2025年3月23日日曜日

海外就職インタビュー0030 PhDから米国へ、その後Meta社で研究職

さて、前回に引き続きPhDからアメリカに残った方のお話です。特にMeta社で研究をするというとても珍しいキャリアの方ですが、そんな方でもPhD中は中々経済面の困難さがあり、銀行口座がマイナスになったというエピソードが印象的です。また、日本人はダメなら帰れる母国があると言っている事もまさしくそうだなと同意します。たまに日本に対して悲観的な意見を見たりしますが、それでも経済大国であることは事実であり、英語がある程度できるのであれば仮に海外に出てうまくいかなくても帰国して仕事を見つける事は難しくないでしょう。また、おそらく経済的な魅力は相対的には下がっていくの今まだ魅力があるうちに出ていく事も良い選択肢だと思います。

背景とこれまでの経歴

  • 幼少期から中学卒業まで、3~4年おきにスコットランド、イタリア、イギリスと日本を行き来しながら過ごす。高校・大学は日本で在学し、東京の大学では都会生活の閉塞感を感じる一方、卒業後は給料が出るPhDコースを検討。
  • その間、半年のギャップイヤーを利用してインドへ渡航。友人から「人を募集しているインドの掲示板」を紹介してもらい、バンガロールのスタートアップを見つけ、生活費込みでオファーを獲得。 “インドのシリコンバレー”と呼ばれる現地のITビジネスを肌で体験する。

アメリカでのPhDと研究生活

  • インド滞在中にアメリカの大学からPhD合格通知を受け、日本に少し寄った後に渡米。
  • 最終的に約6年かけて神経科学の「Brain Computer Interface」分野で博士号(PhD)を取得。
  • RA(研究助手)として働きながら研究を続ける典型的な博士課程の進路を辿ったが、経済的な厳しさが最も大きな課題だった。歯科治療費を支払った際に銀行口座の残高がマイナスになったこともあるが、株トレで生き延びた。研究自体は楽しく、同僚にも恵まれていた。

卒業後のキャリア選択とMetaでの活躍

  • 博士課程修了時、アカデミア(研究職)、起業(スタートアップ)、民間企業研究職という3つの道を模索。
  • 起業家支援のYコンビネーターのインターンに参加し、自身での起業も検討したが、多額の資金と長期的視点が必要な事業領域だったため、その時点での起業は断念。
  • 当時Facebook(現Meta)のBrain Computer Interface部門でインターンを行い、オファーを受けてResearch Scientistとして入社し、部門異動や組織統合を経ながら現在はヒューマンコンピュータインタラクションの組織で研究している。

ビザとグリーンカードの取得

  • PhD取得後はOPT(3年枠)を活用して就職し、早期にH-1Bへ移行。さらに半年ほどでグリーンカードも取得。
  • PhDホルダーとしてビザや永住権の取得は比較的スムーズだったと感じている。

生活面の苦労とプライベート

  • コロナ禍の最中、テキサスからベイエリアへ引っ越し、リモート中心の環境でソーシャル面で苦労。
  • 同時期にオンライン婚活も進め、Zoomデートを通じて現在のパートナーに出会い、結婚。

海外を目指す人へのアドバイス

  • メリット・デメリットを天秤にかけるより、心から面白いと思える領域を突き詰めるほうが納得感がある
  • 日本人の強みとして「ダメなら帰れる母国がある」ことで、気軽に海外へ挑戦してみても良いのでは

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