2025年1月27日月曜日

海外就職レポート0014 研修医後オーストラリアへ移住

さて、今回は研修医を終えたあとオーストラリアに移住し、医師として働く人の紹介です。特に印象的だったのは、最初のステップは地道な活動だった事です。知り合いや学会でのつながりを活用して最初のポジションを取ったとの事ですが、特に明確なコネクションや期待があった訳でもないにも関わらず現地に行きコーヒーチャットをたくさん行う事がきっかけだったそうです。医師というアドバンテージがあるとは言え、国を越えてキャリアを切り開く上では地道で能動的なアクションが有効だったという事は多くの人に示唆があると思います。


背景

高校時代に各国代表が集まるキャンププログラムに参加。日本の医学部で6年間学び、後半は2–3か月ごとに海外の国際機関やNPO、研究室を経験。卒業後は初期研修医を2年間務め、その後オーストラリアに移住。


移行プロセス

初めは無給の研究ポジションを探し、知り合いや学会でのつながりを活用して獲得。

2年目以降、労働ビザを取得して臨床医として働き始めた。


文化適応

雑談や医療用語の違い(例: エピネフリンとアドレナリン)に慣れる必要があった。

患者とのコミュニケーションに大きな問題はなかったが、言外の背景の共有に課題を感じた。


長期的な目標

現在のキャリアを進めつつ、オーストラリアでの生活を継続する予定。

様々な要因に柔軟に対応しながらキャリアを形成していきたい。


メッセージ

大学入試は公平性があったが、その後のキャリア形成は人との縁や積み上げが大きな影響を与える。

自身の興味や目標に応じて柔軟に進むことが重要。

2025年1月26日日曜日

海外就職レポート0013 ヨーロッパの大学を出てそのまま就職

 さて、今回はヨーロッパに勤める比較的働き始めて経験の少ない人にインタビューをする事ができました。もともと国際的な経験のあった方で言語や文化面での問題が少なかったのはあると思いますが、何より自分の志望する業界を早く絞った事とその業界の中でキーとなる人たちからの信頼を積み上げていった事がうまくいっている要素なんじゃないかなと話を聞いていて思いました。

背景

20代中盤でヨーロッパにて日系五つ星ホテルに勤務中。営業職を担当。

大学はオランダ・アムステルダムでホテル専攻を卒業。ホテルにフォーカスしたMBAに近い内容を学んだ。

台北、アムステルダム、東京で生活した経験があり、アムステルダムには通算12年住んでいる。

言語は日本語と英語を話す。

中学生以降はインターナショナルスクールに通い、高校は台湾、大学はアムステルダムを卒業。


移行プロセス

アムステルダムの大学を卒業後、一年間自由に働けるビザを取得。その後、雇用先から高技能労働者ビザを発行してもらい、就職。

アムステルダムに戻りたい気持ちと英語でビジネスを学ぶ目的でオランダの大学を選択。


その他の活動

本業とは別に、日本酒のイベントなどを開催。


長期的な目標

現在のキャリアを基盤に、アムステルダムでの生活と仕事を継続。


メッセージ

海外で働くためにはビザの仕組みや選択肢を知ることが重要。卒業後に得られるビザ制度を活用するのがおすすめ。

2025年1月19日日曜日

海外就職レポート0012 駐在という海外フラグをきっかけに国際機関へ

さて、今回は現在国際機関でプロジェクトマネジメントの責任者をする方にインタビューをしました。またとても楽しいインタビューだったのですが、過去のインタビューも含めて思った事としては、「海外フラグ」が海外就職をする上では大切なのかなと思っています。海外フラグとは周りの人がその人に対して海外で働く事に対して問題がないだろうと思われるという概念なのですが、それを早く立てる事が大切で一番簡単なのは海外就職を経験する事です。鶏と卵みたいな話なのですが、一度経験した人にはより多くのチャンスが回ってくるという事も事実であり、その最初のチャンスを早く手に入れる事が大切です。それが留学だったり、海外駐在だったりするのですが、今回の方の場合はキャリアの初期段階で海外駐在をしていた事がかなり影響を及ぼしていそうです。

また、加えてコンサルティングファームで実際に関わっていた国際機関に就職したという事でそこでも一定程度の信頼がすでにおそらくあり、フランスに実際にいなかったものの現地の組織においてソーシャルキャピタルが築けていたのではないかと想像しています。

なので、今回の海外就職の示唆としては以下です。

  • 海外フラグをできるだけ早く立てる
  • ソーシャルキャピタルを築いてそれを使って転職をする
では、インタビューまとめは以下の通り。

背景

日本の国立大学を卒業。授業の三分の一ほどが英語で行われており、早くから国際的な環境に触れていた。新卒では日本企業に国際事業を前提に入社、中国担当になる。初めての中国出張中に9.11が起きたが街は通常通り働いており、「これからはアジアの時代だ」と確信した。

その後、香港でMBAを取得。小さくても組織のトップを目指したいと考え、インドで支店長を務める。規模に関係なく、組織のトップとして責任を持つ経験を重視してきた。13年にわたって海外でキャリアを築いたが、日本に戻った際、本社の一担当としての役割で成長曲線が緩やかになる事を感じたため、厳しい競争的な環境への転職を決意。30代半ばで戦略コンサルティングファームに転職し、マネージャーに昇進。その後、公的プロジェクトで関わった国際機関のポジションに直接応募し、フランスへ移住。現在はプロジェクトマネジメント責任者。

文化適応

中国勤務時には業務は英語、日常会話を中国語で行っていた。現在の国際機関では日常的に多少フランス語を使うが、英語が業務での共通言語となっている。

家族と教育

子どもは現地のインターナショナルスクールに通学。家では日本語、学校では英語とフランス語で育っている。

長期的な目標

40代では自己の成長よりも「世の中の何に貢献できるか」を重視しており、現在の仕事がその目標に合致しているため、今後も同じポジションで働き続けたいと考えている。人はManageするのではなく、Leadするものだと信じている。

メッセージ

駐在や社費留学は個人の能力と将来の可能性を伸ばす絶好の機会であり、これをうまく活用することが重要。とにかく海外で能力を発揮したい&できる人材となる事が、次の海外就職の近道になる。

2025年1月13日月曜日

海外就職レポート 0011 日本で就職後、米国へ修士博士留学し就職

   今回は日本で就職後米国に留学し博士まで取得し、米国でそのまま就職した方の例を紹介します。博士からの留学自体はとても素晴らしいですが、何よりもっと素晴らしいと思ったのは授業料免除に加えてお金をもらって修士から学べた事だと思います。盛り上がりそうだなと思った業界に行った結果、かなり良い条件で自分のキャリアアップができていて、現在につながっているところがポイントかなと思います。こういった意思決定の質の高さと行動の早さが良い結果につながっているのでしょう。

背景

地元の公立高校を卒業後、アメリカの大学に留学。中退後、数年間派遣などで働き、日本の大学に三年次編入。卒業後は数年間働いた後、情報系の修士号をアメリカで取得し、さらに博士号を取得。以降はデータサイエンスを軸にしたキャリアを築いている。2010年代前半だったため、当時は情報系大学院課程への競争が少なく、現在よりは楽に入学できた。


移行プロセス

修士課程と博士課程は同じ大学の同じ学部内で進学した。修士課程から授業料免除かつStipendが得られたので、学費負担なく学ぶことができた。


スキルと準備

PhD課程は一般的にストレスが非常に高く、修了が難しいと言われるが、学部長や指導教官の支援で課題が軽減。特に、リサーチアシスタント(RA)として仕事経験を積ませてもらえる環境が整っており、指導教官の先生も非常に丁寧にコミュニケーションを取ってくれたため、研究もストレスが少なく、仕事を得るための準備もできた。


就職活動

所属大学内でデータサイエンス系の仕事を探した。大学内の博士課程で研究していたため、すでに信用があり、比較的スムーズに仕事を見つけることができた。


文化適応

2021年に就職をしたが、コロナが終わりかけの時期でリモートスタートだったため特有のやりにくさがあったが、少しずつ環境に適応。


職場文化

研究室やグラントごとに多岐に渡るプロジェクトに参画できる。


長期的な目標

自分自身の目標の多くは叶ったので、今後は子どもにとってベストな環境を選んでいきたい。


これから就職する人へのアドバイス

情熱があることをやるのが重要。やりたいことにリスクを取って挑むべき。 日本にとどまるのも、海外に出るのも両方リスクはあるし、それぞれにメリット・デメリットもある。比較をして有利な生き方を考えることを否定はしないが、自分がやりたいことを選んでいかないとなかなか長続きしないし、逆にやりたくないことを長続きしても意味がない。


その他の願い

アメリカの教育環境が気に入っている。特にLeadershipとCreativityを重視する教育は日本も参考にしてほしい。

2025年1月6日月曜日

海外就職レポート 0010 日系企業の駐在、MBAを経て独立

さて、今回は日系企業で駐在を通じて海外経験を経て、MBA留学、その後ジェネラルマネージャーを経験して独立した方の紹介です。聞いていてとても面白く、自分で切り開いた感じがあってとても良いインタビューでした。特に印象に残ったのは、

  • 海外で勤務する事を目指し日系企業へ就職をした
  • 転職後も海外駐在の経験をフラグ立てとして、さらなる海外経験を重ねた
  • MBAとマネジメント経験はシグナル効果としてあるものの、本人の重ねた信頼が大きい
という点でした。日系企業は配属リスクがあるというもののその中でもしっかりうまく道を切り開いた方の例でした。

背景

日本の大学四年生の時に一か月の語学留学を経験。卒業後、日本企業に就職し、八年間勤務。その間、中国、アメリカ、フィリピンの三か国での駐在を経験し、ほぼ海外勤務だった。新卒での就職先は海外でのキャリア形成を視野に入れ、日本企業を選択。大学時代から志していたMBAをイギリスで取得。 MBA取得後、以前の職場から声がかかりフィリピンで再び勤務。その後、現地社長を数年務めた後、特に次の計画を立てずに退職。その結果、様々な仕事が舞い込み、それを事業として独立。キャリア設計はMBAまで計画的だったが、それ以降は信頼や経歴、学歴のシグナル効果とフットワークの軽さが後押ししていると感じている。

移行プロセス

駐在から独立に移行。そのまま現地に残る形で活動を継続。

課題

移住において大きな課題は特に挙げていないが、駐在から始まったため、既存の職場環境や支援があった点が移行を容易にした。

文化適応

駐在を通じて様々な文化を経験していたため、大きなギャップを感じることなく適応できた。

スキルと準備

MBAでの学びや駐在時代の経験が基盤となった。特に、異文化理解や幅広い業務の遂行能力が役立った。

就職活動

駐在やネットワーキングを通じた繋がりを活用。MBAや駐在経験が信頼性を高める重要な要素となった。

ネットワーキング

駐在やMBAを通じて広がった人脈がキャリア形成に大きく寄与。特に、現地の経営層や同僚との繋がりが重要だった。

職場文化

海外の職場文化においては、全責任を負うジェネラルマネージャーとしての経験が、柔軟性と包括的な視点を養うきっかけとなった。

長期的な目標

現時点では具体的な目標は定めていないが、東南アジアをコアとし、この地域での活動をさらに深めていきたい。

今後海外にチャレンジしたい方へ

好きな国を見つけることが重要。自身は最初、日本以外で働きたいというモチベーションからスタートし、その後東南アジアにシフト。最初の海外駐在がキャリアのきっかけとなり、その後の展開に繋がった。早めに海外フラグを立てる方法を模索するべき。

その他

ジェネラルマネージャーとして全責任を負った経験から、必要なものは何でもやるという姿勢を持っている。