2025年2月24日月曜日

海外就職レポート0019 日本で公務員として勤務後、台湾にて戦略的に日本語に依存しないキャリアへピボット

さて、今回は日本で公務員として勤務された後に台湾に引っ越しした方のお話で初めは日本人や日本語を話せる事を強味にしていても、少しずつ別のスキルを鍛えたり、追加でMBAを取る事で日本語関連のスキルへの依存を減らしていく例の話を聞きました。海外に急にロケーションが変わるだけで大きな変化なので、仕事や職種を維持しロケーションだけ変えて、他の部分は理想状態に一つずつ片足ずつピボットするように変えていく事は理想形の一つだと思っています。

 海外キャリアインタビューまとめ

  • 日本での背景・学生時代

    • 九州の地方出身で、英語とはほとんど縁がなかった。
    • 小学校時代に少し英語を学んだ程度で、本格的な留学経験はなかったが、中学生のときに外国人へインタビューをして以来、海外へのあこがれを持つようになった。
    • 大学卒業直前に三週間の語学留学を経験。
  • 看護学科から地方自治体へ

    • 看護学科を卒業し病院見学も多数行ったが、自分の働く姿がイメージできなかった。
    • 保健師の資格を取得し、地方自治体で数年間勤務。
    • 短期留学時代から海外志向があり、遠距離恋愛中のパートナーが台湾にいたこともあって台湾への移住を決意。
  • 台湾での学びと仕事

    • 台湾の大学で約1年、中国語(中文)を学ぶ。
    • その後、米系企業の台北拠点に就職(日本語・英語・中国語が必要な仕事)。初の民間企業での職務や台湾独特の職場文化(出勤後に朝食をとる、ジュースなど色のついた飲み物を堂々と飲む習慣、お昼寝、下午茶等)に驚きがあった。
    • ヘルスケア業界を中心に転職を2回経験し、現在は台湾の会社に在籍。仕事を続けながらMBAにも通い、昨年卒業した。
  • MBA取得の経緯とキャリア観

    • 最初に勤めた台湾の企業で、上が詰まっているように感じたため「長く待つか転職するか」しか選択肢がないと感じていた。
    • ビジネスパーソンとして成長するにはMBAが役に立つのではと考え、働きながら通学。MBA入学直前に声がかかり転職が決定。
    • MBAではマーケティングに最も興味を持ち、現時点ではマーケティングを軸にキャリアを積んでいきたい。
    • 日本語が強みとなり仕事を得た部分もあるが、言語力に依存しない専門スキルを磨きたいという思いがある。
  • 海外で働きたい人へのメッセージ

    • 人に話を聞くのも大事だが、実際に面接を受けるなど行動に移すことが重要。
    • 行動を積み重ねることで学びを得て、憧れを現実に近づけられる。
    • 看護助手としてワーキングホリデーでオーストラリアに行った友人の例など、「行けるんだ」と背中を押してくれる存在がいると大きい。医療ヘルスケアの人材は色んな形で海外に挑戦できると思う。是非様々な可能性を模索してみてください。
    • 海外に出たい気持ちがあるなら、ぜひ自分で行動を起こして道を切り開いてほしい。

2025年2月16日日曜日

海外就職レポート0018 アメリカの大学を卒業後、日本を経由してアメリカへ

さて、今日も引き続きアカデミア寄りの方のキャリアについてご紹介しようと思います。次回以降はビジネス寄りに戻る予定です。いやー、他人である私からすると波乱万丈!と言った人生なのですが、生きる強さと感じとても尊敬できる方でした。ちょっと仕事で私と交差している点もあったりして本当偶然を感じました。一度日本に帰国すると海外に出にくいと言われることが結構多いと思うのですが、継続的に改善と成長を続け、進みたい方向に進んだ結果、また海外に出た方のプロセスに勇気をもらう方も多いと思います。

  • 日本での幼少期・学生生活

    • 在日コリアンとして日本で育ち、高校まで朝鮮学校に通う。
    • 親の意向で早く小学校に入学し、大検を取得するも当時は年齢の関係で日本の大学に進学するには浪人が必要だった。
    • 図書館で見つけたアメリカ大学ガイドをきっかけに、ニューヨークのコミュニティカレッジへ応募。しかし、実際に行ってみるとNYCから3時間も離れた田舎で、自分の育った場所よりも田舎だった。
  • コミュニティカレッジから四年制大学へ

    • 2年間のコミュニティカレッジ在籍中、教授に気に入られ、Tutor(家庭教師や学習アドバイザーのような役割)として働きながら学ぶ。
    • 小規模な環境でプレッシャーも少なく、図書館などのサポートが手厚かった。知らないうちに四年制大学への出願をサポートしてくれており、結果的に奨学金をもらって別の四年制大学へ転学。会計学を専攻する。
  • 日本への帰国とキャリアの変遷

    • アメリカで会計関連の仕事をしようと考えたが、兄が愛知県でレストランを開業することになり、約2年手伝うために帰国。
    • その後、東京の貿易会社に転職し、上場したばかりの企業(コンサル会社)で部署250名が男性の中3人目の女性総合職として勤務。
    • 同時に日本の国立大学でMBAを取得。
  • 再びアメリカへ:国際機関と結婚

    • 大学時代からの恋人と結婚することになり、ビザがない状態でアメリカへ移住。近所にあった国際機関でボランティアとして働き始め、ビザを取得すると同機関に就職(財務管理)。
    • 東日本大震災の際は、アメリカから日本を支援する形で駐在。
  • 博士課程への道

    • 以前から博士課程に進みたいと考えており、アメリカに戻ってアイビーリーグ大学の約40のポジションに応募。(職員は学費が無料)
    • 採用されたものの、コロナ禍やアジア系へのヘイト増加などの環境変化で辞職。(修士修了)
    • 他大学の職員をしながら、現在はカリフォルニアの大学で博士課程を進めている。

2025年2月10日月曜日

海外就職レポート0017 PhDを日本で取得したあとポスドク以降アメリカへ

さて、今日は引き続き研究畑の方のご紹介です。特に印象的だったのは日本では主に評価されるのは時間的なハードワークであり、それが評価されると時間的なハードワークから抜け出しにくくなってしまうが、それを抜け出しアメリカに来て比較的満足度高く働いてらっしゃる方の話はとても印象的でした。


日本での学びと経歴獣医資格を取得したあと、日本で博士課程へ進学。民間財団からの資金援助を受けつつ博士号を取得し、博士取得後に1年ほど研究に携わる。

その後、指導教員(ボス)が獲得したプロジェクト型のグラントを利用し、アメリカ東海岸でポスドクとして約5年間勤務。


アメリカ就職への転機ポスドク途中で、「アメリカでやっていけそう」と感じて転職活動を始める。

約60のポジションに応募し、10大学のオンライン面接、3大学の現地面接を経て、2大学からオファーを得る。

現在は福利厚生が比較的充実した環境にいるが、かつての有期雇用時代は保険や年金、家賃などの負担が大きく、手取りが少なく苦労が多かった。

ポスドクの魅力と孤独ポスドク時代は好きな研究に打ち込める点が大きな魅力だったが、研究室内で気軽に雑談や相談ができる仲間がいなかったことが精神的につらかった。

英語でのやりとりに苦労し、話しかけられてもスムーズに返せず凹むこともあったが、半年ほどで徐々に慣れていった。

海外を選んだ理由と日本への思い「日本にいたくない」という気持ちが強かった。また、博士課程の頃は学振に落ち続け、奨学金(実質的には学資ローン)がどんどん積み重なっていった。

日本では長時間労働(8時~22時など)が当たり前で、それが推薦状に“ハードワーク”として書かれることが多い。そうした働き方を続けたくない思いが、海外でのポスドク生活を選ぶきっかけになった。

まとめ好きな研究をするため、ポスドクとしてアメリカへ渡ったが、その過程で孤独や言語の壁、経済的な苦労を経験した。

それでも、「日本にいたくない」「過酷な労働環境を変えたい」という強い動機が支えとなり、海外でのキャリアを切り開くに至った

今後海外を検討する方へのメッセージ

ぼくと違い日本で恵まれた環境にいる皆さんには海外に行く選択肢はメリットがなく、ただ無謀な選択だと結論するかもしれません。しかし海外に行った人で、海外での経験を後悔していると答えた人を見たことがありません。あなたのような才溢れる研究者こそ海外に行き、持つ能力をさらに引き出すことべきであり、その行動が日本の研究の未来に一石を投じる結果になるのではないでしょうか?

みなさんの挑戦を、遠きアメリカ中西部より心より応援しております。

2025年2月9日日曜日

海外就職レポート0016 PhDをイギリスで取得しポスドクからのフルタイムへ

さて、今回は大学時代からの友人に協力してもらってインタビューをしてみました。大学時代に部活動で一緒に頑張って友人の発展のストーリーや今まで聞いた事がなかった苦労話等も聞けて良い機会になりました。さて、ストーリーそのものですが、博士号を取って現地で就職するのは比較的再現性の高いルートな可能性が高そうです。ビザを取る上で色々な国で優遇される事も多く専門性という意味でも証明はばっちりですしね。

私の専門分野では、日本の研究者の多くが国外で学位を取得していたため、私もPhDは国外で取得したいと考えていた。奨学金の機会にも恵まれ、イギリスでPhDを取得。その後、一度日本に帰るとキャリアの選択肢が狭まり、一方通行のように感じたため、イギリスで就職活動を開始した。


イギリスの人文・社会学系の分野では、PhD取得後はポスドクとして職を得るのが一般的である。そこで、フェローシップ型(自身の研究を進めるスタイル)とプロジェクト型(特定のプロジェクトのためのポスドクで、比較的採用されやすいもの)の両方に多数応募した。その後の就職活動も含めると、博士課程修了までに15件、博士修了後の4年間で52件の応募を行った。


プロジェクト型のポスドクとして2つの大学で約3年半勤務したが、その後の職がなかなか見つからず、一度日本に帰国することとなった。ただ、帰国直前に面接を受けていた助教授レベルの現職に採用され、ぎりぎりのところでイギリスに残る道が開けた。


しかし、ビザの関係で帰国後すぐにイギリスへ戻ることはできず、再渡英の前に、博士論文の審査員を務めてくださった方が所属するドイツの大学で半年間ポスドクとして勤務した。その後、日本でイギリスのビザ申請を経て、再びイギリスに渡った。


現在の職は任期の定めがなく、ポスドクよりはるかに安定している。しかし、イギリスの大学では、採算が取れない分野のプログラムを廃止し、教員をレイオフすることも珍しくない。そのため、今後も安定しているとは限らず、レイオフされても次の職を得られるよう、研究業績をはじめとする競争力を維持しておくことが重要だと考えている。


日本への本帰国も検討しているが、日本の大学では研究・教育以外の業務負担が大きく、帰国すれば研究業績の低下や競争力の減少は避けられないと予想されるため、まだ決断には至っていない。


【若手研究者へのアドバイス】

分野にもよるが、研究は国に左右されにくいため、研究職は国外勤務を目指しやすい職の一つだと思う。特に博士号を国外で取得すれば、その可能性は十分に広がる。海外での研究職を視野に入れるのも良いのではないだろうか。

2025年2月2日日曜日

海外就職レポート0015 基地での仕事から大学院へ留学後在米へ

さて、今回は日本では短大卒業後、日本の基地で働き、大学院留学後に博士まで取ったあと基地の経験を活かしてアメリカに残って働いている方のお話を聞く事ができました。とても柔らかい雰囲気の方で話を聞いていてとても穏やかな気持ちになり、きっと強さがある方だからこそ柔らかい雰囲気を持ちつつアメリカで生き残っているのだろうなと感じました。就職という面において特筆すべきだと思ったのは基地の経験がアメリカでの最初の仕事に役に立った事だと思います。抽象化すると面接官がCVを見た時に「あー、こういう仕事をしてたって事は多分こんな事をするのは問題ないんだろうな」って思ってくれるような経歴を持つことの大切さです。基地を選ぶ方は初めて会いましたが、とても意味のある経験だと思いましたし、海外でも名前の知られたイメージしやすい仕事に就く事は海外で働く上で有利にしてもらえる事が実感できます。とても素晴らしいお話をありがとうございました。

まとめると今回のポイントは「働きたい国で働く上で分かりやすい職歴を積む」事で海外で働く事のカギとなる要素だと思いました。


背景

日本の短大を卒業後、日本の会社で事務職として約1年勤務。その後、在日米軍に入職し、IT関連の仕事を経験。IT職で貯めた留学資金で渡米。

学業面では、学士号取得後に博士課程へ進学。単位取得退学し、修士号を取得。大学院の費用は全額免除され、ティーチング・アシスタントシップやリサーチ・アシスタントシップで得た奨学金(Stipend)で生活を賄っていた。

2002年にアメリカ西部に移住し、大学院まで進学。ニューヨークで2年半働いた後、カリフォルニアに転居。カリフォルニアは気候が良く、海や山が近い点や日本に帰りやすい点を気に入っている。

大学・大学院での専攻とは異なる分野で就職活動を行い、言語学での就職が難しかったため、ITの経験を活かしシステム監査の仕事に就く。就職先はLAキャリアフォーラムとボストンキャリアフォーラムを通じて探した。FビザからOPT、さらにH-1Bに切り替え、アメリカでの生活基盤を築いた。

働き始めた直後にリーマンショックを経験。ニューヨークでリーマンブラザーズのオフィス近くを訪れた際、社員が箱を運び出している光景が印象的だった。その後、社内トランスファーを通じてカリフォルニアに異動。


移行プロセス

短大卒業後、家族のために働きながらも大学進学を目指していた。英語は社会人になってから独学で始め、基地での職務では更に実践的なスキルを学ぶ機会があり、アメリカの方がチャンスが多いと考え移住を決断。


スキルと準備

基地内で提供されていた米国の大学の授業を2年ほど夜間とオンラインで受講し、学びを深めたことが大きな助けとなった。また、留学前に志望大学に連絡を取り、トランスファーが可能なクラスのみを受講し一般教養科目は終了しておいたため、留学費用を削減できた。


就職活動

LAキャリアフォーラムとボストンキャリアフォーラムを活用。ウォークインで企業と面談し、オファーを受けることができた。LAで日本でのオファーを受け、ボストンで交渉した結果、同法人のニューヨーク勤務にオファーを変更。キャリアフォーラムに参加していなければ、日本に帰国していた可能性が高い。


文化適応

基地内で働いていたため、他の移住者と比べてカルチャーショックが少なかった。基地の環境で英語を使用する日常が適応を助けた。


職場文化

在日米軍基地での勤務経験が英語での業務能力を示す証明となり、面接官の信頼を得る助けとなりオファーが受けられた。経歴が明確であったことが自己アピールに役立った。


長期的な目標

現在の仕事は実務としては携わっているものの、体系的な学びが不十分な分野について学びを深めたいと考えている。アメリカ移住時には帰国しないと決めていたが、将来的にはハイブリッド生活を目指している。


これから海外就職する人へのアドバイス

「自分には関係ない」「自分には無理」と思わずに挑戦してほしい。キャリアフォーラムはチャンスが多いので参加を勧める。ウォークインでの面談からオファーを得た経験があるため、直接話をする場を活用することが重要。