2025年2月16日日曜日

海外就職レポート0018 アメリカの大学を卒業後、日本を経由してアメリカへ

さて、今日も引き続きアカデミア寄りの方のキャリアについてご紹介しようと思います。次回以降はビジネス寄りに戻る予定です。いやー、他人である私からすると波乱万丈!と言った人生なのですが、生きる強さと感じとても尊敬できる方でした。ちょっと仕事で私と交差している点もあったりして本当偶然を感じました。一度日本に帰国すると海外に出にくいと言われることが結構多いと思うのですが、継続的に改善と成長を続け、進みたい方向に進んだ結果、また海外に出た方のプロセスに勇気をもらう方も多いと思います。

  • 日本での幼少期・学生生活

    • 在日コリアンとして日本で育ち、高校まで朝鮮学校に通う。
    • 親の意向で早く小学校に入学し、大検を取得するも当時は年齢の関係で日本の大学に進学するには浪人が必要だった。
    • 図書館で見つけたアメリカ大学ガイドをきっかけに、ニューヨークのコミュニティカレッジへ応募。しかし、実際に行ってみるとNYCから3時間も離れた田舎で、自分の育った場所よりも田舎だった。
  • コミュニティカレッジから四年制大学へ

    • 2年間のコミュニティカレッジ在籍中、教授に気に入られ、Tutor(家庭教師や学習アドバイザーのような役割)として働きながら学ぶ。
    • 小規模な環境でプレッシャーも少なく、図書館などのサポートが手厚かった。知らないうちに四年制大学への出願をサポートしてくれており、結果的に奨学金をもらって別の四年制大学へ転学。会計学を専攻する。
  • 日本への帰国とキャリアの変遷

    • アメリカで会計関連の仕事をしようと考えたが、兄が愛知県でレストランを開業することになり、約2年手伝うために帰国。
    • その後、東京の貿易会社に転職し、上場したばかりの企業(コンサル会社)で部署250名が男性の中3人目の女性総合職として勤務。
    • 同時に日本の国立大学でMBAを取得。
  • 再びアメリカへ:国際機関と結婚

    • 大学時代からの恋人と結婚することになり、ビザがない状態でアメリカへ移住。近所にあった国際機関でボランティアとして働き始め、ビザを取得すると同機関に就職(財務管理)。
    • 東日本大震災の際は、アメリカから日本を支援する形で駐在。
  • 博士課程への道

    • 以前から博士課程に進みたいと考えており、アメリカに戻ってアイビーリーグ大学の約40のポジションに応募。(職員は学費が無料)
    • 採用されたものの、コロナ禍やアジア系へのヘイト増加などの環境変化で辞職。(修士修了)
    • 他大学の職員をしながら、現在はカリフォルニアの大学で博士課程を進めている。

0 件のコメント:

コメントを投稿