2025年3月8日土曜日

海外就職レポート0022 アメリカへ留学し製造業から教育分野へキャリア転換

さて、今回は日本の大学に在学中に自身で働きお金を貯め留学、そこからアメリカで働き始めた方の話です。特に印象的だったのは最初は製造業でキャリアを積みつつ教育分野へピボットをした事、またMBA、教育学修士、ブロードレジデンシーなど多様な教育機会を得て積み重ねる事によりキャリアを切り開いている事でした。私も継続的に変化する時代に合わせて勉強をし続けたいと強く思えるインタビューでした。


首都圏の地方公務員の家に生まれ、中学1年生まで英語を学んだ経験はなかったものの、英語は好きな科目だったので熱心に勉強を続けてきた。しかし、帰国子女と同等の英語力を6年間の学習で身につけるのは難しいと感じ、いつか留学したいと思うようになる。大学在学中にアメリカへ1年間の交換留学を経験した際、「やろうと思えばできる」と感じると同時に、「1年では物足りない」と強く思った。


そこで、外資系法律事務所でアルバイトしながら英語を使って資金を貯め、職務経験がなくても受け入れてくれるMBAプログラムを見つけて再渡米。修士課程では2学期目からティーチング・アシスタント(TA)の職を得ることができた。偶然、ジムの前で話した教授がTAの募集を紹介してくれ、翌年も縁があって継続できた結果、学費がほぼ免除になり、多少の給与も得られたため、経済的に支障なく卒業できた。


卒業後は漠然と「日本に帰りたくない」という思いもあり、日系の製造業企業に就職してアメリカで6年間勤務。しかし製造業が自分に合っていないと感じ、転職を考え始める。当時はH-1Bビザのスポンサーが必要だったため、スポンサー企業を探していたところ、教育関連のNPOが日本人を募集していると知り、オファーを受けてビザの切り替えを待ちながら数か月間は前職に留まった。NPOではプログラム運営やファイナンスを含むさまざまな業務を担当し、8年ほど働いたが、そのNPOがM&Aで買収された後にカルチャーが合わず辞職。その後は教育系のキャリアを積み重ね、近年はおよそ50~60校の公立学校が属する学区で学力テストの管理を中心に担当。現在はオペレーション部門にて、学区内におけるプロセス標準化の推進をする業務を進めている。


The Broad Residencyへの参加と現職での取り組み

この教育分野への本格的な転身にあたっては、アメリカの公教育に特化したリーダーシップ育成プログラムである「The Broad Residency in Urban Education」に参加した経験が大きく貢献した。多様な背景の人材と共に学ぶ中で、教育行政の戦略立案やチームマネジメントに必要なスキルを身につけるとともに、自身のキャリアに対する自信が高まり、またプログラムの一環で教育学修士も取得した。現在の学区では大規模な改革プランが進められており、すべての生徒が質の高い学校やカリキュラムに公平にアクセスできるようにする「Rebuilding Stronger」というプロジェクトに携わっている。改革においては、計画準備の段階で学区全体の学力テストや調査データを分析し、コロナ前後の在籍状況を把握する、保護者としての視点を共有するといった面でリーダーシップを発揮している。


保護者としての視点とモチベーション

さらに、自身も子どもを同じ学区に通わせる保護者として、学区が着実に良くなっていることに喜びを感じる一方、「すべての生徒に成功の機会を届ける」という使命感を持って改革に取り組んでいる。学校現場や保護者の視点を踏まえながら教育改革に関われることが大きなモチベーションになっている。


ビザについて

約20年前のH-1Bビザは、制限数に達するまで1か月以上かかることが多く、比較的取得しやすい時代だった。当時のタイミングで思い切って行動したのは正解だったと思っている。


アドバイス

実現したいことが複数ある場合、それらを一度にすべて満たすのは難しい。例えば3つ条件があるなら、2つ満たせれば思い切って飛び込んでみるというマインドセットが大事だ。まず2つを満たしてから、残りの1つを埋めにいく方法もあるため、最初から完璧を求めすぎずに行動を起こしてほしい。

 

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