2025年3月31日月曜日

海外就職インタビュー0034 様々な苦境をねじ伏せパートナーとともに米国で勤務

さて、今回は正直特殊な能力がある事は否めない人なのですが、ご紹介しようと思います。参考になるのは、配偶者の労働の権利まで会社が面倒を見てくれる会社を見つけた事とUS撤退という逆境の中でもうまく交渉をして米国勤務を引き出す交渉力ですね。また、こういった特殊な能力のある方でも大学を卒業する事の大切さを説いている事も多くの人へのメッセージとして意味があると思います。

渡米のきっかけと当初の予定

  • 24歳まで地方の実家から大学に通い、修士を終えて博士課程に進むつもりだった。
  • 未踏というプロジェクトで出会った仲間の誘いを受けシリコンバレーを訪問し、各社のオフィスを見学。
  • 当初は大学院進学を考えており、「働くつもりはなかった」が、日系メガベンチャーの米国オフィスでタイミングが合い採用される。


キャリアの変遷:日系メガベンチャー → 転職

  • 入社後1か月でUS撤退が決まったが、一時日本に帰国して成果をちゃんと出したのち、交渉の末に米国勤務を再開。
  • エンジニアとしてハッカソンなどで受賞し、同社に在籍していたが、上司が異動になったタイミングで就職活動を再開。
  • 配偶者も含めてビザ面を考慮してくれる日系ベンチャーに転職。
    • 通常のH-1Bでは配偶者は働けないため、配偶者の労働も含めて福利厚生の一環と考えてくれたのは大きかった。
  • その後、配偶者が就職して配偶者のスポンサーでグリーンカードを獲得し、米国で働き続けている。

フリーランスとしての取り組み

  • ビザの期限や制限により、アメリカに残りたくても残れない人が多い現状に直面。
  • 彼らを将来的に受け入れ支援できるようになりたいとの思いから、日本企業のサポートを行うフリーランス業にも取り組んでいる。

初めての独立生活がサンフランシスコ

  • 実家暮らしが長く、生活費の支払いや一人暮らしの基礎知識が乏しかったため、サンフランシスコでの生活自体が大きな挑戦だった。
  • 例えば、電気代の請求が来たら払わなければいけない、という感覚がまったくなかったほど。

若者へのアドバイス

  • 「大学は中退せずに卒業しておく」ことが重要。ビザ取得の面でも大卒資格が有利になるため、まずは卒業したほうが良い。
  • 職歴と学歴が一致すればアメリカで働くのは十分可能なので、大学卒業と職歴形成を両立させるのがおすすめ。

海外就職インタビュー0033 USCPAを取り、日本からアメリカへ直接転職

さて、今回の方は、多分ビジネス系では珍しく日本から直接アメリカに就職をしたパターンです。多くの場合は同じ企業内でアメリカ本社に転勤したり、大学院等を経由する事が多いのですが、今回は珍しくアメリカに直接転職した例です。USCPAを持っている事がその信頼の担保につながっていると思ういます。

大学時代まで

  • 関東で生まれ育ち、関西の私立大学に進学。中高でテニスに打ち込み、大学卒業まではほぼ日本で生活。

  • 大学では心理学を専攻し、3年生のときに約3か月カナダへ短期留学。この経験を通じて「なんとなく海外に出たい」という想いが芽生え始める。

メガバンク就職と転機

  • 大学卒業後、メガバンクに新卒入社。しかし、在籍中にコロナ禍が起き、海外駐在だった先輩たちが続々と帰国する様子を目の当たりにする。

  • 銀行内で王道の海外駐在を目指すには8~10年ほど経験が必要と知り、「30歳になってもまだ海外に行けないかも…」と将来を不安視。

  • 「ただ口だけで『海外に行きたい』と言い続ける人にはなりたくない」という思いから、銀行外への転職を検討し始める。

独立行政法人での経験とUSCPA取得

  • 海外関連の仕事を探す中、東京ベースの独立行政法人が3年間の契約職員を募集していることを知り応募。合格を機に初めて関西から東京に生活拠点を移す。

  • メガバンク在籍時から勉強していたUSCPA(米国公認会計士)を、独立行政法人で働きながら取得。

  • USCPA合格後、「アメリカに行こう」と決意し、会計関連のポジションを探すうちに1年半の有期雇用でアメリカへ渡るチャンスを得る。

アメリカでの会計キャリアとグリーンカード

  • 渡米後、会計事務所で働き始めて約2年半が経過。

  • その間、交際相手(パートナー)がグリーンカード(GC)のサポートを受けることになり、自分もそのプロセスに便乗する形でEAD(就労許可)を取得。

  • 現在はEADを使って、自身の知見を発信する活動もスタート。ビザの制限をクリアしつつ、副収入も得られるため、さらなるキャリアの可能性を模索中。

今後の展望

  • 大企業よりは比較的小規模な会社で会計のキャリアを深めながら、専門分野の情報発信も続け、何か新しい組み合わせを探していきたいと考えている。

アドバイス

  • リスクを考えすぎると行動できなくなるため、必要最低限の備え(例:TOEIC高得点やUSCPAなど分かりやすい武器)を磨き、リスクを取って動き出すことが大切。

  • 「まずは行動に移す」ことで、キャリアの可能性を広げられると強調している。

2025年3月30日日曜日

海外就職インタビュー0032 米国学部留学から、インターンを活かして米国での就職からのグローバルなキャリアへ

さて、今回は比較的難しいと言われている大学学部の留学からアメリカに無事残り、その上日本、インド等のグローバルなキャリアに発展させていった方の話です。本人も言っていますが、将来の目的のためにパズルのピースを少しずつ集めて積み重ねていったので出せた結果だと思います。特に興味深かったのはInternational student officeで働くことで知見を蓄えた事とCo-opという長期インターンを元々高校生の時から視野に入れて学校選びをしたことじゃないかと思っています。これだけ長期的に戦略的に積み重ねられる人も多くなく学ぶこともかなり多そうです。

海外でキャリアを築くまでの道のり。大学時代から海外で働くことを意識し、インターンや実務経験を積みながら、最終的にアメリカでの就職を実現。これまでの経験を振り返りながら、海外で働くために大切だと感じたことのまとめ。

学生時代のインターンとビザへの知識獲得

  • アメリカの大学在学中、International Student Officeで働きながら、就労ビザやOPTの制度について深く学べたことは、その後の立ち回り方に影響した。
  • 同大学の強みである「Co-op(長期インターン)」を通じて製造業とIT企業で半年間ずつインターン。Co-opは企業と学生の相互フィットを確認できる良い仕組みと同時に留学生として専攻と関係のある職歴が得られる貴重なシステム。

ボストンキャリアフォーラムでの採用獲得

  • 大学院卒業後、ボストンキャリアフォーラムに参加し、外資IT企業のブースにウォークインでアプローチ。STEM専攻だったためOPTが2.6年間(2025年現在は3年)使えたこともあり、アメリカでのポジションを希望しながら交渉を重ねた。結果的に、採用担当者から「Co-opの経験が目に留まった」と評価され、アメリカでの勤務が決定。

グローバルなキャリア展開

  • アメリカでの勤務を経て、さらなる成長の機会を求めて東京オフィスに2年間赴任。その後、発展途上国のビジネスに興味があったため、インドに2年間部署異動。インドでは規制の複雑さや競合スピードの激しさなど、基礎的課題が多い環境で多くを学んだ。
  • 帰国後は日本で物流部門からデジタル製品の経営企画へと業務を移行し、より広い視点でのビジネス運営に関わるように。数年前に再びアメリカの物流部門の経営企画へ再び異動し、グリーンカードを取得。

現在の職場と今後の展望

  • 現在の会社では、新たな分野への挑戦がしやすく、興味のある領域に積極的に関わることができる環境だと思っている。業務の幅が広がるにつれて「やりたいことが尽きない」と感じることも多く、成長の機会に恵まれていると実感。こういった点に魅力を感じているが同時に固執はしないように心がけている。

海外就職を目指す人へのアドバイス

  • 「棚ぼた」的にチャンスが舞い込むわけ機会は少ない(特にアメリカは就労ビザ制度を現状を鑑みると)。強い意志と試行錯誤、継続的な計画が不可欠。
  • 高校生の頃から“アメリカで働きたい”という漠然とした夢を抱き、長期的ビジョンを少しずつ形にしてきた。
  • 「筋トレと同じで、いきなり重いウェイトは上げられない。徐々に力をつけて成長していくプロセスが大切」

海外就職インタビュー0031 PhD後、Twitterを通じてポスドクのポジションを確保

さて、今回もポスドクの方なのですが、日本でPhDを取りポスドクを探すのにX/Twitterで発信しそこから海外の研究室でポジションを見つけた方の話です。ポスドクの方が海外に仕事を見つける話は結構聞いてきたのですが、X/Twitterを通じて職探しをして見つけた方は初めてだったので聞いていてとてもわくわくする内容でした。どういったポイントについても気を付けるのかも聞けたので興味がある方は見てみる事をお勧めします。

日本での研究生活と海外志向

  • 学部~博士号取得: 東京で育ち、海外留学や短期渡航もなく、最長でも国際学会の2週間が限度。

  • ライフサイエンス系の研究を専門とし、博士課程修了後はポスドクを検討。

  • 海外への興味: 「研究の最先端=海外」という漠然とした想いと、ポスドクが最後の海外進出チャンスかもしれないとの考えから行動を開始。

X(旧Twitter)を活用したポスドク探し

  • 募集発信: X上で「自分の研究内容とスキルを明示し、ポスドク先を探している」と英語で投稿。

  • 結果: 世界各地の5つほどの研究グループから連絡があり、Zoom面談を経て、最終的に現在の研究室に決定。

    • もともと論文を読んでいた馴染みのある研究室だったことも大きい。

  • 成功要因: プロフィールに自分の得意技術を明確に記載し、PIが「合うかもしれない」と判断できるようにした。

    • 論文の質だけでなく、「行動力+運+タイミング」が重なったと感じている。

X(旧Twitter)活用のメリット

  • アカデミックな層も多く利用しているため、求人や人脈づくりに意外と有力。

  • ダメ元で試してみたが、求人誌(Scienceなど)に比べてもチャンスがあったと実感。

  • 最初の論文が出たタイミングでアピールし、同分野の研究者との繋がりを広げられた。

将来の展望とアドバイス

  • アカデミア継続希望: アメリカを中心に応募先は多いが、家族が馴染める環境かどうかも重要。

  • 免許は早めに: 海外の生活や研究先で車が必要になるケースがある。

  • 英語の準備: ボスから「話すのが遅い」と指摘されるなど、語学力は現地に来てからも伸ばす必要がある。

  • 研究室選び: シニア大御所ラボはハードルが高い場合も多く、新設の研究室や立ち上げたばかりのプロジェクトを狙うのも良策。

  • Xの使い方: 言語別アカウントを分けたり、研究内容を分かりやすく固定ツイートするなど、戦略的に活用することがおすすめ。

  • 研究者向けの留学フェローシップが他国に比べて比較的充実していると思うので、それを利用するのも良いと思う。

2025年3月24日月曜日

Stanford Medicine ヘルスケアITの修士へ 仕事・家事・育児・アイアンマンのトレーニングをしながら


(スタンフォード大のキャンパスを一望できる丘の上から)

はじめに

先日、Stanford Medicineが提供するヘルスケアITの修士のプログラムに合格しました。医療とビジネス、テクノロジーが融合した1年間の社会人向け修士課程で、忙しい働き盛りの方々が集まる充実した学習環境だと聞いています。ここでは、私が出願を決めた経緯や準備の進め方、家族との関わり合いを中心に振り返ってみたいと思います。

出願を決めたきっかけ

きっかけは「知的労働者としての仕入れ」としての学習を毎年欠かさず行う習慣があったからです。新しい知識や視点を取り入れることで、日々の仕事や生活の質を高められる—そんな思いから、少しまとまった時間をつくっては学びの機会を探すようにしていました。

医療とテクノロジーが融合する世界は今後ますます発展しそうですし、ちょうどベイエリアに住んでいることもあって、スタンフォード大学の先端的な取り組みを直接吸収できるプログラムは自分にとって最適だと感じました。そこで5月頃から具体的に情報収集を始め、11月の締切に向けて動き出したのです。スタンフォード大学以外は受けず、もし落ちる事があったらもう一年後に受ければ良いかなと思っていました。

忙しい日々における効率的な準備

早朝トレーニング中に:問いを立て、運動しながら答えを探す

基本的に毎日は子どもが起きる前の早朝の運動から始まります。11月の締め切りに並行して10月末にあるアイアンマンの大会のゴールに向けてトレーニングをしていました。時間が限られている事もあり、出願の準備期間中は思考の時間としても活用するようになりました。運動前に「CIMプログラムでの学びをどう活かすか」「エッセイの構成をどうまとめるか」など一つの問いをあらかじめ設定しておき、走ったり、自転車に乗ったりしながら頭の中でじっくり考えます。アイデアが浮かんだタイミングで一度立ち止まり、スマホに音声メモを録音。その後、また運動に戻る—というサイクルを繰り返すことで、体を動かしつつ頭の回転も高めることができました。また、10月末のアイアンマンも13時間台と早くはないですが、足の爪が取れるくらいで大きなけがもなく無事完走できて良い思い出になりました。

週末の隙間時間:カフェや屋外でので短時間集中

子どもの週末の習い事に送った後など場所を選ばず、20~30分程度の短時間集中を行うのも効果的でした。エッセイの一部分を書き進めたり、提出書類のチェックをしたりと、大きなタスクを小さく分割して取り組むと意外と進捗が得られます。騒がしすぎないカフェは程よい雑音が集中を促す環境でもあり、数十分でも集中できればその日の目標を達成できることが多かったです。

夜:子どもが寝た後のエッセイカウンセラーとの打ち合わせ

一日の締めくくりには、子どもを寝かしつけてからの時間を活用しました。出願エッセイは内容の推敲が重要だったので、MBA時代にお世話になったエッセイカウンセラーにオンラインで相談しながら推敲を重ねました。昼間に書いたドラフトを共有し、専門的な視点で論旨の流れや言い回しをチェックしてもらうことで、最小限の時間でも効率良くクオリティを引き上げられたと感じています。

家事・育児の負担分担と信頼貯金

家事や育児は妻と共に分担し、仕事と並行して無理のないペースで準備を進めるよう心掛けました。出願中だからといって丸投げするくらいなら修士への受験はやめれば良いし、実際にプログラムが始まってからは回らないだろうと思ったからです。

そこで、普段どおり朝の支度や子どもの送り迎え、家事全般をできるだけこなしつつ、隙間時間を見つけて作業するというスタイルを徹底しました。妻も「無理しすぎないでね」と声をかけてくれましたが、なるべく受験準備のための負担を増やさないように意識した形です。また、無事に合格した今は、授業が始まってからも妻の負担が増えすぎないよう、合格までに貯める予定の信頼貯金を活用したり、外部のシッターさんにお願いしたりしようとしています。私がさらに家事や育児を積極的にこなす期間を作って、これから始まる新生活でも家族みんなが納得できるよう調整するつもりです。あくまで家族全員の幸福を最大化する事を基準にしたいと思っています。

書類提出後の流れ:ビデオ録画インタビューと面接

締切の11月中旬に出願を完了し、ほっと一息ついたのも束の間、数日後にはビデオ録画インタビューの案内が届きました。録画に際しては撮り直しも得に必要なく、翌日には一気に撮影を済ませて提出。そこからさらに二週間後にはオンライン面接がありました。志望動機や仕事上の経験、将来のビジョンなどを問われる時間で、手応えを感じつつも、合否がどうなるかは読めない不安も人なので少し残ります。面接後は再び静かな待機期間に入り1月末まで何も連絡がない状態が続きました。元々1月二週目までに連絡しますと面接中は言われたもののウェブサイトを見たらしれっと一月中に連絡すると変わっていて、待つ期間が増えました。

不安はほとんどなし:まず基準を理解する

出願時、私は大きな不安を感じることはありませんでした。もちろん合否に対する緊張感はありましたが、「どのような人材を求めているか」を把握したうえで、自分の強みをどうアピールするかを考えればいいだけだと割り切ったからです。足りない部分を過剰に取り繕うよりも、これまで培ってきた知識や経験をいかに合理的に伝えるかに注力したほうが効率的だと感じました。

実際、必要書類をリスト化し、エッセイも要件に沿って焦点を絞り込むことで、準備時間そのものは合計20時間に満たないほどでした。隙間時間をうまく活用して短期集中すれば、フルタイムで仕事や家事・育児をしながらでも十分に対応できると実感しています。

合格通知を待つ日々と、その瞬間

それから約2か月ほど過ぎても何の音沙汰もなく、年が明けてからも「まだかな、まだかな」とそわそわする期間が続きました。私自身はRedditの匿名掲示板で他の受験生たちと情報交換しつつ、互いの気持ちをなだめ合い、会社の同僚にはまだ伝える段階ではないと判断して、妻に「何も連絡が来ないよね…」と愚痴をこぼす日々でした。

そして1月31日の夕方、ギリギリのタイミングで「Application Statusに変化がありました」とのメールが届き、急いでログインしてみると“Congratulations”の文字が目に飛び込んできたのです。画面にはクラッカーのようなアニメーションが表示され、思わず両手を挙げて「やった!」と小さく叫んでしまいました。その足で別の部屋に行き、在宅勤務中の妻に「受かったよ!」と報告しました。

その直後、あらかじめ準備してああった「お世話になった人たち」へ順番に合格の報告とお礼のメッセージを送りました。カウンセラーや卒業生、友人など多くの方が協力してくださったので、そのお礼を伝えるのは合格後に最初にやりたかったことの一つです。

プロセスから学んだこと

  1. 過去の経験と蓄積を最大限活かす
    自分に不足しているものを無理に飾り立てるのではなく、これまで積み重ねてきた実績や知識をどれだけ効果的に伝えられるかに注力するほうが合理的だと感じました。

  2. 今までの信頼を使ったや新しい人との出会をを通じた営業的アプローチ
    在校生や卒業生、さらにはプログラム関係者に積極的にコンタクトを取り、こちらの真剣さや魅力を伝えることも大切です。書類だけでは伝わりにくい人間性や意欲を、会話を通じてアピールするのは有効でした。

  3. AI(特に音声対話)を使った思考の深掘り
    自分の考えを客観的に見直すには、AIとの音声対話形式のやりとりも有用です。疑問点を投げかけてみることで、新たな視点を得たり、自分の主張に補足できるアイデアを得たりしました。

  4. 隙間時間の徹底活用
    仕事・育児と両立するには、一度に長時間確保する事は実質不可能です。早朝・昼休み・子どもが寝たあとの夜など、細切れでも集中すればエッセイや書類準備は十分に対応可能でした。また頭のどこかに論点を持って思考を温めておくといった事も有効だったと思います。

2025年3月23日日曜日

海外就職インタビュー0030 PhDから米国へ、その後Meta社で研究職

さて、前回に引き続きPhDからアメリカに残った方のお話です。特にMeta社で研究をするというとても珍しいキャリアの方ですが、そんな方でもPhD中は中々経済面の困難さがあり、銀行口座がマイナスになったというエピソードが印象的です。また、日本人はダメなら帰れる母国があると言っている事もまさしくそうだなと同意します。たまに日本に対して悲観的な意見を見たりしますが、それでも経済大国であることは事実であり、英語がある程度できるのであれば仮に海外に出てうまくいかなくても帰国して仕事を見つける事は難しくないでしょう。また、おそらく経済的な魅力は相対的には下がっていくの今まだ魅力があるうちに出ていく事も良い選択肢だと思います。

背景とこれまでの経歴

  • 幼少期から中学卒業まで、3~4年おきにスコットランド、イタリア、イギリスと日本を行き来しながら過ごす。高校・大学は日本で在学し、東京の大学では都会生活の閉塞感を感じる一方、卒業後は給料が出るPhDコースを検討。
  • その間、半年のギャップイヤーを利用してインドへ渡航。友人から「人を募集しているインドの掲示板」を紹介してもらい、バンガロールのスタートアップを見つけ、生活費込みでオファーを獲得。 “インドのシリコンバレー”と呼ばれる現地のITビジネスを肌で体験する。

アメリカでのPhDと研究生活

  • インド滞在中にアメリカの大学からPhD合格通知を受け、日本に少し寄った後に渡米。
  • 最終的に約6年かけて神経科学の「Brain Computer Interface」分野で博士号(PhD)を取得。
  • RA(研究助手)として働きながら研究を続ける典型的な博士課程の進路を辿ったが、経済的な厳しさが最も大きな課題だった。歯科治療費を支払った際に銀行口座の残高がマイナスになったこともあるが、株トレで生き延びた。研究自体は楽しく、同僚にも恵まれていた。

卒業後のキャリア選択とMetaでの活躍

  • 博士課程修了時、アカデミア(研究職)、起業(スタートアップ)、民間企業研究職という3つの道を模索。
  • 起業家支援のYコンビネーターのインターンに参加し、自身での起業も検討したが、多額の資金と長期的視点が必要な事業領域だったため、その時点での起業は断念。
  • 当時Facebook(現Meta)のBrain Computer Interface部門でインターンを行い、オファーを受けてResearch Scientistとして入社し、部門異動や組織統合を経ながら現在はヒューマンコンピュータインタラクションの組織で研究している。

ビザとグリーンカードの取得

  • PhD取得後はOPT(3年枠)を活用して就職し、早期にH-1Bへ移行。さらに半年ほどでグリーンカードも取得。
  • PhDホルダーとしてビザや永住権の取得は比較的スムーズだったと感じている。

生活面の苦労とプライベート

  • コロナ禍の最中、テキサスからベイエリアへ引っ越し、リモート中心の環境でソーシャル面で苦労。
  • 同時期にオンライン婚活も進め、Zoomデートを通じて現在のパートナーに出会い、結婚。

海外を目指す人へのアドバイス

  • メリット・デメリットを天秤にかけるより、心から面白いと思える領域を突き詰めるほうが納得感がある
  • 日本人の強みとして「ダメなら帰れる母国がある」ことで、気軽に海外へ挑戦してみても良いのでは

海外就職インタビュー0029 PhDから米国へ、ポスドクを経て米国就職

さて、今回は、PhDからアメリカに留学した方のお話です。やはりPhDを取ってからのポスドクは海外在住への再現性がかなり高いように見えますね。特に興味を持った点は学振がうまくいかなかったあとに留学の準備を始め、会った事もなかった先輩が縁を作ってくれた事もあり留学できた点ですね。他の方を見ても多くの人がすでに海外にいる人から縁をもらってサポートを受けている印象です。そのためにも行動力が大切なのですが、この方も行動した結果そういった人と出会い縁を得られたのだと思います。加えて、完璧に準備をするのは難しいのでひとまず留学できるならしちゃうのが良いという意見もとても実践的で良いと思いました。

日本の大学院からアメリカのPhDへ

  • 高専→地方旧帝大の修士まで土木を学び、その後アメリカでPhD留学。
  • 留学先を選ぶ際は、大学の先生から「著名な研究所がアメリカに3つある」と教わり、タイミング的にギリギリだったが、同じ大学の先輩が繋いでくれた縁もあり無事合格。
  • 経済的に親にあまり負担をかけられないことや学振を逃したことから受験準備が遅れたが、TOEFLやGREを数か月の対策で突破し渡米。
  • アメリカの大学から給料をもらえる立場(TA・RAなど)となり、学費や生活費、年1回の帰省費用がほぼ相殺できる状態で留学をスタート。月300ドルほどの学生向けアパートに暮らした。


PhD時代の苦労とポスドク

  • 途中で指導教官を変更し、専門分野も細かく変えたため博士取得まで7年かかる。
  • ポスドクを経て、自身のPhD時代前半の専門領域へ戻る形で就職
  • 留学当初はリスニングが難しく苦労したが、専門用語は予習でカバーでき大きな問題はなかった。成績(GPA)要件も思ったほど大変ではなかった。
  • ポスドク中にアメリカ人と結婚しグリーンカードを取得。ビザサポートを提供する国立研究所のオファーもあり、いずれにせよアメリカに残ることが可能だった。


現在の仕事と生活

  • 今の仕事は10年ほど継続中。周囲を見ても長く勤める人が多い印象。
  • 以前は研究で「道具を作る」立場だったが、今は「作られた道具を使って価値を生み出す」業務で、発想の切り替えが必要だった。
  • プロジェクトにタイムチャージをするシステムにも多少の慣れが必要だったが、PhD取得の遠回りに比べれば大きな苦労はなかった。
  • 住んでいる地域は山が見える自然豊かな環境で、アメリカの生活を気に入っている。


アドバイス

  • 「完璧に準備してから留学する」ことは難しいので、最低限のテスト(TOEFLやGRE)の点数を取ったら思い切って行くのが良い。
  • 独学の限界を感じたら短期集中で予備校を利用するのもおすすめ。弱点のリスニングがスコア向上につながった体験あり。
  • 日本ではジェネラリスト志向の働き方が多い印象だが、アメリカでは専門を深めてプロとして活躍できるキャリアの可能性が高い。

2025年3月22日土曜日

海外就職インタビュー0028 チャンスのタイミングを逃さず、米系メガテックにて米国本社へ異動

さて、今回はエンジニアの方がアメリカ就職に新卒でチャレンジしたものの失敗し、そこから約五年で複数社のキャリアを経て外資系企業の日本オフィスから米国本社へ異動した方のお話です。元から米国国籍は持っていましたが、ビザスポンサー付きで異動のオファーをもらっている点もあり、米国国籍のない私のような人でも参考になる内容でした。

ハイライトすべき一点目は、五年で三社目という正直各社における職歴の短さです。短すぎる職歴が重なる事はマイナスに受け取られる事が多いですが、今回の方の場合は、チャンスをつかむため時流を見て判断していた印象を受けました。例えばひとまず三年は勤めようと待っていたら、拡大期の会社に入る事ができず波に乗れない事があるかもしれません。そういった同調圧力に引っ張られ過ぎなかった事が良い結果につながった例だと思います。

二点目は、アメリカに行くためにソーシャルメディアを通じてアメリカでエンジニアとして働く日本人をリストアップしてアドバイスを聞いた行動力です。意外に思うかもしれないですが、アドバイスをくれる人はかなり多いと思っています。こういった行動によりアメリカに異動できる会社選びを成功した面も多いのではないでしょうか。

幼少期から大学卒業まで

  • 生まれはアメリカだが、すぐ日本に帰国。アメリカと日本の二重国籍を持つ。
  • 東京の公立小学校~大学まで日本で過ごし、大学入学前に1年間浪人する。
  • 浪人を機に「満員電車で通勤する大人」に憧れを持てず、自分には海外に出る道があるのではと考え始める。
  • 大学では経営工学を専攻。2年生のときにシンガポールへ約1年間の交換留学を経験。初めて親元を離れ、兵役を終えているルームメイトとの生活など異文化適応を求められたが、周囲と違う体験をしているという誇りを感じた。

新卒就職とエンジニアとしてのキャリアスタート

  • 就職活動ではアメリカのポジションに20ほど応募するも全滅。国内ではメディア企業に新卒入社。
  • ネット上での売上規模が大きい企業だが少人数で裁量が大きく、入社後数か月で新機能をリリースするなど貴重な体験を積む。
  • ただし「この会社にいてもアメリカに行く道はなさそう」と判断し、国際化を進めていたメガベンチャーへ転職。

メガテック企業への転職とアメリカ赴任

  • アメリカのエンジニアとして働く日本人をSNSでリストアップし、直接DMでアドバイスをもらう。
  • その結果、メガテック企業の東京オフィスに入社し、約1年半後に昇進を経て本社(アメリカ)へ転籍。
  • 合計の勤務年数は5年弱ながら、3社目にして念願のアメリカ勤務を実現。
  • アメリカ国籍の有無に関係なく、ビザサポート自体は企業から提供されていた。

今後の展望

  • アメリカでさらにキャリアを積みたいと考え、広く機会を探っていきたい。

アドバイス

  • 「同調圧力」に屈せず、自分が最適だと判断したタイミングで決断を下すことが大切。
  • 転職マーケットが活況な時期を逃さず、周囲の空気に流されないよう意思を貫くことが重要。
  • ある程度の年数を1社で経験を積むことも大事だが、自分の目的に合うなら早期転職もアリ。タイミングを見極める目を養おう。


2025年3月17日月曜日

海外就職インタビュー0027 アメリカの大学・大学院を出て様々なビザを使い米国でサバイブ

今回は、幼少期のイギリス生活からはじまり、日本で外資系金融やスタートアップを経験し、さらにアメリカで修士号を取得してNPOや複業を通じて活躍してきた友人の話を書きました。

友人はいわば「道を開いていくプロ」で、キャリアの始まりは金融業界だったものの、大学院留学を経て自分に合う専門領域にピボットし、現在は今まで培ったスキルと人間関係(ソーシャルキャピタル)をもとに新しい仕事の機会を次々と得ています。

インタビューを通じて改めて感じたのは、社会人としてのスキルや経歴に加えて、長期的にソーシャルキャピタルを築くことがキャリア後期には特に重要になるということ。そして何より、粘り強さや複数の選択肢をどんどん実行していく行動力が、本人の道を切り開いてきたのだなと実感しました。

さまざまな国や組織を渡り歩いてきた友人の経験談は、まさに「見える景色が変わったら、そこからさらに一歩外へ踏み出す」ことの大切さを物語っています。今回のインタビューは非常に刺激的で、多くの学びを得る時間となりました。

幼少期・初期の海外経験

  • 小学校時代にイギリスで3年間過ごす。暗記やテスト主体ではない授業スタイルに魅力を感じ、のちの留学志向に影響を与えた。
  • その後は東京で生活し、高校卒業時に教師のすすめでアメリカの大学へ進学。


日本での社会人経験から大学院留学へ

  • アメリカの大学卒業後、日本の外資系金融機関で株関連の仕事を5年間行い、中規模スタートアップの人材系企業で2年間法人営業を担当。
  • 会社の方針で修士号取得が必要になり、パートタイムではなくフルタイムで、かつ米国で取得することを決意。
  • 修士課程を修了した後、「短い修士プログラムで学んだ後すぐ帰国する気になれず、OPT期間を利用してアメリカに残る」と決めてOPT期間を利用してアメリカに残る。


NPOインターンと複業

  • 大学時代から関わっていたグローバルNPOに、ポジションがなかったもののインターン枠を作ってもらいサマーインターンとして働く。
  • 同時に、在学中に書いていたブログを読んでくれていた企業とも半々で働く形をとる。
  • OPTが切れる時期にNPOのフルタイムに移行し、引き続き東海岸で活動。


ビザの問題とキャリアの変遷

  • 7年目でH1Bが切れるタイミングに直面。もともと長く滞在するつもりがなくグリーンカードを申請していなかった。
  • しかし家族ができアメリカに残りたいと思い、日系スタートアップでビザを取得。その後、学生ビザも活用し、最終的には自身の会社を立ち上げてビザを発行できるようになる。
  • 現在の仕事は、過去に築いた人間関係とプロとしてのスキルを掛け合わせた結果、自然な流れで獲得できたものが多い。


海外を目指す人へのアドバイス

  • 「A地点からB地点への道を逆算する」のではなく、今の場所から少し視野を広げて、見える景色が変わったらさらにそこから一歩外へ出る、という“積み重ねモデル”でキャリアを考えるのがおすすめ。
  • 最初からたとえば〜」のところは「where(どこで)what(何を)やりたいか、というイメージを持つことは悪くはないけれども、そもそもwhy(なぜ)そういう環境に行きたいと思っているか、そこに行ったらどのような自分・どのような世界が広がりそうか、を意識しながら行動し続け "ゴール・ありたい状態" を更新していくことが大切。

2025年3月16日日曜日

海外就職インタビュー0026 日本で外資系、MBAを経由し欧州でマーケティングのチームリーダーへ

さて、今回は国立大学を卒業後外資系で勤務し、ヨーロッパのMBAへ行き、そこからさらに伸び続けている方の話の紹介です。MBA留学からの現地就職は多少困難な面があるとはいえ、それなりの経験があれば可能な中で特筆すべきはそこからすぐに昇進をし多くのチームを率いている点があると思います。「昇進したい人間は次のレベルの仕事をすでにしているべき」や「基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを」等のコメントからも強いプロ意識が背景にあり、それにより突き進んでいるんだと思います。聞いていてとても刺激になる回でした。


日本でのキャリアスタート

  • 国立大学卒業後、外資系FMCG企業に入社し、約8年間マーケティング業務に従事。
  • 新製品の日本発売プロジェクトで厳しい環境の中、粘り強く働いた結果、周囲が多く入れ替わる中で残り続け、3段階飛びの昇進を果たす。


キャリアの転機:MBA取得

  • 新設のデジタル部門に移って戦略業務を担当していたが、外資系とはいえ年功序列が強まる風土を感じ、海外でキャリアを築く武器としてMBAを取得することを決意。
  • 一年で卒業できるプログラムを重視し、ヨーロッパのMBAへ進学。馴染みにあるスイスの学校を選択。
  • 多様性のあるチームマネジメントの練習場として、MBAは最適な場だった。学術面においては、大きな苦労はなかった。


ヨーロッパでの就職

  • MBA修了後、ヨーロッパ拠点の企業でマーケティングの仕事を見つけ、数年で全製品のEMEA(欧州・中東・アフリカ)マーケティング責任者に昇格。
  • 昇進のポイントは「昇進したい人間は、すでに次のレベルの仕事をしているべき」という考え方と、FMCGでのP&L(損益)責任経験から得た幅広い業務知識にあったと振り返る。


今後の展望とマネジメントの課題

  • 経営幹部へのステップアップをしたい。
  • ヨーロッパでのマネジメントは、自分の責任を最小化しつつ成果を最大化しようとする人が多く、アウトプットの質を管理するのが難しいと感じている。しっかりしたマネジメントが必要。


今後海外就職する人へのアドバイス

  • 基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを。
  • 70/20/10と言われるようにラーニングの70%は経験からくるので現地で奮闘する方が有効な時間が過ごせると思う。

2025年3月15日土曜日

海外就職レポート0025 商社駐在、米国MBAからの米国で経営幹部候補として就職

さて、今回は商社で駐在等を経験したのち、アメリカのMBAを経由して、アメリカで経営幹部候補育成プログラムに採用された人の話です。すごくきれいにキャリアの切り替えがうまくいった例でMBAの効果を最大限に発揮したパターンだと思います。特に印象的だったのがアメリカでの就職活動においては商社での経験でジェネラリスト的で伝わりにくくファイナンスに寄せた就職活動をしてうまくいった事です。別の記事で以前書いた方は基地の経験が分かりやすくうまくいったとの事ですが、今回の方はアメリカでは一瞬では分かりにくいキャリアをうまく伝える方法を考えてうまくいったのだと思います。

大学時代・留学のきっかけ

  • 在学中に二週間ほど海外の学生とプロジェクトを行うプログラムに参加し、より本格的に留学したいと思うようになる。
  • 4年次にオーストラリアへ1年間の交換留学を決意。1年留年して大学を卒業。留学は海外生活に慣れる機会だったが、授業についていけない部分も多く、不完全燃焼感が残った。


商社時代

  • 卒業後に商社へ就職し、東南アジアに2年間の駐在を含め約6年間勤務。
  • グローバル企業で働く人々との出会いから、駐在では自身のキャリアを自分の意思でコントロールしづらいと感じるようになる。


アメリカMBA留学

  • 社会人2年目頃からMBA留学を検討し始める。過去の留学での「もっとしっかり学びたい」という思いと、商社の先輩などの影響が決め手に。
  • 商社でのジェネラリスト業務から脱却し、ファイナンスにフォーカスする形で就活を行い、夏のインターンを経てローテーションプログラム(幹部候補生育成プログラム)からリターンオファーを獲得。日本人初の採用となる。


アメリカ就職とビザの壁

  • アメリカの大学院を卒業するとOPT期間があるが、ビザをサポートしない企業では働けないため、スポンサー可能な企業に限定して就職活動を実施。
  • 商社のような「ジェネラリスト枠」はアメリカでの就活において理解されにくく、明確にファイナンススキルを打ち出したことで成功した。


今後の展望

  • どれだけアメリカに残るかはまだ未定。今の業界自体は好きで続けたいが、必ずしもアメリカにこだわってはいない。
  • MBAでアメリカ人と2年間学び、文化やネットワーキングに慣れた状態で働き始めることができたのは大きな強みになっている。

2025年3月10日月曜日

海外就職レポート0024 英国YMSビザでの就職での苦労と今後の展望

さて、今回は比較的キャリアの発展途中にある方のインタビューをまとめました。会社員として積み上がるようなキャリアを積んでいくためには職歴が大切な事や実際の職場で働く事で専門用語を使う英語を伸びていく事を聞く事ができました。現在の仕事の延長にデザインやアートに関わりたいという目標もあり、そういった目標に到達できるよう応援できたらなと思っています。今までインタビューしてきた方々はある程度長く経験を積んでいて、一旦の目標を達成した方が多かった印象ですが、発展途上にある方の生の声は参考になる人も多いのではないかと思います。


海外就職インタビューまとめ

もともと海外生活に興味があったものの、仕事の忙しさや金銭面の不安からなかなか行動に移せませんでした。そんな中、イギリス人のパートナーができ、彼が「イギリスに戻りたい」という思いを抱いていたこともあって、まずはYMSビザ(ワーキングホリデーのようなもの)で2年間イギリスに住み、働くことを決断しました。


苦労したのは、仕事に応募しても履歴書がなかなか通らないことです。私はロンドンではない田舎の地域に住んでいるため、そもそも求人数自体が少ないのが現状でした。イギリスでキャリアチェンジをしたいという気持ちもありましたが、イギリスでは職務経験を重視する傾向が強く、日本のみでの職歴では希望する職種の面接さえ受けられない状況でした。


日本では教員をしていたため、小学校の給食監視員としてパートタイムのオファーをいただきましたが、無犯罪証明書を日本から取り寄せる必要があり、それが届くまでの数か月間は働けませんでした。そのほか面接に呼ばれたのは食品工場、レストラン、そして現在勤務している印刷会社とカフェです。


印刷会社の仕事はIndeedで見つけて応募しました。二次面接まで進めたものの、その時点では不採用でした。しかし社長から「ポジションが空いたらまた連絡したいので、履歴書をこちらで保管しておいてもいいか」と打診があり、承諾。2か月後に自分からフォローアップのメールを送り、まだ興味があることを伝えたところ、その約1か月後に退職者が出たので「ぜひ来てほしい」と声をかけてもらえました。


カフェの仕事は、同居しているパートナーの妹からの紹介です。彼女の知り合いがそのカフェの常連客だったようで、「働いてみたら?」と勧められたものの、妹自身は別の場所で働きたいと考えていたため、私に話が回ってきました。


印刷会社では、働く時間を各スタッフの事情に合わせて設定してくれるため、人によって勤務時間が違います。そうした環境なので定時で帰りづらいという雰囲気はまったくなく、残業がないのが当たり前なのには驚きました。さらに遅刻しても何も言われず、遅れた分は後で長く働けばいい(その日でなくても良い)という柔軟さにも助かっています。休憩時間は1日に3回あり、それぞれ好きなタイミングで取れるのも驚きでした。


印刷会社では、イギリスの観光地のグッズ(トートバッグなど)にデザインを印刷しており、デザインデータを実際の形にする作業にやりがいを感じます。基本的に一人で作業していますが、チームのメンバーに相談したり、上司から指示を受けたりする場面もあり、日々英語を使う環境です。そのおかげで、専門用語を含めた英語の語彙が自然と身についてきました。やはり語学は実際に使う環境に身を置くことがいちばんだと実感しています。


もともとデザイナーへの憧れがあったので、今後は会社の中でできることを増やし、デザインやアートワークの分野にも携われるようになることが目標です。現在のビザが切れたらパートナービザを申請し、ゆくゆくは永住権を取得できればと考えています。


海外で就職するには、やはり経験が求められると痛感しました。新卒でいきなり海外、というのはかなり苦労している人が多い印象です。新卒でなくても、私のように手に職がない状態だとレストランやカフェなら何とかなるかもしれませんが(それでも私は応募先の大半で履歴書が通りませんでした)、会社員として働くには海外でも通用するスキルを身に付けておく必要があると思います。もちろん英語力は必須で、英語ができない状態で「どこでも働ける」と言うのは、どんな職種でもいい人向けでしょう。自分のやりたい仕事を海外で実現したいなら、英語は話せないとどうにもなりません。周りのライバルは英語を不自由なく使いこなす人ばかりなのですから…。

2025年3月9日日曜日

海外就職レポート0023 総合商社、東南アジアでのスタートアップ経験を経て仏MBAからの現地就職

さて、今回は10年来の友人でミャンマーにいる際に訪れたこともある方の海外就職の紹介です。総合商社という待遇も良く海外にも任期付きとは言え出やすい仕事を捨て、東南アジアのビジネスの立ち上げからのフランス留学しフランスで勤務という多様な地域に渡る経験の話を聞きました。元々の仕事の経験を活かしうまく仕事を見つけた事に加えて、プライベート、待遇、成長、やりがい全てが高水準で満たされると実感できることはなかなかないことだと思います。それも本人の持つハードスキルに加えて、本人から言及はないですが、文化の違う中で人間関係をうまく作っていく柔軟性や魅力のある人間性があるんだろうと思います。


学生時代の海外志向

  • 神奈川出身で、小中高と野球に打ち込む。大学では国際交流活動に従事。5年在籍のうち1年間はアメリカの州立大学に留学。
  • 幼少期から母親の海外出張やテレビ番組などの影響で海外に憧れを持ち、「留学ならアメリカ」と考え渡米。
  • 留学先はアジア人よりラテン系が多い地域で、外向的なノリに合わせる術を身につけた。


商社就職と早期転職

  • 大学卒業後、グローバルビジネスを目指して総合商社に入社。
  • しかし実態は日本人同士の仕事が多く、グローバルに戦うには不向きと判断し、2年目で退職。


シンガポール・ミャンマーでの事業立ち上げ

  • 人事系の小規模企業に転職し、シンガポールで1年ほど勤務。
  • 日本で獲得した案件の実行が中心だったが、現地法人で直接ビジネスを立ち上げるべく、当時開拓余地が大きかったミャンマーに行き、オフィスを立ち上げ1年半ほど事業を展開。
  • その後、縁のあったクライアント企業に転職を直談判し、人事部門に所属。


フランス赴任とMBA取得

  • 同企業での勤務中にフランス赴任の機会を得て、現地で働くうちに「フランスに残りたい」と考える。
  • 半年ほどの準備でフランスのMBAプログラムに合格し、学生ビザを取得。
  • 比較的フレキシブルなプログラムだったため、在学中にフランス企業でインターン。
  • 半年後、ポジションの空きが出たタイミングで正社員オファーを獲得。COVIDの影響で不安定な時期もあったが、最終的に採用が決まった。


現在の勤務状況と満足度

  • フランスの企業に正社員として働き始めて約5年。
  • 「プライベート、待遇、成長、やりがい」の全てが高水準で満たされており、「これ以上の会社はないかもしれない」と感じるほど充実している。


文化的な適応と働き方

  • シンガポール、ミャンマー、日本、フランスと多国を渡り歩いたが、国の文化よりも会社や所属チームの文化の違いの方が大きいと感じた。
  • 「○○だからこうだ」といった固定観念を持たず、柔軟に適応する姿勢が重要。


今後の展望とアドバイス

  • 現在の会社に大きな満足感があるが、将来的には小規模ビジネスの立ち上げなども視野に入れている。
  • 「世界で戦える」ハードスキルを持つことが大切であり、データやテクノロジー分野での専門性が強みになると実感している。

2025年3月8日土曜日

海外就職レポート0022 アメリカへ留学し製造業から教育分野へキャリア転換

さて、今回は日本の大学に在学中に自身で働きお金を貯め留学、そこからアメリカで働き始めた方の話です。特に印象的だったのは最初は製造業でキャリアを積みつつ教育分野へピボットをした事、またMBA、教育学修士、ブロードレジデンシーなど多様な教育機会を得て積み重ねる事によりキャリアを切り開いている事でした。私も継続的に変化する時代に合わせて勉強をし続けたいと強く思えるインタビューでした。


首都圏の地方公務員の家に生まれ、中学1年生まで英語を学んだ経験はなかったものの、英語は好きな科目だったので熱心に勉強を続けてきた。しかし、帰国子女と同等の英語力を6年間の学習で身につけるのは難しいと感じ、いつか留学したいと思うようになる。大学在学中にアメリカへ1年間の交換留学を経験した際、「やろうと思えばできる」と感じると同時に、「1年では物足りない」と強く思った。


そこで、外資系法律事務所でアルバイトしながら英語を使って資金を貯め、職務経験がなくても受け入れてくれるMBAプログラムを見つけて再渡米。修士課程では2学期目からティーチング・アシスタント(TA)の職を得ることができた。偶然、ジムの前で話した教授がTAの募集を紹介してくれ、翌年も縁があって継続できた結果、学費がほぼ免除になり、多少の給与も得られたため、経済的に支障なく卒業できた。


卒業後は漠然と「日本に帰りたくない」という思いもあり、日系の製造業企業に就職してアメリカで6年間勤務。しかし製造業が自分に合っていないと感じ、転職を考え始める。当時はH-1Bビザのスポンサーが必要だったため、スポンサー企業を探していたところ、教育関連のNPOが日本人を募集していると知り、オファーを受けてビザの切り替えを待ちながら数か月間は前職に留まった。NPOではプログラム運営やファイナンスを含むさまざまな業務を担当し、8年ほど働いたが、そのNPOがM&Aで買収された後にカルチャーが合わず辞職。その後は教育系のキャリアを積み重ね、近年はおよそ50~60校の公立学校が属する学区で学力テストの管理を中心に担当。現在はオペレーション部門にて、学区内におけるプロセス標準化の推進をする業務を進めている。


The Broad Residencyへの参加と現職での取り組み

この教育分野への本格的な転身にあたっては、アメリカの公教育に特化したリーダーシップ育成プログラムである「The Broad Residency in Urban Education」に参加した経験が大きく貢献した。多様な背景の人材と共に学ぶ中で、教育行政の戦略立案やチームマネジメントに必要なスキルを身につけるとともに、自身のキャリアに対する自信が高まり、またプログラムの一環で教育学修士も取得した。現在の学区では大規模な改革プランが進められており、すべての生徒が質の高い学校やカリキュラムに公平にアクセスできるようにする「Rebuilding Stronger」というプロジェクトに携わっている。改革においては、計画準備の段階で学区全体の学力テストや調査データを分析し、コロナ前後の在籍状況を把握する、保護者としての視点を共有するといった面でリーダーシップを発揮している。


保護者としての視点とモチベーション

さらに、自身も子どもを同じ学区に通わせる保護者として、学区が着実に良くなっていることに喜びを感じる一方、「すべての生徒に成功の機会を届ける」という使命感を持って改革に取り組んでいる。学校現場や保護者の視点を踏まえながら教育改革に関われることが大きなモチベーションになっている。


ビザについて

約20年前のH-1Bビザは、制限数に達するまで1か月以上かかることが多く、比較的取得しやすい時代だった。当時のタイミングで思い切って行動したのは正解だったと思っている。


アドバイス

実現したいことが複数ある場合、それらを一度にすべて満たすのは難しい。例えば3つ条件があるなら、2つ満たせれば思い切って飛び込んでみるというマインドセットが大事だ。まず2つを満たしてから、残りの1つを埋めにいく方法もあるため、最初から完璧を求めすぎずに行動を起こしてほしい。

 

2025年3月3日月曜日

海外就職レポート0021 結婚をきっかけにシンガポールに移住し、ジャパンデスクからピボット

 さて、前回と同様に結婚をきっかけに日本から海外へ引っ越し就職した方の紹介です。前回はアメリカでしたが、今回はシンガポールになります。日本で働いた金融の経験を活かしアジアの金融都市であるシンガポールで最初は日本人である事を強みに就職していくものの、少しずつ「日本語もできる事」が強みになっていくプロセスについて伺えました。特に日系企業のいわゆる現地採用には満足いく待遇でない事が多いと感じる事と日本語必須の仕事をしていてはキャリアの幅が狭まる事を聞けたのが印象的でした。

私見では日本経済は未だに大きく、海外に出ていく上では日本企業と仕事ができる事が未だに大きなメリットになると思います。相対的に日本経済の魅力が下がっていく中、早めにその強みを活かして海外に出ていく事は大事だなと感想を持ちました。

移住のきっかけ

  • 日本で日系・外資系の金融機関に勤務し、リテール営業や審査部門など幅広く経験。
  • 仕事のプロジェクトで出会ったシンガポール人男性と結婚し、彼がシンガポールへ戻るタイミングで一緒に移住を決意。2016年9月に渡星した。


シンガポールでの就職と転職

  • 渡星当初は無職だったが、たまたま米系金融機関が日本人を募集しており、2週間ほどで内定を得る。
  • その後、LinkedIn経由で別の金融機関から連絡があり、1週間ほどで転職が決まる。フロントからバックオフィスまで幅広い業務経験が、国を越えても採用されやすい理由だった。

職場文化の違い

  • シンガポール特有の文化よりも、会社ごとの文化の差に驚きがあった。例として「もうご飯食べた?」と日常的に聞いてくることなどが新鮮だった。
  • AIプロジェクトをはじめとする先進的な取り組みが進むアジアの一方で、日本は言語や商慣習の壁が原因でプロジェクトから外れがちである現実を知り、ショックを受けた。


日本語スキルとキャリアのジレンマ

  • 日本語が武器になるおかげで採用されやすい面はあるが、同時に「日本語必須」のポジションしか選べないリスクもあり、キャリアの選択肢が狭まるジレンマを感じる。
  • 日系企業のポジションは給与や労働環境の面で厳しいことが多く、日本語が「必須」ではなく「追加スキル」となるポジションを目指すようになった。
  • 渡星して8年ほど経った現在の仕事は、日本語が絶対条件ではない役割を得ており、より幅広いキャリアを築けている。


今後の展望とメッセージ

  • 結婚を機に予期せぬ形で海外へ飛び出すことになったが、シンガポールでの生活や仕事を通じて日本の置かれた国際的な状況を実感。
  • 「日本語ができます!」だけでは通用しにくく、「日本語もできます」というポジションが重要になっていると感じる。
  • 結婚によって当初の日本でのキャリアプランは変わったが、海外で幅広いチャンスを得られたことで視野が広がった。いまも「シンガポールに住んでいるのが不思議」と感じる瞬間があるが、結果的に多くの可能性と学びを得ている。

2025年3月2日日曜日

海外就職レポート0020 米国へ結婚移住し看護師の経験を活かし新しい資格を得て病院勤務

 さて、今回はご結婚をきっかけにアメリカに移住し、日本で看護師として働いた経験と新しいアメリカでの資格を活かし働いている方のお話を伺いました。特に印象的だったのは医療の現場での役割分担が大きく違い、働き方や待遇においてかなり改善されたという事という事でした。日本で働く中で専門職の方へメッセージが届けば良いなと思います。また、今後は看護師の資格を切り替えていく事も検討しているとの事で、発展していく事を願っています。

背景

経緯2015年にアメリカ人と結婚し、いつかアメリカに移住する想定で過ごしていた。 数年後に配偶者ビザのプロセスを開始し、ビザが下りた2019年にアメリカに渡米。 渡米後、資格取得と就職準備の下地作りのためカレッジのESL(英語学習コース)へ通い、文化的な理解を深めた。就職には直接役立たなかったが、人生経験としてはプラスになった。 日本で看護師として幅広い業務を経験していたが、アメリカでの資格のコンバートには時間と費用がかかるため、まずは採血技師の資格(2021年取得)を取得。資格取得の実習で訪れた病院に好印象を持ち、マネージャーやトレーナーとも関係が良好だったためその病院に応募したところすぐに採用が決まった。 現在はシニア採血技師として働きながら、契約のある施設からの検体の回収や手術専門病院への輸血血液配送(Courier業務)なども担当し、保険認証業務や事務的なエラー対応など責任範囲が広がっている。


アメリカと日本の仕事の差

日本では保助看法の下、診療上の補助と療養上の世話を含む多種多様な業務を看護師が担っており各個人の実務的な負担が重い。 アメリカは職務分担が明確で、日本では看護師がやる業務を看護助手が担い、患者の移送には専門のスタッフが配置されるなど看護師が専門分野に集中できる仕組みが整っている。日本での社会生活で染みついた「担当外でも自分でやる」習慣が、アメリカでは職務範囲外と見なされる場合があり、調整が必要。  給与や福利厚生も充実しており、例えば勤務しているグループ内の病院やクリニックの受診時に医療費割引制度などがある。SV昇進の可能性もあるが、給与と負担やストレスを照らし合わせると、看師資格取得することで収入の増加だけでなく多様な働き方をするようシフトすることを考えている。


これから海外で働く人へのメッセージ

「アメリカの仕事環境は日本よりも分業が進んでおり、待遇もいい。状況が許すのであれば、自身の可能性を広げるためにぜひ日本から飛び出して羽ばたいてほしい。海外生活で多様な価値観に触れることが自身の成長につながるだけでなく、日本での生活からは得られない将来への展望が見えてくることもある。」というメッセージを送っている。