さて、今回も昔からの友人なのですが、大学および最初の二社は日本で経験しヘッジファンドで成功したため経済的自由を得た方です。経済的自由を得てからはシンガポールで会社を作り、半分ほどの時間を自分にとって価値があると思う芸術等に時間を使う生活をしています。海外就職で括るには異例なのですが、本人曰く再現性はあると言っていて、ある程度は私も正しいと思います。ゴールを決めて調査をし、計画的に動く事で達成できるのですが、おそらくその一つ一つの精度がとても高い事と必要な研鑽を積む能力の高い事と意思決定の質が高い事が原因なのでしょう。自分が学生のうちのこういった話を聞いたら勇気付けられただろうなと思います。
高校・大学時代
- 地方のスポーツ強豪校に通学。海外経験は一切なし。
- 大学から東京大学(経済学部)に入学し、卒業。
- 学生時代は特に留学はせず、アルバイトで貯めたお金で毎月旅行。3年生の10月頃には就職活動を終え、一人旅を楽しむ。
- 哲学やアートを趣味で勉強しており、自分の趣味を追求して哲学/アートの世界に行くか、楽しく自由でいい生活を送るためにビジネスの世界でお金を稼ぐか迷っていた
- 哲学/アートの世界に行ってからビジネスに路線変更することは難しいものの、ビジネスから哲学/アートの道に転換することは人生経験を積むことでより魅力的な選択肢となることもあり、ビジネスの世界に最初に飛び込むことに決定
最初のキャリア:外資系コンサル
- 「3年で辞めてMBA→ファンド就職」という計画をもとに外資系コンサルへ入社。
- 入社後1年半ほどは仕事への適性に悩むも、徐々に業務をこなせるように。
- 「残っても仕方ない」と2年程度で退社を決断。
証券会社への転職
- ファンド業界などを知るために証券会社へ。
- 転職後はヘッドハンターとのランチで情報収集を続け、PEやヘッジファンド、債券部門などからオファーを複数もらう。
- 「カルチャー・人との相性」を最重視し、約2年かけて最終的に香港のヘッジファンドに転職。
香港のヘッジファンドで7年
- 中高時代から「いつか海外で働こう」と思っていたので、自然な流れで香港へ。
- 「30歳までには仕事のための仕事を辞める」予定が、子どもの誕生やメンターの存在などで7年在籍。
- 途中で上司が辞めてしまったり香港のデモ、コロナなど変化があったものの、7年のうち半分くらいで「もう十分資産がある」と思える状態に。
シンガポール移住と現在
- 子どもが大きくなったタイミングで香港の政治・社会状況の変化を受け、シンガポール移住を決定。
- 自分で会社を立ち上げ、自分自身にビザを発行。
- 金銭的に働く必要はなかったため、やりたい仕事に取り組みつつ、半分は収益性のある仕事、残り半分は芸術など「自分が価値あると思うこと」に割り当てて活動中。
キャリアは「再現性あり」と考える理由
- 大学1年生からリサーチをして情報収集や人脈づくりを行い、自身に合う企業や職種を吟味。
- 受験でも転職でも、必要な情報や手順を見極め、計画的に動くことでゴールに近づけると実感。
- 海外ファンドなど現場情報が不足しがちな領域もあるが、本や伝記、ヘッドハンター等を活用し情報を積み重ねることが重要。
- MBAを志向し、最速経路として外資コンサルを選んだのも、事前の情報収集から得た判断。(が、結局MBAの必要性はなくなり行かなかった)
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