2025年4月28日月曜日

海外就職インタビュー0048 海外就職インタビュー0048 第二新卒でインド転職→コロナ帰国→欧州大学院からの就職 多段ロケット型キャリア

今日は子どもの自転車を組み立てたKeniです。アメリカってDYIが前提になっているところありますよね。さて、今日はロケットが多段でブーストしていくようにキャリアをブーストしていた方の話でした。色々な環境でも仕事を見つけられたりしてきているのはきっと以前からの積み上げがあった事なんじゃないかなと思っています。また、少し蛇足ですが、欧州の大学院の学費安いですね。興味ある人は検討しても良いかもしれないですね。

高校~大学時代

  • 高校までは日本育ちで海外経験はほぼなし。漠然と「海外に行ってみたい」「英語を話してみたい」という思いはあった
  • 東京の国立大学に入学し、ヒンディー語を専攻。1年間のインド留学を経験し、インドのフレキシブルで明るい雰囲気が合っていると感じた
  • 大学時代は語学漬けの日々で、アルバイト代を貯めてインドへ留学。現地で沈没旅行者を見て「手に職をつけよう」と考え、経済的に安定したい意欲が強まった


日本の企業キャリア

  • 卒業後は新卒一括採用で海外展開するメーカーに就職。将来的な駐在を期待していたが、実際は国内中心の管理会計業務
  • 過酷な労働環境により数年で転職を決意。「日本で働くのは嫌だ」と思い、第二新卒枠でインドの日系企業に転職
  • インド企業では制度会計や総務など多岐にわたる業務を担当。業務拡大により駐在員扱いとなり所得が上がったが、コロナの影響で帰国命令が出て日本からリモート勤務。その後ストレスで休職し、本社に復帰
  • 結婚後、パートナーの欧州駐在に合わせて退職・帯同を決断


USCPA

  • インド現地採用はリスクがあると感じ、単位を揃えてUSCPAに挑戦。インド時代に勉強、受験を始め、日本帰国後に全科目合格


駐在妻として

  • ヨーロッパに帯同した際、「働き方を学び直したい」と社会学の大学院に2年通学。学費は二年間で約3000ユーロ
  • 日系企業で問題解決に奔走してきたが、学問として俯瞰する時間を得たのは大きな財産
  • 2年間正社員で働かないことに伴うアイデンティティの揺らぎや経済的な不安を感じつつ、修了後はヨーロッパで仕事探しを実行。フルリモートや社内異動が可能な会社を3社ほど選び、全て内定を獲得


アドバイス

  • ビザ関連の情報は早めに理解しておくべき。海外で働くには、言語専攻だけではなく差別化できる専門性や資格が役立つ
  • ロケーションが海外でも、日系企業なら日本文化や働き方に近い面があることを理解しておく
  • 自分の場合、USCPAや多面的な経験が「海外でも採用される人材」になるうえで大きく貢献したと感じる

2025年4月27日日曜日

海外就職インタビュー0047 IT及びPMとして経験を積み、10年以上GAFAに勤めシンガポールへ

 高校~大学時代

  • 東京出身だが、地方にも引っ越しを重ねて育つ。関東の高校で英語をある程度学ぶが、1か月ほどの留学経験がある程度の一般的な高校生活。
  • ICUの心理学を専攻し、在学中に1年間の交換留学を経験。最初の1年半はESL必修で英語力を強化し、その後本格的に心理学を学ぶ。
  • 卒業時にアメリカの大学院を目指し社会福祉のインターンを行ったが、病気のため一度就職する道を選ぶ。


就職とキャリアの変遷

  • 新卒時はあまり積極的に就活をせず、IT系のLocalization翻訳の仕事でフルタイム勤務を開始。翻訳業務から始めて次第にPM(プロジェクトマネージャー)へ役割が変わる。海外勤務を希望するも異動は叶わず。
  • 約8年後に外資メーカーのPMとして転職するが、1年後にリーマンショックで日本撤退が決まり失職。次にIT系企業のPMとして日本で働きながら2人目の子どもを出産。製品への興味が薄れ、転職を再検討。
  • GAFAの日本オフィスで本社との橋渡しを担うポジションに就き、配偶者(外国人)と子どもの英語教育ニーズからシンガポールへの転籍を実現。APAC全体を担当する業務とタイミングが合い、スムーズに転勤できた。
  • GAFAでの勤務は12年目を迎え、数年ごとに仕事内容が変化し飽きずに仕事を続けている。


困難さ

  • シンガポールでの勤務や生活面では大きなギャップを感じず、「こんなに住みやすい外国があるのか」と思うほど楽に馴染むことができた。


アドバイス

  • 35歳を過ぎても、子どもがいても、転職できないと決めつける必要はない。
  • 今いる場所で「楽しいこと」を見つける姿勢が大切。例えば、東南アジア各国で行われるハーフマラソン大会に参加するなど、積極的に新しい経験を取り入れることで暮らしや仕事にメリハリを生み出す。

2025年4月26日土曜日

海外就職インタビュー0046 米国大学院から就活の再チャレンジからGCへ

Trader Joe'sのお好み焼きと鯛焼きが気になっているKeniです。ちょっとおいしそうですよね。さて、今回は日本の大学に在学中に米国へ編入しそこから留学、学部卒での米国就職の壁にぶつかり、日本に帰ったあと働いてお金を貯めて米国大学院に入り、そのまま米国に残っている方です。最初の在学中に米国に編入する意思決定も日本に帰ってからお金を貯め大学院に再チャレンジする意思の強さも将来海外で働きたい人にとってかなり学ぶところがあると思います。また、リファラルと自分としてのブランドの大切さを強調していて、大学院というプラットフォームを使って自分自身のブランドをゼロから築いていく事の大切さも本当同意します。聞いていて自分自身も頑張っていかないとなと思えるインタビューでした。

高校~大学初期

  • 地方都市の高校出身で、東京の大学への進学を望んだものの縁がなく、地元大学に入学。
  • 小学生時代から英語が好きで、ラジオ英語などで英語力を伸ばす。
  • 大学2年修了後、休学扱いでアメリカの小規模リベラルアーツ大学へ編入し、計5年かけて学部を卒業。


大学卒業後~大学院留学への道

  • 卒業後、OPTでの就職がうまくいかず、いったん帰国。「専門知識がないと難しい」と痛感。
  • 1年間、日本で英語講師の仕事をしながらGRE準備を進め、再びアメリカ大学院に合格。
  • 大学院を2年で修了し、卒業直後に再度アメリカで就職活動。


ビッグフォー就職とビザ・GC取得

  • 最初は給与が半分で将来性も薄いオファーしか得られなかったが、大学院がある都市のビッグフォー(コンサル)からオファーが届く。
  • 過去にビザ発行実績がある企業だったことも安心材料となり、ここで初めてアメリカで仕事を得る。
  • 馬車馬のように働きつつH1Bビザとグリーンカード(GC)を同社のサポートで取得。GC申請では「弁護士費用を負担する代わりにGC取得後2年勤務」ルールがあり、その期間はハードワークを続ける。
  • 約7年半勤務後に転職し、現在4社目で活躍中。


アドバイス

  • 自己ブランディング: 日本人、特に日本人女性は自身の強みや実績をアピールするのが苦手になりがち。国際的な場で埋もれないためには、自分をどう売り込むかを意識すべき。
  • 同僚や上司に客観的フィードバックをもらうのも有効。
  • 学業以外の経験: アメリカでの就職・転職はネットワークからの直接レファラルが最も有効。在学中はTA(ティーチングアシスタント)や学内アルバイトなど、講義以外での活動が将来レファラルを得る大きな助けになる。

2025年4月21日月曜日

海外就職インタビュー0045 社内公募6年目でMBA留学し、駐在からの現地採用へ

Costcoの牛タンが好きになってきているKeniです。さて、今回は6年越しで社費MBAの選考に受かる継続性と心の強さを持った方の紹介です。MBAに留学後は駐在を経験する中で家族ができてライフステージが変化して会社と交渉して現地採用に切り替え今も働いてらっしゃいます。給与が下がるなど一定程度デメリットはあったようですが、駐在の方に参考になる内容だと思います。今後も応援したいですね。

日本育ちと大学時代

  • 中高一貫の東京女子高で、英語教育が厳しい環境に適応し、受験に成功。慶應大学経済学部に進学。
  • 入学後、周囲の帰国子女や家柄の良い同級生、東大落ち組との比較で初めて挫折を感じた。
  • 大学3年のときに3週間アメリカへ短期留学し、海外生活への憧れが強くなる。


新卒就職とエネルギー系企業勤務

  • 「グローバルに繋がる仕事がいい」と思いエネルギー系企業に入社したが、実際は国内業務が中心。
  • 社内MBAプログラムに挑戦するも、最初は落選。一年目ダメ、最終的に6回目で合格し、米国MBA留学が実現。


MBA留学と帰国後の駐在

  • MBA留学時は最初の3か月、授業もクラスメイトの発言も理解できず泣くほど苦労。
  • 3か月頑張るとなんとか乗り越え、ヨーロッパへの交換留学も含め、留学生活を満喫。
  • 卒業後に帰国し再び同社で勤務。1年後、アメリカ西海岸への駐在が決定(コロナで渡米が遅延したが最終的に実現)。
  • 駐在中にアメリカ人の夫と出会い、結婚。駐在期間に第一子が誕生し、3か月の育休を取得。第二子妊娠直前に帰任命令が出るが、現地採用への切り替えを選択。


現地採用と家族の選択

  • 日本企業を退職し、アメリカ法人に新ポジションを作ってもらう形で現地採用に移行。過去事例がなかったが、上司に少しずつ相談し実現。
  • 給与は下がったものの、働きやすさのメリットを優先。
  • ワークライフバランスには満足しており、しばらくは子育てを中心にしつつ、仕事を続ける方針。


海外就職・留学へのアドバイス

  • 行動第一: 海外で働きたいなら英語学習や留学経験者の話を聞くなど、積極的に動くことが大事。
  • 社内政治: 会社の制度を活用したいなら、自分の希望を周囲に知ってもらう努力が必要。
  • 運と人脈の相乗効果: MBA留学6回目の挑戦中に部門長が社長に昇進するなど、運も味方に。自身を理解してくれる人が意志決定者になるのは大きい。

2025年4月20日日曜日

海外就職インタビュー0044 地方の高校からドイツに語学留学、大学からの現地就職

さて、今回はなんとドイツで語学学校から大学卒業し、そのままドイツに就職した方の紹介です。一つ一つのステップで想像以上の苦労もあったと思うのですが、説明して頂く中で本院の強さを感じました。途中専攻を変えてかなりチャレンジもあったり就職活動もおそらく結構大変だったと思うのですが、私自身が学生時代を東北地方で過ごした事もあり、これからも応援したくなるようなとても素敵な方からのお話が聞けて良かったです。

また、今後海外に行きたい高校生とかもしくは大学生にとっても参考になるのではないでしょうか。費用面でアメリカ等はかなり難しくなっていますが、その他の選択肢として参考になると思います。ただ、当然かなりの苦労はあると思うのでしっかり調べる事をお勧めします。

東北の田舎町で高校まで

  • 塾もマクドナルドもない環境で育ち、中学時代の2~3週間の交換留学以外に海外経験はほぼゼロ。
  • 高校在学中に「海外の大学へ行きたい」と思いつつ、費用面からアメリカは難しいと判断。学費が安いドイツを選択肢に入れる。
  • 大学入学資格のため日本の大学を一度受験し合格。高校卒業後、渡独して1年間語学学校でドイツ語を学習し、その後ドイツの大学に正規入学。


大学入学当初: 言語学を専攻

  • 1年目の後半に教授と面談し、「将来、素晴らしい言語学者になるね」と言われるが、「言語学だけでは就職が狭いかも…」と危機感を抱く。


アルバイトが転機: IT企業勤務の日本人との出会い

  • ベビーシッターのアルバイト先の親がドイツのIT企業で活躍しており、衝撃を受ける。
  • 「こんなキャリアもあるのか」と憧れを持ち、文系専攻では厳しいと感じて理系(コンピュータサイエンス)に転向。


理系転向と大学卒業

  • 数学・プログラミングに苦労し、YouTube授業を活用して遅くまで勉強。
  • 日本の受験勉強の下地もあり、学部を次席で卒業。
  • ドイツ語と英語の両方が母語ではないため大変だったが、飛び込んだ環境で着実に乗り越えた。


ドイツでの就職活動

  • 卒業前はバーンアウト気味で「この会社に受かったらドイツに残ろう」と腹をくくる。
  • ジュニア枠に応募。コーディング試験なし、成績と面接評価で合否が決まり、数十倍の倍率から内定獲得。
  • そのままドイツのIT企業にITコンサルタントとして就職。


生活面と今後の選択肢

  • 街や言語も未知だらけだったが、「飛び込んでからどうにかする」精神で乗り越え。
  • アメリカやシンガポール、日本を含め全世界を対象に異動を考えている
  • 地元を出て直接ドイツへ来たため、「日本をあまり知らない」という思いもあり、今後の進路を模索。


費用とアドバイス

  • 「海外留学=大金が必要」と思いがちだが、ドイツのように学費が無料or安価な国もある。
  • 奨学金や国費留学制度を調べるなど、情報収集を徹底すれば道が開ける。
  • やりたいことがあれば「完璧に準備が整うまで待たず、まず行動する」姿勢が大切。

2025年4月19日土曜日

海外就職インタビュー0043 医療系専門職から国内でピボット転職からのシンガポール移住

カリフォルニアに住んでいても、アイスはやっぱりあずきバー派の Keni です。
今日は、医療系の専門職から国内でビジネス寄りの仕事にピボットし、そのまま同じ職種でシンガポールへ転職、そしてサクッと PR(永住権)を取得した方のご紹介です。就職活動は人との縁がきっかけとなり、勤務中に英語力や海外志向をアピールできたことでシンガポールへの転職もスムーズに進んだなど、学べる点がたくさんあります。

ご存じのとおり近年シンガポールの永住権取得は特に難しくなっていますが、半年で取得できたのは、とても珍しいと思います。さらに「英語だけでなくローカル言語も学ぶべきだ」とおっしゃっており、私も強く同意します。私自身、中国語をある程度習得しているのですが、これはシンガポールはもちろん、カリフォルニアでも大いに役立っています。

最後に、お子さんが三人いらっしゃるとの事で、子ども三人は本当無条件で尊敬するので、すごいことだなと思います。

海外移住・就職のきっかけ

  • 都内の国立大学院修士課程を修了後、医療系国家資格を活かして循環器専門病院に就職。
  • 大学院で治験業務に関わり、英語を使う仕事に憧れを抱きつつも、当時は「海外で働く」という意識は薄かった。
  • 病院での臨床と煩雑な事務手続き、低い給与(手取り19万円以下)に不満を覚えはじめる。
  • 病院が治験受託会社を設立する計画を進め、内資系製薬会社へ派遣CRAとして出向し、英語を使う業務を楽しみながらも社内政治やパワハラに直面。
  • プロジェクト終了を機に退職し、外資系CRO(Contract Research Organization)へ転職してCRA業務を続行。この外資系での経験がキャリアの礎となり、上司からチームマネジメントや女性のライフイベントとの両立など多くを学んだ。
  • 20代後半になり「人生このままで良いのか」と悩み始めた頃、女性だけの飲み会で別の外資系CRO人事担当者と出会い、英語ができるPMポジションのカジュアル面談が急遽設定。カジュアルな服装のまま臨んだ英語面接に合格し、現職PMとして働き始める。そこで夫と出会い、社内恋愛を経て結婚。

事前準備や苦労した点

  • 結婚後はしばらく東京で生活し、第一子・第二子を出産。コロナ禍に出産を経験したことで、日本政府や社会の非科学的な動きを痛感し、子供たちの将来や語学教育の面でシンガポール移住を決意。
  • ペット(犬2匹)の輸出入手続き、持ち家の賃貸化、区役所手続き、コロナ関連の入国制限対応、小児義務ワクチン等、引っ越し準備が多岐にわたる。
  • 第三子妊娠が判明し、社内移籍を断念していったん退職。夫のスポンサーでシンガポールのPRビザを6か月で取得できたが、出産直後の新生児育児と新生活が重なり大変だった。

実際の仕事探し・キャリア形成

  • シンガポール移住後、第三子が4か月のタイミングで、以前の会社の人事・上司に連絡を取り、シンガポールオフィスのマネージャーを紹介してもらう。
  • 東京勤務時代に積極的に英語力・海外志向を周囲に示していたことや、リファレンスを書いてもらえたことでスムーズにシンガポール勤務を決定。
  • PRビザ取得時期と雇用オファーが重なり、ビザ面で問題なく同じPMポジションで復帰。夫も同じ会社勤務だったが、現在はそれぞれ転職済み。

現地の職場文化や習慣

  • 「時間遵守」の感覚が日本と大きく違う。シンガポールでは5分の遅れは遅れとみなされないなど、時間に対する緩さがある。
  • オフィスカジュアルやタトゥーへの抵抗感が日本より少なく、服装や見た目の自由度が高いことに初めは驚いた。

生活面でのギャップや驚き

  • 中華系シンガポール人が多い環境では、食べ残しをすぐ捨てる文化が根付いており、日本人として「食べ物を粗末にしない」教育とのギャップを感じる。
  • 高温多湿の国なので衛生面で仕方ない面もあるが、慣れるには時間がかかる。

英語(または現地言語)の習得方法

  • 日本で働いていた頃から海外ニュースの視聴やラジオ、子供向け英語絵本の読み聞かせを習慣化。
  • シンガポール移住後も同様に継続。業務で日常的に英語を使うため、特別な新しい取り組みはせず、仕事を通じて自然にブラッシュアップ。

今後のキャリア・目標

  • 現在3人の子供を育てており、「これ以上ポジションを上げたい」意欲が湧かない状態。上司からコンフォートゾーンを出て挑戦を勧められるも、育児のウエイトが大きい。
  • 数年は育児を優先し、長期的視点で拠点や教育環境を考え直す予定。将来、子供たちの教育拠点をどこに置くかを模索中。

海外就職を目指す人へのアドバイス

  • 海外移住は華やかに見えるが、文化も言語も異なる場所でゼロから築き上げる大変さがある。
  • ビザのステイタス次第では「外国人として生きる」厳しさも。
  • 明確な目標・目的を持って行動すべし。辛い場面や軌道修正が必要な時、「初心に立ち返る」助けになる。
  • 英語+現地ローカル言語の習得が望ましい。生活面でも仕事面でも圧倒的に生きやすくなる。

2025年4月13日日曜日

海外就職インタビュー0042 日本で勤務PhD取得後、商社で全世界でビジネスをした後、米国で起業

さて、この週末の三本更新の隠れたテーマは起業だったのですが、今回も研究職→商社→米国で起業という面白いキャリアの人の紹介です。この方も昔からの友人なのですが、出会った時はまだ研究職で気が付いたらとても面白そうな人生になっていて今回は話を聞きました。また、このように文章にしてみると印象としてはとてもキラキラしてそうなキャリアな気がするのですが、一個一個の意思決定はとても論理的で一個一個しっかりと目の前の仕事に取り組んでキャリアを積み上げてきたんだなという印象を持ちました。加えてPhDの有用性についても実体験を持って聞けて、自分自身も修士二つ目取り終わったら、PhDも視野に入れたいなと再認識させられました。最後にこの方のアドバイスにもあるように米国での就業は困難な面もあるとは理解しつつ最終的には本人の意思次第なのも同意します。

幼少期と多国での生活背景

  • 親の仕事の都合でアメリカ生まれ。幼少期を数年アメリカで過ごす。
  • また幼稚園時代に1年ほど韓国に滞在(ただし日本人幼稚園通いのため、主に日本語で生活)。
  • 日本へ戻ってからは名古屋・大阪・神奈川などに引っ越しが多く、国内各地を転々とする。

 

大学・大学院と最初のキャリア(研究職)

  • 東京の国立大学・薬学部へ進学し、修士まで同じ大学で修了。卒業後は大手メーカーの研究職として約10年勤務。その間、会社の制度を活用してPhD取得のチャンスを得る。
  • 修士終了後すぐに博士へ進む選択肢は、経済的理由で断念していたため、PhD取得は大きな収穫。
  • キャリア前半の5年間は自由度の高い基礎研究を行い、後半は研究結果が商品化される過程(技術営業など)を経験。
  • ビジネス面に興味が芽生えたタイミングで再び基礎研究に戻る人事異動があり、転職を検討し始める。


総合商社への転職とビジネス経験

  • ライフサイエンス寄りのビジネスと給与アップを目指し、コンサルティング・投資銀行なども検討する中、ライフサイエンス人材を募る総合商社に縁があり転職。
  • 転職後、約10年在籍しながら世界各国でM&A、新規事業開発、商材売買など多彩な経験を積む。
  • 研究者時代には得られなかったビジネス視点を習得。
  • 商社は専門家を含むチームビルディングがしやすい体制が整っており、実務を通じて着実にスキルが身に付く。
  • 約半分の期間は合弁会社立ち上げに携わり、自ら経営者ポジションで事業を進める。小規模企業を動かすノウハウを獲得。 起業とアメリカ西海岸でのベンチャー経営
  • 合弁会社の経営経験から「シードレベルで会社を作り上げられる」と自信を得て、最終的に独立・起業。
  • 現在はアメリカ西海岸に拠点を移し、自身のベンチャー企業を経営している。

 

海外に出たい人へのメッセージ

  •  PhDの価値: ライフサイエンス業界で人を巻き込みプロジェクトを進められたのは「PhDが強みになった」と実感。機会があるなら取得を検討してほしい。
  •  アメリカ就職への心構え: 周囲を見ていると日本に帰国する人も多いが、米国で働くかどうかは「本人の意志次第」と感じる。強い意志があれば道は開ける

海外就職インタビュー0041 大学・勤務共に日本から、香港のヘッジファンドで働き、経済的自由を得てシンガポールへ

さて、今回も昔からの友人なのですが、大学および最初の二社は日本で経験しヘッジファンドで成功したため経済的自由を得た方です。経済的自由を得てからはシンガポールで会社を作り、半分ほどの時間を自分にとって価値があると思う芸術等に時間を使う生活をしています。海外就職で括るには異例なのですが、本人曰く再現性はあると言っていて、ある程度は私も正しいと思います。ゴールを決めて調査をし、計画的に動く事で達成できるのですが、おそらくその一つ一つの精度がとても高い事と必要な研鑽を積む能力の高い事と意思決定の質が高い事が原因なのでしょう。自分が学生のうちのこういった話を聞いたら勇気付けられただろうなと思います。

 高校・大学時代

  • 地方のスポーツ強豪校に通学。海外経験は一切なし。
  • 大学から東京大学(経済学部)に入学し、卒業。
  • 学生時代は特に留学はせず、アルバイトで貯めたお金で毎月旅行。3年生の10月頃には就職活動を終え、一人旅を楽しむ。
  • 哲学やアートを趣味で勉強しており、自分の趣味を追求して哲学/アートの世界に行くか、楽しく自由でいい生活を送るためにビジネスの世界でお金を稼ぐか迷っていた
  • 哲学/アートの世界に行ってからビジネスに路線変更することは難しいものの、ビジネスから哲学/アートの道に転換することは人生経験を積むことでより魅力的な選択肢となることもあり、ビジネスの世界に最初に飛び込むことに決定


最初のキャリア:外資系コンサル

  • 「3年で辞めてMBA→ファンド就職」という計画をもとに外資系コンサルへ入社。
  • 入社後1年半ほどは仕事への適性に悩むも、徐々に業務をこなせるように。
  • 「残っても仕方ない」と2年程度で退社を決断。


証券会社への転職

  • ファンド業界などを知るために証券会社へ。
  • 転職後はヘッドハンターとのランチで情報収集を続け、PEやヘッジファンド、債券部門などからオファーを複数もらう。
  • 「カルチャー・人との相性」を最重視し、約2年かけて最終的に香港のヘッジファンドに転職。


香港のヘッジファンドで7年

  • 中高時代から「いつか海外で働こう」と思っていたので、自然な流れで香港へ。
  • 「30歳までには仕事のための仕事を辞める」予定が、子どもの誕生やメンターの存在などで7年在籍。
  • 途中で上司が辞めてしまったり香港のデモ、コロナなど変化があったものの、7年のうち半分くらいで「もう十分資産がある」と思える状態に。


シンガポール移住と現在

  • 子どもが大きくなったタイミングで香港の政治・社会状況の変化を受け、シンガポール移住を決定。
  • 自分で会社を立ち上げ、自分自身にビザを発行。
  • 金銭的に働く必要はなかったため、やりたい仕事に取り組みつつ、半分は収益性のある仕事、残り半分は芸術など「自分が価値あると思うこと」に割り当てて活動中。


キャリアは「再現性あり」と考える理由

  • 大学1年生からリサーチをして情報収集や人脈づくりを行い、自身に合う企業や職種を吟味。
  • 受験でも転職でも、必要な情報や手順を見極め、計画的に動くことでゴールに近づけると実感。
  • 海外ファンドなど現場情報が不足しがちな領域もあるが、本や伝記、ヘッドハンター等を活用し情報を積み重ねることが重要。
  • MBAを志向し、最速経路として外資コンサルを選んだのも、事前の情報収集から得た判断。(が、結局MBAの必要性はなくなり行かなかった)

2025年4月12日土曜日

海外就職インタビュー0040 カナダ・日本から米国MBA就職を経由し米国で起業

さて、今回はとても尊敬している人物のストーリーの紹介です。将来こうなろうと戦略的に設計し長期的にそれを実施した結果、米国MBA留学を通じて最終的に自分の大好きな分野で起業された方のストーリーを聞きました。一番印象に残った事としては、こんな着々を物事を進めていける人ですら大学院受験やビザ取得に人生を左右されることに心のどこかで精神的負荷を抱えていた事でした。不確実性を人生に取り込んでそれでも前に進んでいくには少し付加があるんだなってことに気付かされます。また、他の何人の方も言っていましたが、最初の就職で海外でも分かりやすい事はその後のある程度のタイミングまでは良い影響が期待できるという事でした。これは仕事選びの際には考慮する必要がありそうです。

 幼少期から大学卒業まで

・幼少期から関西で育ち、10代途中から親の転勤に伴いカナダへ移り、高校・大学をカナダで卒業。

・大学ではファイナンスを専攻。リーマンショックの影響でカナダでの就職が難しくなり、東京に住んでみたい思いもあって、ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)を利用し、日本の外資系証券会社に就職を決める。


アメリカ進出の構想とMBA取得

・カナダの市場規模に物足りなさを感じ「いつかはアメリカへ」というビジョンを持っていた。

・それを実現するために「MBAが最適解」と逆算し、投資銀行での経験を積むことを選択。

・激務の中、早朝と夜中の時間を使って、2月からMBA受験勉強を始め、スコアを早期に揃えて米トップ校にFirst Roundで合格。

・STEM扱いのプログラムを選んでOPTを3年にし、H-1B抽選(くじ引き)の機会を増やす戦略をとった。


起業とビザの確保

・MBA修了後はいったん企業に就職。しかし後に自身のビジネスを立ち上げ、「自分自身にビザを出す」形で米国在住を継続。

・大学院受験やビザ取得でそれによって人生が大きく変わってしまうため、常に心のどこかに精神的負荷を抱えていたが、自営業になったことで「納得いく商品を、納得いくビジネスパートナーと一緒に、納得いく顧客へ提供できることに」幸福感を得ている。

・趣味と仕事が融合した感覚があり、「今後は雇われる働き方に戻ることはない」と強く思っている。


海外キャリア構築アドバイス

・海外でも「誰もが知る企業」など、分かりやすいところに最初就職するのはメリットが大きい。転勤のチャンスや留学などへの好影響が期待できる。

・準備は必要だが、最終的には「自分を追い込む勇気と行動力」が重要。筋トレのように少しずつ力を付けていけば、大きな目標も実現可能。

2025年4月7日月曜日

海外就職インタビュー0039 離婚後39歳からNZ留学し、シンガポールへ就職

さて、国際協力関連のインタビューをひと段落して、39歳から大きく人生の転換をした方のケースの紹介です。離婚後、危機感から英語学習のためNZへ留学し、それから海外の就職を達成した方の例です。個人的には本当面白いインタビューで海外を目指す人のメッセージは読んでみて勇気をもらえるものがあると思います。また、自分の価値観の合う場所をシンガポールに見つけた事は本当素晴らしい事で、こうやって日本以外でも働け、自分がより良い人生を過ごせる場所を見つけられたのは財産だと思います。本人は特にすごくないと言っていましたが、冷静に自分の状況を分析し、リスクをしっかり見て考えた通りに動けるのは皆にできる事ではないと思います。

日本での生活とキャリアの転機

•九州で高校卒業まで過ごし、その後約20年は東京で生活。

•20代途中まで司法試験に挑戦するも不合格が続き、就職を選択。

•最初の職場は国際特許事務所で、定型文程度の英語を使う機会があったが、特段英語が得意というわけではなかった。

•35歳で離婚後、総務の仕事を再開。暇でやりがいがなく、危機感から「英語くらいできないと人生が詰む」と思い、英語学習を開始。


NZ留学から海外就職へ

•39歳でニュージーランド(NZ)へ語学留学。当初は約8か月の短期滞在後に外資系企業への転職を目指していた。

•しかし半年ほどで「思うように英語が伸びない」と痛感。海外就職を検討し始める。

•ビザ条件や英語圏、安全性などを考慮し、シンガポールへの就職を決意。日系エージェント経由で日系企業の総務・労務のポジションを得る。


シンガポール生活と定住への思い

•シンガポールで働いて10年以上経過。月1回程度の出張を伴う業務も経験。

•日本へ帰りたくない気持ちが強まり、「シンガポールはお金があれば楽しく暮らせる」し、周辺諸国への旅行も容易。

•一方、日本は「給料が低くピリピリしていて、サービスを受ける側には快適だが、働く側には窮屈」という印象。

•年齢に伴うビザ条件の厳しさはあるが、「可能な限りシンガポールに残りたい」と考えている。


海外を目指す人へのメッセージ

•「人生は一度きり。やりたいことはやるべき」

•リスクを過大評価せず、「やらないリスク」と比較してみる。

•海外に出ても「貯金が減る程度」で済むなら挑戦しない方が損と判断。

•シンガポールは安い食事選択肢が多く、生活コストの調整がしやすいが、お酒が高いのが唯一の不満。

2025年4月6日日曜日

海外就職インタビュー0038 日本の証券会社から英留学、アフリカ勤務を経由し国際協力の投資ファンドへ

さて、今回は10年程度日本の証券会社を経験し、国際協力の留学を経てアフリカで勤務、金融の知識を活かして国際協力の投資ファンドに勤務している方の紹介です。今までの国際協力関連の方もそうですが、基本的にポジションが数年単位で場合によっては国を越えて転職を重ねないといけない仕事のため常に市場価値を意識する視点が就くようです。

この方も差別化の大切さを言っていて、証券時代の経験や知識や日本式の詰めの甘さの少ないビジネスの進め方が差別化につながったと語っています。数年おきに転職をしないといけないという厳しい環境の中、冷静に自分の市場価値に向き合い、未来を見ながら研鑽を重ねる印象を受けました。


学生時代から新卒就職まで

• 高校まで: 関東の女子校で、海外は旅行経験のみ。

• 大学: 東京の私立大学で法学を専攻。国際協力への興味はあったが、具体的な方法が分からず、普通に4年で卒業した。

• 新卒: 証券会社に総合職として入社。当初は3年ほどでの退職を考えていたが、結果的に約10年勤務し、その間数年の海外駐在も経験。


海外大学院への転身とイギリス留学

• きっかけ: 駐在で海外生活を経験し、金融スキルも手に入れ自信がついたため、機は熟したと感じ国際協力への道を本格検討。

• 留学準備: 駐在中に約1年かけてTOEFLやEssayを準備。TOEFLは10回以上受験。エッセイは同僚の英語チェックを受けながら自力で執筆。

• イギリス留学: 開発学で名高い大学院に進学。コロナ禍で授業はオンラインが中心だったが、寮での共同キッチン生活を通じて多国籍の仲間と深く交流。


卒業後の就職活動とケニアでの開発業務

• 国際協力業界の就活: 数年契約が一般的。自分の市場価値が不明なため幅広く応募し、ケニア・東京・キルギスタンからオファー獲得。

• ケニア勤務: アフリカでの経験を優先し、ケニアへ。暮らしやすく人間関係も温かく、人生で一番充実していた時期。金融知識やビジネス経験を生かしつつ、政府との交渉などパブリックセクターの仕事を学ぶ。


転職と投資ファンド(アジア拠点)

• さらなるインパクト: 金融分野で具体的な開発インパクトを出したい思いから、国際機関の途上国向け投資ファンドへ転職。

• 現在: アジアに拠点を移し、アフリカのパブリックセクターへの投資業務に従事。同時にExecutive MBAに在籍してビジネスと金融を体系的に学び直している。


日本的ビジネス文化の強み

• 根回しや人を読む技術: 相手の意図を汲み取ったコミュニケーションは海外でも有効。

• 業務遂行力: デリバリーや納期管理のスキルも、外資や国際機関で重宝されていると実感。


長期的なキャリア展望

• 契約ベースの働き方: 数年おきにポジションを更新しながらキャリアを積むため、常に自分の市場価値を意識して仕事をしている。

• 生活拠点とのトレードオフ: 生活拠点が数年ごとに変わるため、今後はキャリアと家族・生活のバランスをどこかで調整していく可能性。


アドバイス

• パッションと差別化要素を持つ: 国際協力に直結しなくても、自分だけの強みがあれば大いに海外で活かせる。

• 金融知識の有用性: 本人の場合は証券会社時代の経験が、開発分野でも自分を際立たせる武器になった。

2025年4月5日土曜日

海外就職インタビュー0037 外資系投資銀行から英留学、アフリカのへき地を経てケニアで働く

 さて、今回は子どもの頃から希望を持っていた開発の方向へ人生のステップの中で色々なピースを集めながら進めた昔からの友人のストーリの紹介です。印象的だったのは新卒で開発関連の仕事を目指したもののうまくいかず外資系投資銀行へ勤務したこと、英大学院修了後は日本人が10人程度しかいないような国際協力の最前線へ三年もいた事です。正直海外で働く日本人の中でもかなりハードシップはかなり高いのではないでしょうか。そんな経験を評価され、現在はケニアで働いています。彼女も厳しい外資系投資銀行で働いた経験が活きていると言っていて、若いうちにエッジを身に着ける事の大切さを感じました。

学生時代と開発への興味

  • 高校まで: 関東在住。海外経験は家族旅行程度。祖父母の戦争体験を通じて「平和」への意識が育まれる。
  • 大学: 開発学および中国語を専攻(英語以外+国連公用語を考慮)。在学中、1年間の中国留学を経験し、農村部で教育支援のボランティアに参加。貧困問題に関心を持つ。
  • 開発学系の授業を多数履修し、フィリピン漁村で1か月ボランティアに従事。大学2年で「開発業界で働く」と決意。国連スタディツアーへの参加を通じ、国際機関で働くイメージを具体化する。

新卒就職:外資系投資銀行へ

  • 開発系企業を志望するも縁がなく、最終的に外資系投資銀行の営業・トレーディングとしてキャリアをスタート。
  • 数年間の勤務を通じ、世界のニュースと経済の繋がりを学ぶ貴重な体験を得る。
  • もともと「数年働いて資金を貯め、大学院へ留学する」というプランがあったため、長期勤続の予定はなかった。

イギリス大学院留学と都市開発の専門選択

  • 留学準備: 7月頃から勉強を開始し、12月にアプリケーション提出。翌年2~3月に合格通知を受け、夏に渡英。
  • 留学先選定: アメリカ留学は準備・費用の面でハードルが高いと考え、開発分野の強いイギリスの大学院へ。フィールドワークでウガンダへ派遣される。
  • 専攻: 過去のボランティア経験を踏まえ「都市開発」を選択。1年間のプログラムを通じ、専門知識と現場経験を積む。

卒業後の国連関連キャリア

1. インターン(東南アジア)

  • 大学院卒業直後に国連機関で3か月のインターンを実施

2. 初就職(西アフリカ)

  • 大使館がなく日本人が10人程度しかいない国へ3年間赴任。
  • 最初の1年: 日本政府派遣プログラムを活用。2年目以降: ODA資金を活用し、自身のポジションを確保。

•インフラが未整備(水・電気など)で、都市開発や災害復興、電化率改善プロジェクトに従事。

•「普通の暮らし」を送るだけでもハードルが多い僻地環境だったが、目の前に困っている人の役に立てる実感が大きく、開発業界での経験値として評価が高いと感じる。

3. ケニア勤務

  • JPO(Junior Professional Officer)制度で採用され、同じ組織内のポジションに自ら応募し続けて約3年。
  • ケニアはインフラや生活水準が高く、本部もあるため現場と本部双方の視点で働けるのが大きな利点。

JPO(Junior Professional Officer)について

各国政府が費用を拠出し、若手を国連機関へ派遣する制度。一定期間、国際機関のプロフェッショナル職として実務経験を積むチャンスを得られる。

現在と今後の展望

  • 国連予算削減の影響: 米国の拠出金減少によりポスト数が全体的に減少。
  • 家庭との両立の課題: プライベートを犠牲にしてきたため、今後は家族を優先することも考慮してキャリアと私生活のバランスに悩む。
  • フレキシブルな働き方: ロケーションを変えやすい働き方を模索し、「今のパートナーが別の国にいてもついていって仕事を探す」という選択肢を現実的に見据えている。

海外で働きたい人へのアドバイス

  • 国連に関して言うと、英語以外の国連主要言語はある程度できた方が有利
  • 固定観念に囚われることなく、異なるバックグラウンドから来る色んな価値観を楽しめる人が向いてる
  • 陽キャの方が圧倒的に良い

海外就職インタビュー0036 ビジネスの仕事から開発学の修士を経て米国、東南アジア、中東などの開発のキャリアへ

さて、今日から三日連続で国際開発関連の方々の紹介をしようと思います。まずは開発関連の仕事をしている女性の友人で、日本の大学就職を経て、米国で国際開発の修士を取り、そこから少しずつキャリアを進めていった方の紹介です。一人目の子どもが産まれた際は子連れ単身で東南アジアに転職したほどの強さを持つ方です。また、国際開発の仕事をしたいのであれば、専門性を絞って持つことの大切だとも言っていて私も同様に思っています。Do-gooderとはsomeone who does things that they think will help other people, although the other people might not find their actionsつまり、何か良い事をしようとするものの特に役に立たない人の事を言いますが、専門性を持って初めて仕事として役に立てると私は考えています。一般的な海外就職でも同様で場所が変わっても尖った専門性や強みのある人であることは大切ですね。


学生時代と留学のきっかけ

北海道出身。高校までは海外旅行の経験はあるものの、留学経験はなし。

大学進学を機に上京し、ビジネス・会計学を専攻。

4年次にアイルランドへ1か月の短期語学留学を経験。その後、東南アジアの発展途上国で1か月間のボランティア活動に参加。加えて、教育系NPOで学生職員として働く。

教育系NPOでの活動や途上国でのボランティア経験を通じて、社会課題の解決や国際協力に興味を持つようになる。


新卒就職と修士留学

大学卒業後、グローバル企業であれば海外と連携する機会があると考え、外資系ITコンサルティングファームに新卒入社。

コンサルタントとして働く中で、主に中国・米国とのプロジェクトに携わるものの、実際に海外に身を置きたいという思いが強まり、留学を検討。MBAはしっくりこなかったため、「International Business」と「International Development」の両方を学べる修士課程を選び、国際開発分野でのキャリアを志す。

約5年半の勤務を経て米国の大学院に進学し、国際開発とビジネスを専攻する修士課程を修了。


キャリアチェンジと外資コンサル勤務

修士課程修了後、国際開発関連の職を探したものの、すぐには希望するキャリアチェンジができず。

ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)を通じて外資系コンサルファームの米国東海岸オフィスからオファーを獲得し、H-1Bビザを取得して就職。

コンサルタントとしての勤務を続ける傍ら、人脈を広げ専門性を高めることで、将来的な国際開発分野へのキャリアシフトを模索。


国際機関でのキャリア

その後、国際機関に転職し、約7年間勤務。米国・東南アジア・中東など、さまざまな拠点で勤務。

第一子出産後も母子で赴任しながら仕事を継続。国際機関では、正規職員であっても有期雇用契約が一般的であり、多くの職員は空席に自ら応募してポジションを獲得する必要がある。そのため、常に新たなキャリアの機会を探し続ける必要があるが、これまでの実績と人脈が異動・昇進の大きな助けとなっている。

日本や米国の民間企業で培った専門スキルのみならず、仕事の進め方(プロジェクトマネジメント、問題解決、文書作成、分析、コミュニケーションなど)も、国際機関でのキャリアにおいて大いに役立っていると実感する。


家族とのライフバランスと今後

国際開発の分野は、世界各地に現場・拠点があり、地域や大陸を超えた異動が多い。そのため、パートナーのキャリアも含め、家族全員が納得できる勤務先・勤務地および働き方を模索し続けている。

‘’A career is a marathon, not a sprint’’ という言葉がある。これまでは短距離ダッシュを積み重ねるような働き方をしてキャリアを築いてきた傾向にあるが、今後は、長期的な視点でのマラソン型キャリアへとシフトする必要性を感じており、試行錯誤を続けている。


海外を目指す人へのアドバイス

海外勤務への興味や意志があるなら、まずは行動してみることが大事。最初から理想の仕事に就けなくとも、日本の外に出ることで自身の課題や目指す方向がより明確になり、結果的に理想の仕事に近づく可能性が高くなる。また、海外に出ることで考えが変わることも多い。実際に経験しないと結局(どう感じるかは)分からないと個人的には思っており、「出てみて違うと感じたら日本に戻る」という選択肢も、それはそれでありなのではと考える。

海外に出てから、自分の経歴に「私はXXの専門家です」ということが一見して分かるようなフラグを立てることの大切さを実感(いわゆる「専門性の確立」)。幅広く経験を積むことも重要だが、拠点を移すための入り口という意味では、ある程度専門性を絞ってアプローチしたほうが、キャリアの道が拓ける可能性が高いと感じる。

2025年4月2日水曜日

海外就職インタビュー0035 日本のマスコミ業から仏留学を経て「国、職種、業界」の全てを変え、欧州就職と起業

さて、今回は日本でマスコミで働いていた方がガラッとキャリアチェンジをしてパリで就職をして、マネージャーに昇進後、クロアチアで起業されたとても珍しい方です。MBA留学をすると色々な人が就職において「場所」x「業界」x「職種」の三つの軸を考える中で全て変えるのはかなり難しいと言われます。留学後の採用はポテンシャル採用が少ない中途採用であるため経験のない人は単純に採用されにくいです。場所が変われば言語の問題もあったりしてハードルが少し上がったりします。そんな中この方は三つ全てを変えて、その後マネージャーにも昇進する事で「職位」の四つ目まで変えるという稀有な方でした。ただ、本人曰くステップバックがやっぱりあったとの事でどの程度まで留学直後に変えるのかは自分で判断した方が良さそうです。キャリアの大きなピボットのきっかけとしての留学で成功例の方の話を聞きましたが、リアルな話を聞けました。アドバイスのところは特にリアルな声が出ているのでぜひ読んでみてください。


学生時代~大学院留学まで

  • 高校までは神奈川県で過ごし、大学は東京。3年生のときにアメリカへ1年間の交換留学を経験。

    • 留学では遊びと勉強のバランスがとれ、日本人の少ない学部に所属したことでアメリカ人や他学部の日本人と深く交流。

  • 大学5年目で卒業後、マスコミ業界に就職。働く中でデータサイエンスに興味を持ち、退職し2年間の修士留学を決意。

    • 学部時代がアメリカだったので、次はヨーロッパを選択。最終的にフランスの大学院で1年目に技術面、2年目にビジネス面での応用を学ぶ。

ヨーロッパでの就職とマネージャー職

  • 畑違いへの転職は苦労が多く、「あと1~2週間決まらなければ帰国しよう」というところまで追い込まれる

  • さまざまな企業にアプライした結果、パリのスタートアップでデータサイエンス関連の仕事を獲得。

  • 会社がオランダにビジネスを拡大する際に手を挙げ、マネージャーとして転勤。データサイエンスのトピックは同じながら、給料が大幅に上がったのは驚きだった。

クロアチアへの移住と起業

  • 2023年、旅行先で出会った相手と結婚を機にクロアチアへ引っ越し、自身の会社を立ち上げる

  • フリーランスでデータサイエンスの仕事を請け負い、当面は永住権取得までクロアチアに滞在予定。

  • 機会があれば国もキャリアも見直す方針で、柔軟に働き方を選択している。

キャリア観とアドバイス

  • 業界・職種・場所の3つを同時に変えるのは一般的に難しいとされるが、まったく不可能ではない。

    • 例えば「マーケティングからマーケティング寄りのデータサイエンス」のように、一部重なるスキルや分野があればよい。

    • キャリアや収入面で一時的にステップバックしても、3つ同時に変えたい人には選択肢となる。

  • ジャーナリズムとデータサイエンスの掛け合わせはまだ模索中。

  • 個人ブログでは歴史やビジネスを中心に執筆しており、今後も情報発信を続けたいと考えている。

  • ビザの問題が一番の障壁となる可能性が高い。きちんと下調べして、目処をつけてから海外に行くべき。現地の大学院を出てからだと現地企業から就労ビザのスポンサーを得やすいのでおすすめ。いきなり海外就職は難易度高め。

  • 世界一QOL高いと言っても過言ではない日本から敢えて出るのだから、生活のいろんなところでストレスを感じるのは当たり前。行政手続きが遅い、医者にかかれない、電車がこない、飯がマズイ…など。そんな時に解決してくれるのは金。クロアチアはいろいろ不便な国だが、自分は幸いじゅうぶんに稼いでいるので良いアパートに住めるし、高い日本食も買える。特に妻が出産を控えている時に高いお金を出してプライベートの産婦人医に診てもらえたのはよかった(パブリックの医者は質が悪いし待ち時間も長い)。自分はお金で精神衛生を保っている。だからこそちゃんと稼げる業界にいる必要がある。