2025年4月6日日曜日

海外就職インタビュー0038 日本の証券会社から英留学、アフリカ勤務を経由し国際協力の投資ファンドへ

さて、今回は10年程度日本の証券会社を経験し、国際協力の留学を経てアフリカで勤務、金融の知識を活かして国際協力の投資ファンドに勤務している方の紹介です。今までの国際協力関連の方もそうですが、基本的にポジションが数年単位で場合によっては国を越えて転職を重ねないといけない仕事のため常に市場価値を意識する視点が就くようです。

この方も差別化の大切さを言っていて、証券時代の経験や知識や日本式の詰めの甘さの少ないビジネスの進め方が差別化につながったと語っています。数年おきに転職をしないといけないという厳しい環境の中、冷静に自分の市場価値に向き合い、未来を見ながら研鑽を重ねる印象を受けました。


学生時代から新卒就職まで

• 高校まで: 関東の女子校で、海外は旅行経験のみ。

• 大学: 東京の私立大学で法学を専攻。国際協力への興味はあったが、具体的な方法が分からず、普通に4年で卒業した。

• 新卒: 証券会社に総合職として入社。当初は3年ほどでの退職を考えていたが、結果的に約10年勤務し、その間数年の海外駐在も経験。


海外大学院への転身とイギリス留学

• きっかけ: 駐在で海外生活を経験し、金融スキルも手に入れ自信がついたため、機は熟したと感じ国際協力への道を本格検討。

• 留学準備: 駐在中に約1年かけてTOEFLやEssayを準備。TOEFLは10回以上受験。エッセイは同僚の英語チェックを受けながら自力で執筆。

• イギリス留学: 開発学で名高い大学院に進学。コロナ禍で授業はオンラインが中心だったが、寮での共同キッチン生活を通じて多国籍の仲間と深く交流。


卒業後の就職活動とケニアでの開発業務

• 国際協力業界の就活: 数年契約が一般的。自分の市場価値が不明なため幅広く応募し、ケニア・東京・キルギスタンからオファー獲得。

• ケニア勤務: アフリカでの経験を優先し、ケニアへ。暮らしやすく人間関係も温かく、人生で一番充実していた時期。金融知識やビジネス経験を生かしつつ、政府との交渉などパブリックセクターの仕事を学ぶ。


転職と投資ファンド(アジア拠点)

• さらなるインパクト: 金融分野で具体的な開発インパクトを出したい思いから、国際機関の途上国向け投資ファンドへ転職。

• 現在: アジアに拠点を移し、アフリカのパブリックセクターへの投資業務に従事。同時にExecutive MBAに在籍してビジネスと金融を体系的に学び直している。


日本的ビジネス文化の強み

• 根回しや人を読む技術: 相手の意図を汲み取ったコミュニケーションは海外でも有効。

• 業務遂行力: デリバリーや納期管理のスキルも、外資や国際機関で重宝されていると実感。


長期的なキャリア展望

• 契約ベースの働き方: 数年おきにポジションを更新しながらキャリアを積むため、常に自分の市場価値を意識して仕事をしている。

• 生活拠点とのトレードオフ: 生活拠点が数年ごとに変わるため、今後はキャリアと家族・生活のバランスをどこかで調整していく可能性。


アドバイス

• パッションと差別化要素を持つ: 国際協力に直結しなくても、自分だけの強みがあれば大いに海外で活かせる。

• 金融知識の有用性: 本人の場合は証券会社時代の経験が、開発分野でも自分を際立たせる武器になった。

2025年4月5日土曜日

海外就職インタビュー0037 外資系投資銀行から英留学、アフリカのへき地を経てケニアで働く

 さて、今回は子どもの頃から希望を持っていた開発の方向へ人生のステップの中で色々なピースを集めながら進めた昔からの友人のストーリの紹介です。印象的だったのは新卒で開発関連の仕事を目指したもののうまくいかず外資系投資銀行へ勤務したこと、英大学院修了後は日本人が10人程度しかいないような国際協力の最前線へ三年もいた事です。正直海外で働く日本人の中でもかなりハードシップはかなり高いのではないでしょうか。そんな経験を評価され、現在はケニアで働いています。彼女も厳しい外資系投資銀行で働いた経験が活きていると言っていて、若いうちにエッジを身に着ける事の大切さを感じました。

学生時代と開発への興味

  • 高校まで: 関東在住。海外経験は家族旅行程度。祖父母の戦争体験を通じて「平和」への意識が育まれる。
  • 大学: 開発学および中国語を専攻(英語以外+国連公用語を考慮)。在学中、1年間の中国留学を経験し、農村部で教育支援のボランティアに参加。貧困問題に関心を持つ。
  • 開発学系の授業を多数履修し、フィリピン漁村で1か月ボランティアに従事。大学2年で「開発業界で働く」と決意。国連スタディツアーへの参加を通じ、国際機関で働くイメージを具体化する。

新卒就職:外資系投資銀行へ

  • 開発系企業を志望するも縁がなく、最終的に外資系投資銀行の営業・トレーディングとしてキャリアをスタート。
  • 数年間の勤務を通じ、世界のニュースと経済の繋がりを学ぶ貴重な体験を得る。
  • もともと「数年働いて資金を貯め、大学院へ留学する」というプランがあったため、長期勤続の予定はなかった。

イギリス大学院留学と都市開発の専門選択

  • 留学準備: 7月頃から勉強を開始し、12月にアプリケーション提出。翌年2~3月に合格通知を受け、夏に渡英。
  • 留学先選定: アメリカ留学は準備・費用の面でハードルが高いと考え、開発分野の強いイギリスの大学院へ。フィールドワークでウガンダへ派遣される。
  • 専攻: 過去のボランティア経験を踏まえ「都市開発」を選択。1年間のプログラムを通じ、専門知識と現場経験を積む。

卒業後の国連関連キャリア

1. インターン(東南アジア)

  • 大学院卒業直後に国連機関で3か月のインターンを実施

2. 初就職(西アフリカ)

  • 大使館がなく日本人が10人程度しかいない国へ3年間赴任。
  • 最初の1年: 日本政府派遣プログラムを活用。2年目以降: ODA資金を活用し、自身のポジションを確保。

•インフラが未整備(水・電気など)で、都市開発や災害復興、電化率改善プロジェクトに従事。

•「普通の暮らし」を送るだけでもハードルが多い僻地環境だったが、目の前に困っている人の役に立てる実感が大きく、開発業界での経験値として評価が高いと感じる。

3. ケニア勤務

  • JPO(Junior Professional Officer)制度で採用され、同じ組織内のポジションに自ら応募し続けて約3年。
  • ケニアはインフラや生活水準が高く、本部もあるため現場と本部双方の視点で働けるのが大きな利点。

JPO(Junior Professional Officer)について

各国政府が費用を拠出し、若手を国連機関へ派遣する制度。一定期間、国際機関のプロフェッショナル職として実務経験を積むチャンスを得られる。

現在と今後の展望

  • 国連予算削減の影響: 米国の拠出金減少によりポスト数が全体的に減少。
  • 家庭との両立の課題: プライベートを犠牲にしてきたため、今後は家族を優先することも考慮してキャリアと私生活のバランスに悩む。
  • フレキシブルな働き方: ロケーションを変えやすい働き方を模索し、「今のパートナーが別の国にいてもついていって仕事を探す」という選択肢を現実的に見据えている。

海外で働きたい人へのアドバイス

  • 国連に関して言うと、英語以外の国連主要言語はある程度できた方が有利
  • 固定観念に囚われることなく、異なるバックグラウンドから来る色んな価値観を楽しめる人が向いてる
  • 陽キャの方が圧倒的に良い

海外就職インタビュー0036 ビジネスの仕事から開発学の修士を経て米国、東南アジア、中東などの開発のキャリアへ

さて、今日から三日連続で国際開発関連の方々の紹介をしようと思います。まずは開発関連の仕事をしている女性の友人で、日本の大学就職を経て、米国で国際開発の修士を取り、そこから少しずつキャリアを進めていった方の紹介です。一人目の子どもが産まれた際は子連れ単身で東南アジアに転職したほどの強さを持つ方です。また、国際開発の仕事をしたいのであれば、専門性を絞って持つことの大切だとも言っていて私も同様に思っています。Do-gooderとはsomeone who does things that they think will help other people, although the other people might not find their actionsつまり、何か良い事をしようとするものの特に役に立たない人の事を言いますが、専門性を持って初めて仕事として役に立てると私は考えています。一般的な海外就職でも同様で場所が変わっても尖った専門性や強みのある人であることは大切ですね。


学生時代と留学のきっかけ

北海道出身。高校までは海外旅行の経験はあるものの、留学経験はなし。

大学進学を機に上京し、ビジネス・会計学を専攻。

4年次にアイルランドへ1か月の短期語学留学を経験。その後、東南アジアの発展途上国で1か月間のボランティア活動に参加。加えて、教育系NPOで学生職員として働く。

教育系NPOでの活動や途上国でのボランティア経験を通じて、社会課題の解決や国際協力に興味を持つようになる。


新卒就職と修士留学

大学卒業後、グローバル企業であれば海外と連携する機会があると考え、外資系ITコンサルティングファームに新卒入社。

コンサルタントとして働く中で、主に中国・米国とのプロジェクトに携わるものの、実際に海外に身を置きたいという思いが強まり、留学を検討。MBAはしっくりこなかったため、「International Business」と「International Development」の両方を学べる修士課程を選び、国際開発分野でのキャリアを志す。

約5年半の勤務を経て米国の大学院に進学し、国際開発とビジネスを専攻する修士課程を修了。


キャリアチェンジと外資コンサル勤務

修士課程修了後、国際開発関連の職を探したものの、すぐには希望するキャリアチェンジができず。

ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ)を通じて外資系コンサルファームの米国東海岸オフィスからオファーを獲得し、H-1Bビザを取得して就職。

コンサルタントとしての勤務を続ける傍ら、人脈を広げ専門性を高めることで、将来的な国際開発分野へのキャリアシフトを模索。


国際機関でのキャリア

その後、国際機関に転職し、約7年間勤務。米国・東南アジア・中東など、さまざまな拠点で勤務。

第一子出産後も母子で赴任しながら仕事を継続。国際機関では、正規職員であっても有期雇用契約が一般的であり、多くの職員は空席に自ら応募してポジションを獲得する必要がある。そのため、常に新たなキャリアの機会を探し続ける必要があるが、これまでの実績と人脈が異動・昇進の大きな助けとなっている。

日本や米国の民間企業で培った専門スキルのみならず、仕事の進め方(プロジェクトマネジメント、問題解決、文書作成、分析、コミュニケーションなど)も、国際機関でのキャリアにおいて大いに役立っていると実感する。


家族とのライフバランスと今後

国際開発の分野は、世界各地に現場・拠点があり、地域や大陸を超えた異動が多い。そのため、パートナーのキャリアも含め、家族全員が納得できる勤務先・勤務地および働き方を模索し続けている。

‘’A career is a marathon, not a sprint’’ という言葉がある。これまでは短距離ダッシュを積み重ねるような働き方をしてキャリアを築いてきた傾向にあるが、今後は、長期的な視点でのマラソン型キャリアへとシフトする必要性を感じており、試行錯誤を続けている。


海外を目指す人へのアドバイス

海外勤務への興味や意志があるなら、まずは行動してみることが大事。最初から理想の仕事に就けなくとも、日本の外に出ることで自身の課題や目指す方向がより明確になり、結果的に理想の仕事に近づく可能性が高くなる。また、海外に出ることで考えが変わることも多い。実際に経験しないと結局(どう感じるかは)分からないと個人的には思っており、「出てみて違うと感じたら日本に戻る」という選択肢も、それはそれでありなのではと考える。

海外に出てから、自分の経歴に「私はXXの専門家です」ということが一見して分かるようなフラグを立てることの大切さを実感(いわゆる「専門性の確立」)。幅広く経験を積むことも重要だが、拠点を移すための入り口という意味では、ある程度専門性を絞ってアプローチしたほうが、キャリアの道が拓ける可能性が高いと感じる。

2025年4月2日水曜日

海外就職インタビュー0035 日本のマスコミ業から仏留学を経て「国、職種、業界」の全てを変え、欧州就職と起業

さて、今回は日本でマスコミで働いていた方がガラッとキャリアチェンジをしてパリで就職をして、マネージャーに昇進後、クロアチアで起業されたとても珍しい方です。MBA留学をすると色々な人が就職において「場所」x「業界」x「職種」の三つの軸を考える中で全て変えるのはかなり難しいと言われます。留学後の採用はポテンシャル採用が少ない中途採用であるため経験のない人は単純に採用されにくいです。場所が変われば言語の問題もあったりしてハードルが少し上がったりします。そんな中この方は三つ全てを変えて、その後マネージャーにも昇進する事で「職位」の四つ目まで変えるという稀有な方でした。ただ、本人曰くステップバックがやっぱりあったとの事でどの程度まで留学直後に変えるのかは自分で判断した方が良さそうです。キャリアの大きなピボットのきっかけとしての留学で成功例の方の話を聞きましたが、リアルな話を聞けました。アドバイスのところは特にリアルな声が出ているのでぜひ読んでみてください。


学生時代~大学院留学まで

  • 高校までは神奈川県で過ごし、大学は東京。3年生のときにアメリカへ1年間の交換留学を経験。

    • 留学では遊びと勉強のバランスがとれ、日本人の少ない学部に所属したことでアメリカ人や他学部の日本人と深く交流。

  • 大学5年目で卒業後、マスコミ業界に就職。働く中でデータサイエンスに興味を持ち、退職し2年間の修士留学を決意。

    • 学部時代がアメリカだったので、次はヨーロッパを選択。最終的にフランスの大学院で1年目に技術面、2年目にビジネス面での応用を学ぶ。

ヨーロッパでの就職とマネージャー職

  • 畑違いへの転職は苦労が多く、「あと1~2週間決まらなければ帰国しよう」というところまで追い込まれる

  • さまざまな企業にアプライした結果、パリのスタートアップでデータサイエンス関連の仕事を獲得。

  • 会社がオランダにビジネスを拡大する際に手を挙げ、マネージャーとして転勤。データサイエンスのトピックは同じながら、給料が大幅に上がったのは驚きだった。

クロアチアへの移住と起業

  • 2023年、旅行先で出会った相手と結婚を機にクロアチアへ引っ越し、自身の会社を立ち上げる

  • フリーランスでデータサイエンスの仕事を請け負い、当面は永住権取得までクロアチアに滞在予定。

  • 機会があれば国もキャリアも見直す方針で、柔軟に働き方を選択している。

キャリア観とアドバイス

  • 業界・職種・場所の3つを同時に変えるのは一般的に難しいとされるが、まったく不可能ではない。

    • 例えば「マーケティングからマーケティング寄りのデータサイエンス」のように、一部重なるスキルや分野があればよい。

    • キャリアや収入面で一時的にステップバックしても、3つ同時に変えたい人には選択肢となる。

  • ジャーナリズムとデータサイエンスの掛け合わせはまだ模索中。

  • 個人ブログでは歴史やビジネスを中心に執筆しており、今後も情報発信を続けたいと考えている。

  • ビザの問題が一番の障壁となる可能性が高い。きちんと下調べして、目処をつけてから海外に行くべき。現地の大学院を出てからだと現地企業から就労ビザのスポンサーを得やすいのでおすすめ。いきなり海外就職は難易度高め。

  • 世界一QOL高いと言っても過言ではない日本から敢えて出るのだから、生活のいろんなところでストレスを感じるのは当たり前。行政手続きが遅い、医者にかかれない、電車がこない、飯がマズイ…など。そんな時に解決してくれるのは金。クロアチアはいろいろ不便な国だが、自分は幸いじゅうぶんに稼いでいるので良いアパートに住めるし、高い日本食も買える。特に妻が出産を控えている時に高いお金を出してプライベートの産婦人医に診てもらえたのはよかった(パブリックの医者は質が悪いし待ち時間も長い)。自分はお金で精神衛生を保っている。だからこそちゃんと稼げる業界にいる必要がある。