趣味で勉強しており、自分の趣味を追求して哲学/アートの世界に行くか、楽しく自由でいい生活を送るためにビジネスの世界でお金を稼ぐか迷っていた
  • 哲学/アートの世界に行ってからビジネスに路線変更することは難しいものの、ビジネスから哲学/アートの道に転換することは人生経験を積むことでより魅力的な選択肢となることもあり、ビジネスの世界に最初に飛び込むことに決定


最初のキャリア:外資系コンサル

  • 「3年で辞めてMBA→ファンド就職」という計画をもとに外資系コンサルへ入社。
  • 入社後1年半ほどは仕事への適性に悩むも、徐々に業務をこなせるように。
  • 「残っても仕方ない」と2年程度で退社を決断。


証券会社への転職

  • ファンド業界などを知るために証券会社へ。
  • 転職後はヘッドハンターとのランチで情報収集を続け、PEやヘッジファンド、債券部門などからオファーを複数もらう。
  • 「カルチャー・人との相性」を最重視し、約2年かけて最終的に香港のヘッジファンドに転職。


香港のヘッジファンドで7年

  • 中高時代から「いつか海外で働こう」と思っていたので、自然な流れで香港へ。
  • 「30歳までには仕事のための仕事を辞める」予定が、子どもの誕生やメンターの存在などで7年在籍。
  • 途中で上司が辞めてしまったり香港のデモ、コロナなど変化があったものの、7年のうち半分くらいで「もう十分資産がある」と思える状態に。


シンガポール移住と現在

  • 子どもが大きくなったタイミングで香港の政治・社会状況の変化を受け、シンガポール移住を決定。
  • 自分で会社を立ち上げ、自分自身にビザを発行。
  • 金銭的に働く必要はなかったため、やりたい仕事に取り組みつつ、半分は収益性のある仕事、残り半分は芸術など「自分が価値あると思うこと」に割り当てて活動中。


キャリアは「再現性あり」と考える理由

  • 大学1年生からリサーチをして情報収集や人脈づくりを行い、自身に合う企業や職種を吟味。
  • 受験でも転職でも、必要な情報や手順を見極め、計画的に動くことでゴールに近づけると実感。
  • 海外ファンドなど現場情報が不足しがちな領域もあるが、本や伝記、ヘッドハンター等を活用し情報を積み重ねることが重要。
  • MBAを志向し、最速経路として外資コンサルを選んだのも、事前の情報収集から得た判断。(が、結局MBAの必要性はなくなり行かなかった)

2025年4月12日土曜日

海外就職インタビュー0040 カナダ・日本から米国MBA就職を経由し米国で起業

さて、今回はとても尊敬している人物のストーリーの紹介です。将来こうなろうと戦略的に設計し長期的にそれを実施した結果、米国MBA留学を通じて最終的に自分の大好きな分野で起業された方のストーリーを聞きました。一番印象に残った事としては、こんな着々を物事を進めていける人ですら大学院受験やビザ取得に人生を左右されることに心のどこかで精神的負荷を抱えていた事でした。不確実性を人生に取り込んでそれでも前に進んでいくには少し付加があるんだなってことに気付かされます。また、他の何人の方も言っていましたが、最初の就職で海外でも分かりやすい事はその後のある程度のタイミングまでは良い影響が期待できるという事でした。これは仕事選びの際には考慮する必要がありそうです。

 幼少期から大学卒業まで

・幼少期から関西で育ち、10代途中から親の転勤に伴いカナダへ移り、高校・大学をカナダで卒業。

・大学ではファイナンスを専攻。リーマンショックの影響でカナダでの就職が難しくなり、東京に住んでみたい思いもあって、ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)を利用し、日本の外資系証券会社に就職を決める。


アメリカ進出の構想とMBA取得

・カナダの市場規模に物足りなさを感じ「いつかはアメリカへ」というビジョンを持っていた。

・それを実現するために「MBAが最適解」と逆算し、投資銀行での経験を積むことを選択。

・激務の中、早朝と夜中の時間を使って、2月からMBA受験勉強を始め、スコアを早期に揃えて米トップ校にFirst Roundで合格。

・STEM扱いのプログラムを選んでOPTを3年にし、H-1B抽選(くじ引き)の機会を増やす戦略をとった。


起業とビザの確保

・MBA修了後はいったん企業に就職。しかし後に自身のビジネスを立ち上げ、「自分自身にビザを出す」形で米国在住を継続。

・大学院受験やビザ取得でそれによって人生が大きく変わってしまうため、常に心のどこかに精神的負荷を抱えていたが、自営業になったことで「納得いく商品を、納得いくビジネスパートナーと一緒に、納得いく顧客へ提供できることに」幸福感を得ている。

・趣味と仕事が融合した感覚があり、「今後は雇われる働き方に戻ることはない」と強く思っている。


海外キャリア構築アドバイス

・海外でも「誰もが知る企業」など、分かりやすいところに最初就職するのはメリットが大きい。転勤のチャンスや留学などへの好影響が期待できる。

・準備は必要だが、最終的には「自分を追い込む勇気と行動力」が重要。筋トレのように少しずつ力を付けていけば、大きな目標も実現可能。

2025年4月7日月曜日

海外就職インタビュー0039 離婚後39歳からNZ留学し、シンガポールへ就職

さて、国際協力関連のインタビューをひと段落して、39歳から大きく人生の転換をした方のケースの紹介です。離婚後、危機感から英語学習のためNZへ留学し、それから海外の就職を達成した方の例です。個人的には本当面白いインタビューで海外を目指す人のメッセージは読んでみて勇気をもらえるものがあると思います。また、自分の価値観の合う場所をシンガポールに見つけた事は本当素晴らしい事で、こうやって日本以外でも働け、自分がより良い人生を過ごせる場所を見つけられたのは財産だと思います。本人は特にすごくないと言っていましたが、冷静に自分の状況を分析し、リスクをしっかり見て考えた通りに動けるのは皆にできる事ではないと思います。

日本での生活とキャリアの転機

•九州で高校卒業まで過ごし、その後約20年は東京で生活。

•20代途中まで司法試験に挑戦するも不合格が続き、就職を選択。

•最初の職場は国際特許事務所で、定型文程度の英語を使う機会があったが、特段英語が得意というわけではなかった。

•35歳で離婚後、総務の仕事を再開。暇でやりがいがなく、危機感から「英語くらいできないと人生が詰む」と思い、英語学習を開始。


NZ留学から海外就職へ

•39歳でニュージーランド(NZ)へ語学留学。当初は約8か月の短期滞在後に外資系企業への転職を目指していた。

•しかし半年ほどで「思うように英語が伸びない」と痛感。海外就職を検討し始める。

•ビザ条件や英語圏、安全性などを考慮し、シンガポールへの就職を決意。日系エージェント経由で日系企業の総務・労務のポジションを得る。


シンガポール生活と定住への思い

•シンガポールで働いて10年以上経過。月1回程度の出張を伴う業務も経験。

•日本へ帰りたくない気持ちが強まり、「シンガポールはお金があれば楽しく暮らせる」し、周辺諸国への旅行も容易。

•一方、日本は「給料が低くピリピリしていて、サービスを受ける側には快適だが、働く側には窮屈」という印象。

•年齢に伴うビザ条件の厳しさはあるが、「可能な限りシンガポールに残りたい」と考えている。


海外を目指す人へのメッセージ

•「人生は一度きり。やりたいことはやるべき」

•リスクを過大評価せず、「やらないリスク」と比較してみる。

•海外に出ても「貯金が減る程度」で済むなら挑戦しない方が損と判断。

•シンガポールは安い食事選択肢が多く、生活コストの調整がしやすいが、お酒が高いのが唯一の不満。

2025年4月6日日曜日

海外就職インタビュー0038 日本の証券会社から英留学、アフリカ勤務を経由し国際協力の投資ファンドへ

さて、今回は10年程度日本の証券会社を経験し、国際協力の留学を経てアフリカで勤務、金融の知識を活かして国際協力の投資ファンドに勤務している方の紹介です。今までの国際協力関連の方もそうですが、基本的にポジションが数年単位で場合によっては国を越えて転職を重ねないといけない仕事のため常に市場価値を意識する視点が就くようです。

この方も差別化の大切さを言っていて、証券時代の経験や知識や日本式の詰めの甘さの少ないビジネスの進め方が差別化につながったと語っています。数年おきに転職をしないといけないという厳しい環境の中、冷静に自分の市場価値に向き合い、未来を見ながら研鑽を重ねる印象を受けました。


学生時代から新卒就職まで

• 高校まで: 関東の女子校で、海外は旅行経験のみ。

• 大学: 東京の私立大学で法学を専攻。国際協力への興味はあったが、具体的な方法が分からず、普通に4年で卒業した。

• 新卒: 証券会社に総合職として入社。当初は3年ほどでの退職を考えていたが、結果的に約10年勤務し、その間数年の海外駐在も経験。


海外大学院への転身とイギリス留学

• きっかけ: 駐在で海外生活を経験し、金融スキルも手に入れ自信がついたため、機は熟したと感じ国際協力への道を本格検討。

• 留学準備: 駐在中に約1年かけてTOEFLやEssayを準備。TOEFLは10回以上受験。エッセイは同僚の英語チェックを受けながら自力で執筆。

• イギリス留学: 開発学で名高い大学院に進学。コロナ禍で授業はオンラインが中心だったが、寮での共同キッチン生活を通じて多国籍の仲間と深く交流。


卒業後の就職活動とケニアでの開発業務

• 国際協力業界の就活: 数年契約が一般的。自分の市場価値が不明なため幅広く応募し、ケニア・東京・キルギスタンからオファー獲得。

• ケニア勤務: アフリカでの経験を優先し、ケニアへ。暮らしやすく人間関係も温かく、人生で一番充実していた時期。金融知識やビジネス経験を生かしつつ、政府との交渉などパブリックセクターの仕事を学ぶ。


転職と投資ファンド(アジア拠点)

• さらなるインパクト: 金融分野で具体的な開発インパクトを出したい思いから、国際機関の途上国向け投資ファンドへ転職。

• 現在: アジアに拠点を移し、アフリカのパブリックセクターへの投資業務に従事。同時にExecutive MBAに在籍してビジネスと金融を体系的に学び直している。


日本的ビジネス文化の強み

• 根回しや人を読む技術: 相手の意図を汲み取ったコミュニケーションは海外でも有効。

• 業務遂行力: デリバリーや納期管理のスキルも、外資や国際機関で重宝されていると実感。


長期的なキャリア展望

• 契約ベースの働き方: 数年おきにポジションを更新しながらキャリアを積むため、常に自分の市場価値を意識して仕事をしている。

• 生活拠点とのトレードオフ: 生活拠点が数年ごとに変わるため、今後はキャリアと家族・生活のバランスをどこかで調整していく可能性。


アドバイス

• パッションと差別化要素を持つ: 国際協力に直結しなくても、自分だけの強みがあれば大いに海外で活かせる。

• 金融知識の有用性: 本人の場合は証券会社時代の経験が、開発分野でも自分を際立たせる武器になった。

2025年4月5日土曜日

海外就職インタビュー0037 外資系投資銀行から英留学、アフリカのへき地を経てケニアで働く

 さて、今回は子どもの頃から希望を持っていた開発の方向へ人生のステップの中で色々なピースを集めながら進めた昔からの友人のストーリの紹介です。印象的だったのは新卒で開発関連の仕事を目指したもののうまくいかず外資系投資銀行へ勤務したこと、英大学院修了後は日本人が10人程度しかいないような国際協力の最前線へ三年もいた事です。正直海外で働く日本人の中でもかなりハードシップはかなり高いのではないでしょうか。そんな経験を評価され、現在はケニアで働いています。彼女も厳しい外資系投資銀行で働いた経験が活きていると言っていて、若いうちにエッジを身に着ける事の大切さを感じました。

学生時代と開発への興味

  • 高校まで: 関東在住。海外経験は家族旅行程度。祖父母の戦争体験を通じて「平和」への意識が育まれる。
  • 大学: 開発学および中国語を専攻(英語以外+国連公用語を考慮)。在学中、1年間の中国留学を経験し、農村部で教育支援のボランティアに参加。貧困問題に関心を持つ。
  • 開発学系の授業を多数履修し、フィリピン漁村で1か月ボランティアに従事。大学2年で「開発業界で働く」と決意。国連スタディツアーへの参加を通じ、国際機関で働くイメージを具体化する。

新卒就職:外資系投資銀行へ

  • 開発系企業を志望するも縁がなく、最終的に外資系投資銀行の営業・トレーディングとしてキャリアをスタート。
  • 数年間の勤務を通じ、世界のニュースと経済の繋がりを学ぶ貴重な体験を得る。
  • もともと「数年働いて資金を貯め、大学院へ留学する」というプランがあったため、長期勤続の予定はなかった。

イギリス大学院留学と都市開発の専門選択

  • 留学準備: 7月頃から勉強を開始し、12月にアプリケーション提出。翌年2~3月に合格通知を受け、夏に渡英。
  • 留学先選定: アメリカ留学は準備・費用の面でハードルが高いと考え、開発分野の強いイギリスの大学院へ。フィールドワークでウガンダへ派遣される。
  • 専攻: 過去のボランティア経験を踏まえ「都市開発」を選択。1年間のプログラムを通じ、専門知識と現場経験を積む。

卒業後の国連関連キャリア

1. インターン(東南アジア)

  • 大学院卒業直後に国連機関で3か月のインターンを実施

2. 初就職(西アフリカ)

  • 大使館がなく日本人が10人程度しかいない国へ3年間赴任。
  • 最初の1年: 日本政府派遣プログラムを活用。2年目以降: ODA資金を活用し、自身のポジションを確保。

•インフラが未整備(水・電気など)で、都市開発や災害復興、電化率改善プロジェクトに従事。

•「普通の暮らし」を送るだけでもハードルが多い僻地環境だったが、目の前に困っている人の役に立てる実感が大きく、開発業界での経験値として評価が高いと感じる。

3. ケニア勤務

  • JPO(Junior Professional Officer)制度で採用され、同じ組織内のポジションに自ら応募し続けて約3年。
  • ケニアはインフラや生活水準が高く、本部もあるため現場と本部双方の視点で働けるのが大きな利点。

JPO(Junior Professional Officer)について

各国政府が費用を拠出し、若手を国連機関へ派遣する制度。一定期間、国際機関のプロフェッショナル職として実務経験を積むチャンスを得られる。

現在と今後の展望

  • 国連予算削減の影響: 米国の拠出金減少によりポスト数が全体的に減少。
  • 家庭との両立の課題: プライベートを犠牲にしてきたため、今後は家族を優先することも考慮してキャリアと私生活のバランスに悩む。
  • フレキシブルな働き方: ロケーションを変えやすい働き方を模索し、「今のパートナーが別の国にいてもついていって仕事を探す」という選択肢を現実的に見据えている。

海外で働きたい人へのアドバイス

  • 国連に関して言うと、英語以外の国連主要言語はある程度できた方が有利
  • 固定観念に囚われることなく、異なるバックグラウンドから来る色んな価値観を楽しめる人が向いてる
  • 陽キャの方が圧倒的に良い

海外就職インタビュー0036 ビジネスの仕事から開発学の修士を経て米国、東南アジア、中東などの開発のキャリアへ

さて、今日から三日連続で国際開発関連の方々の紹介をしようと思います。まずは開発関連の仕事をしている女性の友人で、日本の大学就職を経て、米国で国際開発の修士を取り、そこから少しずつキャリアを進めていった方の紹介です。一人目の子どもが産まれた際は子連れ単身で東南アジアに転職したほどの強さを持つ方です。また、国際開発の仕事をしたいのであれば、専門性を絞って持つことの大切だとも言っていて私も同様に思っています。Do-gooderとはsomeone who does things that they think will help other people, although the other people might not find their actionsつまり、何か良い事をしようとするものの特に役に立たない人の事を言いますが、専門性を持って初めて仕事として役に立てると私は考えています。一般的な海外就職でも同様で場所が変わっても尖った専門性や強みのある人であることは大切ですね。


学生時代と留学のきっかけ

北海道出身。高校までは海外旅行の経験はあるものの、留学経験はなし。

大学進学を機に上京し、ビジネス・会計学を専攻。

4年次にアイルランドへ1か月の短期語学留学を経験。その後、東南アジアの発展途上国で1か月間のボランティア活動に参加。加えて、教育系NPOで学生職員として働く。

教育系NPOでの活動や途上国でのボランティア経験を通じて、社会課題の解決や国際協力に興味を持つようになる。


新卒就職と修士留学

大学卒業後、グローバル企業であれば海外と連携する機会があると考え、外資系ITコンサルティングファームに新卒入社。

コンサルタントとして働く中で、主に中国・米国とのプロジェクトに携わるものの、実際に海外に身を置きたいという思いが強まり、留学を検討。MBAはしっくりこなかったため、「International Business」と「International Development」の両方を学べる修士課程を選び、国際開発分野でのキャリアを志す。

約5年半の勤務を経て米国の大学院に進学し、国際開発とビジネスを専攻する修士課程を修了。


キャリアチェンジと外資コンサル勤務

修士課程修了後、国際開発関連の職を探したものの、すぐには希望するキャリアチェンジができず。

ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)を通じて外資系コンサルファームの米国東海岸オフィスからオファーを獲得し、H-1Bビザを取得して就職。

コンサルタントとしての勤務を続ける傍ら、人脈を広げ専門性を高めることで、将来的な国際開発分野へのキャリアシフトを模索。


国際機関でのキャリア

その後、国際機関に転職し、約7年間勤務。米国・東南アジア・中東など、さまざまな拠点で勤務。

第一子出産後も母子で赴任しながら仕事を継続。国際機関では、正規職員であっても有期雇用契約が一般的であり、多くの職員は空席に自ら応募してポジションを獲得する必要がある。そのため、常に新たなキャリアの機会を探し続ける必要があるが、これまでの実績と人脈が異動・昇進の大きな助けとなっている。

日本や米国の民間企業で培った専門スキルのみならず、仕事の進め方(プロジェクトマネジメント、問題解決、文書作成、分析、コミュニケーションなど)も、国際機関でのキャリアにおいて大いに役立っていると実感する。


家族とのライフバランスと今後

国際開発の分野は、世界各地に現場・拠点があり、地域や大陸を超えた異動が多い。そのため、パートナーのキャリアも含め、家族全員が納得できる勤務先・勤務地および働き方を模索し続けている。

‘’A career is a marathon, not a sprint’’ という言葉がある。これまでは短距離ダッシュを積み重ねるような働き方をしてキャリアを築いてきた傾向にあるが、今後は、長期的な視点でのマラソン型キャリアへとシフトする必要性を感じており、試行錯誤を続けている。


海外を目指す人へのアドバイス

海外勤務への興味や意志があるなら、まずは行動してみることが大事。最初から理想の仕事に就けなくとも、日本の外に出ることで自身の課題や目指す方向がより明確になり、結果的に理想の仕事に近づく可能性が高くなる。また、海外に出ることで考えが変わることも多い。実際に経験しないと結局(どう感じるかは)分からないと個人的には思っており、「出てみて違うと感じたら日本に戻る」という選択肢も、それはそれでありなのではと考える。

海外に出てから、自分の経歴に「私はXXの専門家です」ということが一見して分かるようなフラグを立てることの大切さを実感(いわゆる「専門性の確立」)。幅広く経験を積むことも重要だが、拠点を移すための入り口という意味では、ある程度専門性を絞ってアプローチしたほうが、キャリアの道が拓ける可能性が高いと感じる。

2025年4月2日水曜日

海外就職インタビュー0035 日本のマスコミ業から仏留学を経て「国、職種、業界」の全てを変え、欧州就職と起業

さて、今回は日本でマスコミで働いていた方がガラッとキャリアチェンジをしてパリで就職をして、マネージャーに昇進後、クロアチアで起業されたとても珍しい方です。MBA留学をすると色々な人が就職において「場所」x「業界」x「職種」の三つの軸を考える中で全て変えるのはかなり難しいと言われます。留学後の採用はポテンシャル採用が少ない中途採用であるため経験のない人は単純に採用されにくいです。場所が変われば言語の問題もあったりしてハードルが少し上がったりします。そんな中この方は三つ全てを変えて、その後マネージャーにも昇進する事で「職位」の四つ目まで変えるという稀有な方でした。ただ、本人曰くステップバックがやっぱりあったとの事でどの程度まで留学直後に変えるのかは自分で判断した方が良さそうです。キャリアの大きなピボットのきっかけとしての留学で成功例の方の話を聞きましたが、リアルな話を聞けました。アドバイスのところは特にリアルな声が出ているのでぜひ読んでみてください。


学生時代~大学院留学まで

  • 高校までは神奈川県で過ごし、大学は東京。3年生のときにアメリカへ1年間の交換留学を経験。

    • 留学では遊びと勉強のバランスがとれ、日本人の少ない学部に所属したことでアメリカ人や他学部の日本人と深く交流。

  • 大学5年目で卒業後、マスコミ業界に就職。働く中でデータサイエンスに興味を持ち、退職し2年間の修士留学を決意。

    • 学部時代がアメリカだったので、次はヨーロッパを選択。最終的にフランスの大学院で1年目に技術面、2年目にビジネス面での応用を学ぶ。

ヨーロッパでの就職とマネージャー職

  • 畑違いへの転職は苦労が多く、「あと1~2週間決まらなければ帰国しよう」というところまで追い込まれる

  • さまざまな企業にアプライした結果、パリのスタートアップでデータサイエンス関連の仕事を獲得。

  • 会社がオランダにビジネスを拡大する際に手を挙げ、マネージャーとして転勤。データサイエンスのトピックは同じながら、給料が大幅に上がったのは驚きだった。

クロアチアへの移住と起業

  • 2023年、旅行先で出会った相手と結婚を機にクロアチアへ引っ越し、自身の会社を立ち上げる

  • フリーランスでデータサイエンスの仕事を請け負い、当面は永住権取得までクロアチアに滞在予定。

  • 機会があれば国もキャリアも見直す方針で、柔軟に働き方を選択している。

キャリア観とアドバイス

  • 業界・職種・場所の3つを同時に変えるのは一般的に難しいとされるが、まったく不可能ではない。

    • 例えば「マーケティングからマーケティング寄りのデータサイエンス」のように、一部重なるスキルや分野があればよい。

    • キャリアや収入面で一時的にステップバックしても、3つ同時に変えたい人には選択肢となる。

  • ジャーナリズムとデータサイエンスの掛け合わせはまだ模索中。

  • 個人ブログでは歴史やビジネスを中心に執筆しており、今後も情報発信を続けたいと考えている。

  • ビザの問題が一番の障壁となる可能性が高い。きちんと下調べして、目処をつけてから海外に行くべき。現地の大学院を出てからだと現地企業から就労ビザのスポンサーを得やすいのでおすすめ。いきなり海外就職は難易度高め。

  • 世界一QOL高いと言っても過言ではない日本から敢えて出るのだから、生活のいろんなところでストレスを感じるのは当たり前。行政手続きが遅い、医者にかかれない、電車がこない、飯がマズイ…など。そんな時に解決してくれるのは金。クロアチアはいろいろ不便な国だが、自分は幸いじゅうぶんに稼いでいるので良いアパートに住めるし、高い日本食も買える。特に妻が出産を控えている時に高いお金を出してプライベートの産婦人医に診てもらえたのはよかった(パブリックの医者は質が悪いし待ち時間も長い)。自分はお金で精神衛生を保っている。だからこそちゃんと稼げる業界にいる必要がある。

2025年3月31日月曜日

海外就職インタビュー0034 様々な苦境をねじ伏せパートナーとともに米国で勤務

さて、今回は正直特殊な能力がある事は否めない人なのですが、ご紹介しようと思います。参考になるのは、配偶者の労働の権利まで会社が面倒を見てくれる会社を見つけた事とUS撤退という逆境の中でもうまく交渉をして米国勤務を引き出す交渉力ですね。また、こういった特殊な能力のある方でも大学を卒業する事の大切さを説いている事も多くの人へのメッセージとして意味があると思います。

渡米のきっかけと当初の予定

  • 24歳まで地方の実家から大学に通い、修士を終えて博士課程に進むつもりだった。
  • 未踏というプロジェクトで出会った仲間の誘いを受けシリコンバレーを訪問し、各社のオフィスを見学。
  • 当初は大学院進学を考えており、「働くつもりはなかった」が、日系メガベンチャーの米国オフィスでタイミングが合い採用される。


キャリアの変遷:日系メガベンチャー → 転職

  • 入社後1か月でUS撤退が決まったが、一時日本に帰国して成果をちゃんと出したのち、交渉の末に米国勤務を再開。
  • エンジニアとしてハッカソンなどで受賞し、同社に在籍していたが、上司が異動になったタイミングで就職活動を再開。
  • 配偶者も含めてビザ面を考慮してくれる日系ベンチャーに転職。
    • 通常のH-1Bでは配偶者は働けないため、配偶者の労働も含めて福利厚生の一環と考えてくれたのは大きかった。
  • その後、配偶者が就職して配偶者のスポンサーでグリーンカードを獲得し、米国で働き続けている。

フリーランスとしての取り組み

  • ビザの期限や制限により、アメリカに残りたくても残れない人が多い現状に直面。
  • 彼らを将来的に受け入れ支援できるようになりたいとの思いから、日本企業のサポートを行うフリーランス業にも取り組んでいる。

初めての独立生活がサンフランシスコ

  • 実家暮らしが長く、生活費の支払いや一人暮らしの基礎知識が乏しかったため、サンフランシスコでの生活自体が大きな挑戦だった。
  • 例えば、電気代の請求が来たら払わなければいけない、という感覚がまったくなかったほど。

若者へのアドバイス

  • 「大学は中退せずに卒業しておく」ことが重要。ビザ取得の面でも大卒資格が有利になるため、まずは卒業したほうが良い。
  • 職歴と学歴が一致すればアメリカで働くのは十分可能なので、大学卒業と職歴形成を両立させるのがおすすめ。

海外就職インタビュー0033 USCPAを取り、日本からアメリカへ直接転職

さて、今回の方は、多分ビジネス系では珍しく日本から直接アメリカに就職をしたパターンです。多くの場合は同じ企業内でアメリカ本社に転勤したり、大学院等を経由する事が多いのですが、今回は珍しくアメリカに直接転職した例です。USCPAを持っている事がその信頼の担保につながっていると思ういます。

大学時代まで

  • 関東で生まれ育ち、関西の私立大学に進学。中高でテニスに打ち込み、大学卒業まではほぼ日本で生活。

  • 大学では心理学を専攻し、3年生のときに約3か月カナダへ短期留学。この経験を通じて「なんとなく海外に出たい」という想いが芽生え始める。

メガバンク就職と転機

  • 大学卒業後、メガバンクに新卒入社。しかし、在籍中にコロナ禍が起き、海外駐在だった先輩たちが続々と帰国する様子を目の当たりにする。

  • 銀行内で王道の海外駐在を目指すには8~10年ほど経験が必要と知り、「30歳になってもまだ海外に行けないかも…」と将来を不安視。

  • 「ただ口だけで『海外に行きたい』と言い続ける人にはなりたくない」という思いから、銀行外への転職を検討し始める。

独立行政法人での経験とUSCPA取得

  • 海外関連の仕事を探す中、東京ベースの独立行政法人が3年間の契約職員を募集していることを知り応募。合格を機に初めて関西から東京に生活拠点を移す。

  • メガバンク在籍時から勉強していたUSCPA(米国公認会計士)を、独立行政法人で働きながら取得。

  • USCPA合格後、「アメリカに行こう」と決意し、会計関連のポジションを探すうちに1年半の有期雇用でアメリカへ渡るチャンスを得る。

アメリカでの会計キャリアとグリーンカード

  • 渡米後、会計事務所で働き始めて約2年半が経過。

  • その間、交際相手(パートナー)がグリーンカード(GC)のサポートを受けることになり、自分もそのプロセスに便乗する形でEAD(就労許可)を取得。

  • 現在はEADを使って、自身の知見を発信する活動もスタート。ビザの制限をクリアしつつ、副収入も得られるため、さらなるキャリアの可能性を模索中。

今後の展望

  • 大企業よりは比較的小規模な会社で会計のキャリアを深めながら、専門分野の情報発信も続け、何か新しい組み合わせを探していきたいと考えている。

アドバイス

  • リスクを考えすぎると行動できなくなるため、必要最低限の備え(例:TOEIC高得点やUSCPAなど分かりやすい武器)を磨き、リスクを取って動き出すことが大切。

  • 「まずは行動に移す」ことで、キャリアの可能性を広げられると強調している。

2025年3月30日日曜日

海外就職インタビュー0032 米国学部留学から、インターンを活かして米国での就職からのグローバルなキャリアへ

さて、今回は比較的難しいと言われている大学学部の留学からアメリカに無事残り、その上日本、インド等のグローバルなキャリアに発展させていった方の話です。本人も言っていますが、将来の目的のためにパズルのピースを少しずつ集めて積み重ねていったので出せた結果だと思います。特に興味深かったのはInternational student officeで働くことで知見を蓄えた事とCo-opという長期インターンを元々高校生の時から視野に入れて学校選びをしたことじゃないかと思っています。これだけ長期的に戦略的に積み重ねられる人も多くなく学ぶこともかなり多そうです。

海外でキャリアを築くまでの道のり。大学時代から海外で働くことを意識し、インターンや実務経験を積みながら、最終的にアメリカでの就職を実現。これまでの経験を振り返りながら、海外で働くために大切だと感じたことのまとめ。

学生時代のインターンとビザへの知識獲得

  • アメリカの大学在学中、International Student Officeで働きながら、就労ビザやOPTの制度について深く学べたことは、その後の立ち回り方に影響した。
  • 同大学の強みである「Co-op(長期インターン)」を通じて製造業とIT企業で半年間ずつインターン。Co-opは企業と学生の相互フィットを確認できる良い仕組みと同時に留学生として専攻と関係のある職歴が得られる貴重なシステム。

ボストンキャリアフォーラムでの採用獲得

  • 大学院卒業後、ボストンキャリアフォーラムに参加し、外資IT企業のブースにウォークインでアプローチ。STEM専攻だったためOPTが2.6年間(2025年現在は3年)使えたこともあり、アメリカでのポジションを希望しながら交渉を重ねた。結果的に、採用担当者から「Co-opの経験が目に留まった」と評価され、アメリカでの勤務が決定。

グローバルなキャリア展開

  • アメリカでの勤務を経て、さらなる成長の機会を求めて東京オフィスに2年間赴任。その後、発展途上国のビジネスに興味があったため、インドに2年間部署異動。インドでは規制の複雑さや競合スピードの激しさなど、基礎的課題が多い環境で多くを学んだ。
  • 帰国後は日本で物流部門からデジタル製品の経営企画へと業務を移行し、より広い視点でのビジネス運営に関わるように。数年前に再びアメリカの物流部門の経営企画へ再び異動し、グリーンカードを取得。

現在の職場と今後の展望

  • 現在の会社では、新たな分野への挑戦がしやすく、興味のある領域に積極的に関わることができる環境だと思っている。業務の幅が広がるにつれて「やりたいことが尽きない」と感じることも多く、成長の機会に恵まれていると実感。こういった点に魅力を感じているが同時に固執はしないように心がけている。

海外就職を目指す人へのアドバイス

  • 「棚ぼた」的にチャンスが舞い込むわけ機会は少ない(特にアメリカは就労ビザ制度を現状を鑑みると)。強い意志と試行錯誤、継続的な計画が不可欠。
  • 高校生の頃から“アメリカで働きたい”という漠然とした夢を抱き、長期的ビジョンを少しずつ形にしてきた。
  • 「筋トレと同じで、いきなり重いウェイトは上げられない。徐々に力をつけて成長していくプロセスが大切」

海外就職インタビュー0031 PhD後、Twitterを通じてポスドクのポジションを確保

さて、今回もポスドクの方なのですが、日本でPhDを取りポスドクを探すのにX/Twitterで発信しそこから海外の研究室でポジションを見つけた方の話です。ポスドクの方が海外に仕事を見つける話は結構聞いてきたのですが、X/Twitterを通じて職探しをして見つけた方は初めてだったので聞いていてとてもわくわくする内容でした。どういったポイントについても気を付けるのかも聞けたので興味がある方は見てみる事をお勧めします。

日本での研究生活と海外志向

  • 学部~博士号取得: 東京で育ち、海外留学や短期渡航もなく、最長でも国際学会の2週間が限度。

  • ライフサイエンス系の研究を専門とし、博士課程修了後はポスドクを検討。

  • 海外への興味: 「研究の最先端=海外」という漠然とした想いと、ポスドクが最後の海外進出チャンスかもしれないとの考えから行動を開始。

X(旧Twitter)を活用したポスドク探し

  • 募集発信: X上で「自分の研究内容とスキルを明示し、ポスドク先を探している」と英語で投稿。

  • 結果: 世界各地の5つほどの研究グループから連絡があり、Zoom面談を経て、最終的に現在の研究室に決定。

    • もともと論文を読んでいた馴染みのある研究室だったことも大きい。

  • 成功要因: プロフィールに自分の得意技術を明確に記載し、PIが「合うかもしれない」と判断できるようにした。

    • 論文の質だけでなく、「行動力+運+タイミング」が重なったと感じている。

X(旧Twitter)活用のメリット

  • アカデミックな層も多く利用しているため、求人や人脈づくりに意外と有力。

  • ダメ元で試してみたが、求人誌(Scienceなど)に比べてもチャンスがあったと実感。

  • 最初の論文が出たタイミングでアピールし、同分野の研究者との繋がりを広げられた。

将来の展望とアドバイス

  • アカデミア継続希望: アメリカを中心に応募先は多いが、家族が馴染める環境かどうかも重要。

  • 免許は早めに: 海外の生活や研究先で車が必要になるケースがある。

  • 英語の準備: ボスから「話すのが遅い」と指摘されるなど、語学力は現地に来てからも伸ばす必要がある。

  • 研究室選び: シニア大御所ラボはハードルが高い場合も多く、新設の研究室や立ち上げたばかりのプロジェクトを狙うのも良策。

  • Xの使い方: 言語別アカウントを分けたり、研究内容を分かりやすく固定ツイートするなど、戦略的に活用することがおすすめ。

  • 研究者向けの留学フェローシップが他国に比べて比較的充実していると思うので、それを利用するのも良いと思う。

2025年3月24日月曜日

Stanford Medicine ヘルスケアITの修士へ 仕事・家事・育児・アイアンマンのトレーニングをしながら


(スタンフォード大のキャンパスを一望できる丘の上から)

はじめに

先日、Stanford Medicineが提供するヘルスケアITの修士のプログラムに合格しました。医療とビジネス、テクノロジーが融合した1年間の社会人向け修士課程で、忙しい働き盛りの方々が集まる充実した学習環境だと聞いています。ここでは、私が出願を決めた経緯や準備の進め方、家族との関わり合いを中心に振り返ってみたいと思います。

出願を決めたきっかけ

きっかけは「知的労働者としての仕入れ」としての学習を毎年欠かさず行う習慣があったからです。新しい知識や視点を取り入れることで、日々の仕事や生活の質を高められる—そんな思いから、少しまとまった時間をつくっては学びの機会を探すようにしていました。

医療とテクノロジーが融合する世界は今後ますます発展しそうですし、ちょうどベイエリアに住んでいることもあって、スタンフォード大学の先端的な取り組みを直接吸収できるプログラムは自分にとって最適だと感じました。そこで5月頃から具体的に情報収集を始め、11月の締切に向けて動き出したのです。スタンフォード大学以外は受けず、もし落ちる事があったらもう一年後に受ければ良いかなと思っていました。

忙しい日々における効率的な準備

早朝トレーニング中に:問いを立て、運動しながら答えを探す

基本的に毎日は子どもが起きる前の早朝の運動から始まります。11月の締め切りに並行して10月末にあるアイアンマンの大会のゴールに向けてトレーニングをしていました。時間が限られている事もあり、出願の準備期間中は思考の時間としても活用するようになりました。運動前に「CIMプログラムでの学びをどう活かすか」「エッセイの構成をどうまとめるか」など一つの問いをあらかじめ設定しておき、走ったり、自転車に乗ったりしながら頭の中でじっくり考えます。アイデアが浮かんだタイミングで一度立ち止まり、スマホに音声メモを録音。その後、また運動に戻る—というサイクルを繰り返すことで、体を動かしつつ頭の回転も高めることができました。また、10月末のアイアンマンも13時間台と早くはないですが、足の爪が取れるくらいで大きなけがもなく無事完走できて良い思い出になりました。

週末の隙間時間:カフェや屋外でので短時間集中

子どもの週末の習い事に送った後など場所を選ばず、20~30分程度の短時間集中を行うのも効果的でした。エッセイの一部分を書き進めたり、提出書類のチェックをしたりと、大きなタスクを小さく分割して取り組むと意外と進捗が得られます。騒がしすぎないカフェは程よい雑音が集中を促す環境でもあり、数十分でも集中できればその日の目標を達成できることが多かったです。

夜:子どもが寝た後のエッセイカウンセラーとの打ち合わせ

一日の締めくくりには、子どもを寝かしつけてからの時間を活用しました。出願エッセイは内容の推敲が重要だったので、MBA時代にお世話になったエッセイカウンセラーにオンラインで相談しながら推敲を重ねました。昼間に書いたドラフトを共有し、専門的な視点で論旨の流れや言い回しをチェックしてもらうことで、最小限の時間でも効率良くクオリティを引き上げられたと感じています。

家事・育児の負担分担と信頼貯金

家事や育児は妻と共に分担し、仕事と並行して無理のないペースで準備を進めるよう心掛けました。出願中だからといって丸投げするくらいなら修士への受験はやめれば良いし、実際にプログラムが始まってからは回らないだろうと思ったからです。

そこで、普段どおり朝の支度や子どもの送り迎え、家事全般をできるだけこなしつつ、隙間時間を見つけて作業するというスタイルを徹底しました。妻も「無理しすぎないでね」と声をかけてくれましたが、なるべく受験準備のための負担を増やさないように意識した形です。また、無事に合格した今は、授業が始まってからも妻の負担が増えすぎないよう、合格までに貯める予定の信頼貯金を活用したり、外部のシッターさんにお願いしたりしようとしています。私がさらに家事や育児を積極的にこなす期間を作って、これから始まる新生活でも家族みんなが納得できるよう調整するつもりです。あくまで家族全員の幸福を最大化する事を基準にしたいと思っています。

書類提出後の流れ:ビデオ録画インタビューと面接

締切の11月中旬に出願を完了し、ほっと一息ついたのも束の間、数日後にはビデオ録画インタビューの案内が届きました。録画に際しては撮り直しも得に必要なく、翌日には一気に撮影を済ませて提出。そこからさらに二週間後にはオンライン面接がありました。志望動機や仕事上の経験、将来のビジョンなどを問われる時間で、手応えを感じつつも、合否がどうなるかは読めない不安も人なので少し残ります。面接後は再び静かな待機期間に入り1月末まで何も連絡がない状態が続きました。元々1月二週目までに連絡しますと面接中は言われたもののウェブサイトを見たらしれっと一月中に連絡すると変わっていて、待つ期間が増えました。

不安はほとんどなし:まず基準を理解する

出願時、私は大きな不安を感じることはありませんでした。もちろん合否に対する緊張感はありましたが、「どのような人材を求めているか」を把握したうえで、自分の強みをどうアピールするかを考えればいいだけだと割り切ったからです。足りない部分を過剰に取り繕うよりも、これまで培ってきた知識や経験をいかに合理的に伝えるかに注力したほうが効率的だと感じました。

実際、必要書類をリスト化し、エッセイも要件に沿って焦点を絞り込むことで、準備時間そのものは合計20時間に満たないほどでした。隙間時間をうまく活用して短期集中すれば、フルタイムで仕事や家事・育児をしながらでも十分に対応できると実感しています。

合格通知を待つ日々と、その瞬間

それから約2か月ほど過ぎても何の音沙汰もなく、年が明けてからも「まだかな、まだかな」とそわそわする期間が続きました。私自身はRedditの匿名掲示板で他の受験生たちと情報交換しつつ、互いの気持ちをなだめ合い、会社の同僚にはまだ伝える段階ではないと判断して、妻に「何も連絡が来ないよね…」と愚痴をこぼす日々でした。

そして1月31日の夕方、ギリギリのタイミングで「Application Statusに変化がありました」とのメールが届き、急いでログインしてみると“Congratulations”の文字が目に飛び込んできたのです。画面にはクラッカーのようなアニメーションが表示され、思わず両手を挙げて「やった!」と小さく叫んでしまいました。その足で別の部屋に行き、在宅勤務中の妻に「受かったよ!」と報告しました。

その直後、あらかじめ準備してああった「お世話になった人たち」へ順番に合格の報告とお礼のメッセージを送りました。カウンセラーや卒業生、友人など多くの方が協力してくださったので、そのお礼を伝えるのは合格後に最初にやりたかったことの一つです。

プロセスから学んだこと

  1. 過去の経験と蓄積を最大限活かす
    自分に不足しているものを無理に飾り立てるのではなく、これまで積み重ねてきた実績や知識をどれだけ効果的に伝えられるかに注力するほうが合理的だと感じました。

  2. 今までの信頼を使ったや新しい人との出会をを通じた営業的アプローチ
    在校生や卒業生、さらにはプログラム関係者に積極的にコンタクトを取り、こちらの真剣さや魅力を伝えることも大切です。書類だけでは伝わりにくい人間性や意欲を、会話を通じてアピールするのは有効でした。

  3. AI(特に音声対話)を使った思考の深掘り
    自分の考えを客観的に見直すには、AIとの音声対話形式のやりとりも有用です。疑問点を投げかけてみることで、新たな視点を得たり、自分の主張に補足できるアイデアを得たりしました。

  4. 隙間時間の徹底活用
    仕事・育児と両立するには、一度に長時間確保する事は実質不可能です。早朝・昼休み・子どもが寝たあとの夜など、細切れでも集中すればエッセイや書類準備は十分に対応可能でした。また頭のどこかに論点を持って思考を温めておくといった事も有効だったと思います。

2025年3月23日日曜日

海外就職インタビュー0030 PhDから米国へ、その後Meta社で研究職

さて、前回に引き続きPhDからアメリカに残った方のお話です。特にMeta社で研究をするというとても珍しいキャリアの方ですが、そんな方でもPhD中は中々経済面の困難さがあり、銀行口座がマイナスになったというエピソードが印象的です。また、日本人はダメなら帰れる母国があると言っている事もまさしくそうだなと同意します。たまに日本に対して悲観的な意見を見たりしますが、それでも経済大国であることは事実であり、英語がある程度できるのであれば仮に海外に出てうまくいかなくても帰国して仕事を見つける事は難しくないでしょう。また、おそらく経済的な魅力は相対的には下がっていくの今まだ魅力があるうちに出ていく事も良い選択肢だと思います。

背景とこれまでの経歴

  • 幼少期から中学卒業まで、3~4年おきにスコットランド、イタリア、イギリスと日本を行き来しながら過ごす。高校・大学は日本で在学し、東京の大学では都会生活の閉塞感を感じる一方、卒業後は給料が出るPhDコースを検討。
  • その間、半年のギャップイヤーを利用してインドへ渡航。友人から「人を募集しているインドの掲示板」を紹介してもらい、バンガロールのスタートアップを見つけ、生活費込みでオファーを獲得。 “インドのシリコンバレー”と呼ばれる現地のITビジネスを肌で体験する。

アメリカでのPhDと研究生活

  • インド滞在中にアメリカの大学からPhD合格通知を受け、日本に少し寄った後に渡米。
  • 最終的に約6年かけて神経科学の「Brain Computer Interface」分野で博士号(PhD)を取得。
  • RA(研究助手)として働きながら研究を続ける典型的な博士課程の進路を辿ったが、経済的な厳しさが最も大きな課題だった。歯科治療費を支払った際に銀行口座の残高がマイナスになったこともあるが、株トレで生き延びた。研究自体は楽しく、同僚にも恵まれていた。

卒業後のキャリア選択とMetaでの活躍

  • 博士課程修了時、アカデミア(研究職)、起業(スタートアップ)、民間企業研究職という3つの道を模索。
  • 起業家支援のYコンビネーターのインターンに参加し、自身での起業も検討したが、多額の資金と長期的視点が必要な事業領域だったため、その時点での起業は断念。
  • 当時Facebook(現Meta)のBrain Computer Interface部門でインターンを行い、オファーを受けてResearch Scientistとして入社し、部門異動や組織統合を経ながら現在はヒューマンコンピュータインタラクションの組織で研究している。

ビザとグリーンカードの取得

  • PhD取得後はOPT(3年枠)を活用して就職し、早期にH-1Bへ移行。さらに半年ほどでグリーンカードも取得。
  • PhDホルダーとしてビザや永住権の取得は比較的スムーズだったと感じている。

生活面の苦労とプライベート

  • コロナ禍の最中、テキサスからベイエリアへ引っ越し、リモート中心の環境でソーシャル面で苦労。
  • 同時期にオンライン婚活も進め、Zoomデートを通じて現在のパートナーに出会い、結婚。

海外を目指す人へのアドバイス

  • メリット・デメリットを天秤にかけるより、心から面白いと思える領域を突き詰めるほうが納得感がある
  • 日本人の強みとして「ダメなら帰れる母国がある」ことで、気軽に海外へ挑戦してみても良いのでは

海外就職インタビュー0029 PhDから米国へ、ポスドクを経て米国就職

さて、今回は、PhDからアメリカに留学した方のお話です。やはりPhDを取ってからのポスドクは海外在住への再現性がかなり高いように見えますね。特に興味を持った点は学振がうまくいかなかったあとに留学の準備を始め、会った事もなかった先輩が縁を作ってくれた事もあり留学できた点ですね。他の方を見ても多くの人がすでに海外にいる人から縁をもらってサポートを受けている印象です。そのためにも行動力が大切なのですが、この方も行動した結果そういった人と出会い縁を得られたのだと思います。加えて、完璧に準備をするのは難しいのでひとまず留学できるならしちゃうのが良いという意見もとても実践的で良いと思いました。

日本の大学院からアメリカのPhDへ

  • 高専→地方旧帝大の修士まで土木を学び、その後アメリカでPhD留学。
  • 留学先を選ぶ際は、大学の先生から「著名な研究所がアメリカに3つある」と教わり、タイミング的にギリギリだったが、同じ大学の先輩が繋いでくれた縁もあり無事合格。
  • 経済的に親にあまり負担をかけられないことや学振を逃したことから受験準備が遅れたが、TOEFLやGREを数か月の対策で突破し渡米。
  • アメリカの大学から給料をもらえる立場(TA・RAなど)となり、学費や生活費、年1回の帰省費用がほぼ相殺できる状態で留学をスタート。月300ドルほどの学生向けアパートに暮らした。


PhD時代の苦労とポスドク

  • 途中で指導教官を変更し、専門分野も細かく変えたため博士取得まで7年かかる。
  • ポスドクを経て、自身のPhD時代前半の専門領域へ戻る形で就職
  • 留学当初はリスニングが難しく苦労したが、専門用語は予習でカバーでき大きな問題はなかった。成績(GPA)要件も思ったほど大変ではなかった。
  • ポスドク中にアメリカ人と結婚しグリーンカードを取得。ビザサポートを提供する国立研究所のオファーもあり、いずれにせよアメリカに残ることが可能だった。


現在の仕事と生活

  • 今の仕事は10年ほど継続中。周囲を見ても長く勤める人が多い印象。
  • 以前は研究で「道具を作る」立場だったが、今は「作られた道具を使って価値を生み出す」業務で、発想の切り替えが必要だった。
  • プロジェクトにタイムチャージをするシステムにも多少の慣れが必要だったが、PhD取得の遠回りに比べれば大きな苦労はなかった。
  • 住んでいる地域は山が見える自然豊かな環境で、アメリカの生活を気に入っている。


アドバイス

  • 「完璧に準備してから留学する」ことは難しいので、最低限のテスト(TOEFLやGRE)の点数を取ったら思い切って行くのが良い。
  • 独学の限界を感じたら短期集中で予備校を利用するのもおすすめ。弱点のリスニングがスコア向上につながった体験あり。
  • 日本ではジェネラリスト志向の働き方が多い印象だが、アメリカでは専門を深めてプロとして活躍できるキャリアの可能性が高い。

2025年3月22日土曜日

海外就職インタビュー0028 チャンスのタイミングを逃さず、米系メガテックにて米国本社へ異動

さて、今回はエンジニアの方がアメリカ就職に新卒でチャレンジしたものの失敗し、そこから約五年で複数社のキャリアを経て外資系企業の日本オフィスから米国本社へ異動した方のお話です。元から米国国籍は持っていましたが、ビザスポンサー付きで異動のオファーをもらっている点もあり、米国国籍のない私のような人でも参考になる内容でした。

ハイライトすべき一点目は、五年で三社目という正直各社における職歴の短さです。短すぎる職歴が重なる事はマイナスに受け取られる事が多いですが、今回の方の場合は、チャンスをつかむため時流を見て判断していた印象を受けました。例えばひとまず三年は勤めようと待っていたら、拡大期の会社に入る事ができず波に乗れない事があるかもしれません。そういった同調圧力に引っ張られ過ぎなかった事が良い結果につながった例だと思います。

二点目は、アメリカに行くためにソーシャルメディアを通じてアメリカでエンジニアとして働く日本人をリストアップしてアドバイスを聞いた行動力です。意外に思うかもしれないですが、アドバイスをくれる人はかなり多いと思っています。こういった行動によりアメリカに異動できる会社選びを成功した面も多いのではないでしょうか。

幼少期から大学卒業まで

  • 生まれはアメリカだが、すぐ日本に帰国。アメリカと日本の二重国籍を持つ。
  • 東京の公立小学校~大学まで日本で過ごし、大学入学前に1年間浪人する。
  • 浪人を機に「満員電車で通勤する大人」に憧れを持てず、自分には海外に出る道があるのではと考え始める。
  • 大学では経営工学を専攻。2年生のときにシンガポールへ約1年間の交換留学を経験。初めて親元を離れ、兵役を終えているルームメイトとの生活など異文化適応を求められたが、周囲と違う体験をしているという誇りを感じた。

新卒就職とエンジニアとしてのキャリアスタート

  • 就職活動ではアメリカのポジションに20ほど応募するも全滅。国内ではメディア企業に新卒入社。
  • ネット上での売上規模が大きい企業だが少人数で裁量が大きく、入社後数か月で新機能をリリースするなど貴重な体験を積む。
  • ただし「この会社にいてもアメリカに行く道はなさそう」と判断し、国際化を進めていたメガベンチャーへ転職。

メガテック企業への転職とアメリカ赴任

  • アメリカのエンジニアとして働く日本人をSNSでリストアップし、直接DMでアドバイスをもらう。
  • その結果、メガテック企業の東京オフィスに入社し、約1年半後に昇進を経て本社(アメリカ)へ転籍。
  • 合計の勤務年数は5年弱ながら、3社目にして念願のアメリカ勤務を実現。
  • アメリカ国籍の有無に関係なく、ビザサポート自体は企業から提供されていた。

今後の展望

  • アメリカでさらにキャリアを積みたいと考え、広く機会を探っていきたい。

アドバイス

  • 「同調圧力」に屈せず、自分が最適だと判断したタイミングで決断を下すことが大切。
  • 転職マーケットが活況な時期を逃さず、周囲の空気に流されないよう意思を貫くことが重要。
  • ある程度の年数を1社で経験を積むことも大事だが、自分の目的に合うなら早期転職もアリ。タイミングを見極める目を養おう。


2025年3月17日月曜日

海外就職インタビュー0027 アメリカの大学・大学院を出て様々なビザを使い米国でサバイブ

今回は、幼少期のイギリス生活からはじまり、日本で外資系金融やスタートアップを経験し、さらにアメリカで修士号を取得してNPOや複業を通じて活躍してきた友人の話を書きました。

友人はいわば「道を開いていくプロ」で、キャリアの始まりは金融業界だったものの、大学院留学を経て自分に合う専門領域にピボットし、現在は今まで培ったスキルと人間関係(ソーシャルキャピタル)をもとに新しい仕事の機会を次々と得ています。

インタビューを通じて改めて感じたのは、社会人としてのスキルや経歴に加えて、長期的にソーシャルキャピタルを築くことがキャリア後期には特に重要になるということ。そして何より、粘り強さや複数の選択肢をどんどん実行していく行動力が、本人の道を切り開いてきたのだなと実感しました。

さまざまな国や組織を渡り歩いてきた友人の経験談は、まさに「見える景色が変わったら、そこからさらに一歩外へ踏み出す」ことの大切さを物語っています。今回のインタビューは非常に刺激的で、多くの学びを得る時間となりました。

幼少期・初期の海外経験

  • 小学校時代にイギリスで3年間過ごす。暗記やテスト主体ではない授業スタイルに魅力を感じ、のちの留学志向に影響を与えた。
  • その後は東京で生活し、高校卒業時に教師のすすめでアメリカの大学へ進学。


日本での社会人経験から大学院留学へ

  • アメリカの大学卒業後、日本の外資系金融機関で株関連の仕事を5年間行い、中規模スタートアップの人材系企業で2年間法人営業を担当。
  • 会社の方針で修士号取得が必要になり、パートタイムではなくフルタイムで、かつ米国で取得することを決意。
  • 修士課程を修了した後、「短い修士プログラムで学んだ後すぐ帰国する気になれず、OPT期間を利用してアメリカに残る」と決めてOPT期間を利用してアメリカに残る。


NPOインターンと複業

  • 大学時代から関わっていたグローバルNPOに、ポジションがなかったもののインターン枠を作ってもらいサマーインターンとして働く。
  • 同時に、在学中に書いていたブログを読んでくれていた企業とも半々で働く形をとる。
  • OPTが切れる時期にNPOのフルタイムに移行し、引き続き東海岸で活動。


ビザの問題とキャリアの変遷

  • 7年目でH1Bが切れるタイミングに直面。もともと長く滞在するつもりがなくグリーンカードを申請していなかった。
  • しかし家族ができアメリカに残りたいと思い、日系スタートアップでビザを取得。その後、学生ビザも活用し、最終的には自身の会社を立ち上げてビザを発行できるようになる。
  • 現在の仕事は、過去に築いた人間関係とプロとしてのスキルを掛け合わせた結果、自然な流れで獲得できたものが多い。


海外を目指す人へのアドバイス

  • 「A地点からB地点への道を逆算する」のではなく、今の場所から少し視野を広げて、見える景色が変わったらさらにそこから一歩外へ出る、という“積み重ねモデル”でキャリアを考えるのがおすすめ。
  • 最初からたとえば〜」のところは「where(どこで)what(何を)やりたいか、というイメージを持つことは悪くはないけれども、そもそもwhy(なぜ)そういう環境に行きたいと思っているか、そこに行ったらどのような自分・どのような世界が広がりそうか、を意識しながら行動し続け "ゴール・ありたい状態" を更新していくことが大切。

2025年3月16日日曜日

海外就職インタビュー0026 日本で外資系、MBAを経由し欧州でマーケティングのチームリーダーへ

さて、今回は国立大学を卒業後外資系で勤務し、ヨーロッパのMBAへ行き、そこからさらに伸び続けている方の話の紹介です。MBA留学からの現地就職は多少困難な面があるとはいえ、それなりの経験があれば可能な中で特筆すべきはそこからすぐに昇進をし多くのチームを率いている点があると思います。「昇進したい人間は次のレベルの仕事をすでにしているべき」や「基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを」等のコメントからも強いプロ意識が背景にあり、それにより突き進んでいるんだと思います。聞いていてとても刺激になる回でした。


日本でのキャリアスタート

  • 国立大学卒業後、外資系FMCG企業に入社し、約8年間マーケティング業務に従事。
  • 新製品の日本発売プロジェクトで厳しい環境の中、粘り強く働いた結果、周囲が多く入れ替わる中で残り続け、3段階飛びの昇進を果たす。


キャリアの転機:MBA取得

  • 新設のデジタル部門に移って戦略業務を担当していたが、外資系とはいえ年功序列が強まる風土を感じ、海外でキャリアを築く武器としてMBAを取得することを決意。
  • 一年で卒業できるプログラムを重視し、ヨーロッパのMBAへ進学。馴染みにあるスイスの学校を選択。
  • 多様性のあるチームマネジメントの練習場として、MBAは最適な場だった。学術面においては、大きな苦労はなかった。


ヨーロッパでの就職

  • MBA修了後、ヨーロッパ拠点の企業でマーケティングの仕事を見つけ、数年で全製品のEMEA(欧州・中東・アフリカ)マーケティング責任者に昇格。
  • 昇進のポイントは「昇進したい人間は、すでに次のレベルの仕事をしているべき」という考え方と、FMCGでのP&L(損益)責任経験から得た幅広い業務知識にあったと振り返る。


今後の展望とマネジメントの課題

  • 経営幹部へのステップアップをしたい。
  • ヨーロッパでのマネジメントは、自分の責任を最小化しつつ成果を最大化しようとする人が多く、アウトプットの質を管理するのが難しいと感じている。しっかりしたマネジメントが必要。


今後海外就職する人へのアドバイス

  • 基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを。
  • 70/20/10と言われるようにラーニングの70%は経験からくるので現地で奮闘する方が有効な時間が過ごせると思う。