2025年3月17日月曜日

海外就職インタビュー0027 アメリカの大学・大学院を出て様々なビザを使い米国でサバイブ

今回は、幼少期のイギリス生活からはじまり、日本で外資系金融やスタートアップを経験し、さらにアメリカで修士号を取得してNPOや複業を通じて活躍してきた友人の話を書きました。

友人はいわば「道を開いていくプロ」で、キャリアの始まりは金融業界だったものの、大学院留学を経て自分に合う専門領域にピボットし、現在は今まで培ったスキルと人間関係(ソーシャルキャピタル)をもとに新しい仕事の機会を次々と得ています。

インタビューを通じて改めて感じたのは、社会人としてのスキルや経歴に加えて、長期的にソーシャルキャピタルを築くことがキャリア後期には特に重要になるということ。そして何より、粘り強さや複数の選択肢をどんどん実行していく行動力が、本人の道を切り開いてきたのだなと実感しました。

さまざまな国や組織を渡り歩いてきた友人の経験談は、まさに「見える景色が変わったら、そこからさらに一歩外へ踏み出す」ことの大切さを物語っています。今回のインタビューは非常に刺激的で、多くの学びを得る時間となりました。

幼少期・初期の海外経験

  • 小学校時代にイギリスで3年間過ごす。暗記やテスト主体ではない授業スタイルに魅力を感じ、のちの留学志向に影響を与えた。
  • その後は東京で生活し、高校卒業時に教師のすすめでアメリカの大学へ進学。


日本での社会人経験から大学院留学へ

  • アメリカの大学卒業後、日本の外資系金融機関で株関連の仕事を5年間行い、中規模スタートアップの人材系企業で2年間法人営業を担当。
  • 会社の方針で修士号取得が必要になり、パートタイムではなくフルタイムで、かつ米国で取得することを決意。
  • 修士課程を修了した後、「短い修士プログラムで学んだ後すぐ帰国する気になれず、OPT期間を利用してアメリカに残る」と決めてOPT期間を利用してアメリカに残る。


NPOインターンと複業

  • 大学時代から関わっていたグローバルNPOに、ポジションがなかったもののインターン枠を作ってもらいサマーインターンとして働く。
  • 同時に、在学中に書いていたブログを読んでくれていた企業とも半々で働く形をとる。
  • OPTが切れる時期にNPOのフルタイムに移行し、引き続き東海岸で活動。


ビザの問題とキャリアの変遷

  • 7年目でH1Bが切れるタイミングに直面。もともと長く滞在するつもりがなくグリーンカードを申請していなかった。
  • しかし家族ができアメリカに残りたいと思い、日系スタートアップでビザを取得。その後、学生ビザも活用し、最終的には自身の会社を立ち上げてビザを発行できるようになる。
  • 現在の仕事は、過去に築いた人間関係とプロとしてのスキルを掛け合わせた結果、自然な流れで獲得できたものが多い。


海外を目指す人へのアドバイス

  • 「A地点からB地点への道を逆算する」のではなく、今の場所から少し視野を広げて、見える景色が変わったらさらにそこから一歩外へ出る、という“積み重ねモデル”でキャリアを考えるのがおすすめ。
  • 最初からたとえば〜」のところは「where(どこで)what(何を)やりたいか、というイメージを持つことは悪くはないけれども、そもそもwhy(なぜ)そういう環境に行きたいと思っているか、そこに行ったらどのような自分・どのような世界が広がりそうか、を意識しながら行動し続け "ゴール・ありたい状態" を更新していくことが大切。

2025年3月16日日曜日

海外就職インタビュー0026 日本で外資系、MBAを経由し欧州でマーケティングのチームリーダーへ

さて、今回は国立大学を卒業後外資系で勤務し、ヨーロッパのMBAへ行き、そこからさらに伸び続けている方の話の紹介です。MBA留学からの現地就職は多少困難な面があるとはいえ、それなりの経験があれば可能な中で特筆すべきはそこからすぐに昇進をし多くのチームを率いている点があると思います。「昇進したい人間は次のレベルの仕事をすでにしているべき」や「基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを」等のコメントからも強いプロ意識が背景にあり、それにより突き進んでいるんだと思います。聞いていてとても刺激になる回でした。


日本でのキャリアスタート

  • 国立大学卒業後、外資系FMCG企業に入社し、約8年間マーケティング業務に従事。
  • 新製品の日本発売プロジェクトで厳しい環境の中、粘り強く働いた結果、周囲が多く入れ替わる中で残り続け、3段階飛びの昇進を果たす。


キャリアの転機:MBA取得

  • 新設のデジタル部門に移って戦略業務を担当していたが、外資系とはいえ年功序列が強まる風土を感じ、海外でキャリアを築く武器としてMBAを取得することを決意。
  • 一年で卒業できるプログラムを重視し、ヨーロッパのMBAへ進学。馴染みにあるスイスの学校を選択。
  • 多様性のあるチームマネジメントの練習場として、MBAは最適な場だった。学術面においては、大きな苦労はなかった。


ヨーロッパでの就職

  • MBA修了後、ヨーロッパ拠点の企業でマーケティングの仕事を見つけ、数年で全製品のEMEA(欧州・中東・アフリカ)マーケティング責任者に昇格。
  • 昇進のポイントは「昇進したい人間は、すでに次のレベルの仕事をしているべき」という考え方と、FMCGでのP&L(損益)責任経験から得た幅広い業務知識にあったと振り返る。


今後の展望とマネジメントの課題

  • 経営幹部へのステップアップをしたい。
  • ヨーロッパでのマネジメントは、自分の責任を最小化しつつ成果を最大化しようとする人が多く、アウトプットの質を管理するのが難しいと感じている。しっかりしたマネジメントが必要。


今後海外就職する人へのアドバイス

  • 基礎学力が固まっていれば、あまり身の回りの準備に時間を絶やさずに、早めに現地に行くdecisionを。
  • 70/20/10と言われるようにラーニングの70%は経験からくるので現地で奮闘する方が有効な時間が過ごせると思う。

2025年3月15日土曜日

海外就職レポート0025 商社駐在、米国MBAからの米国で経営幹部候補として就職

さて、今回は商社で駐在等を経験したのち、アメリカのMBAを経由して、アメリカで経営幹部候補育成プログラムに採用された人の話です。すごくきれいにキャリアの切り替えがうまくいった例でMBAの効果を最大限に発揮したパターンだと思います。特に印象的だったのがアメリカでの就職活動においては商社での経験でジェネラリスト的で伝わりにくくファイナンスに寄せた就職活動をしてうまくいった事です。別の記事で以前書いた方は基地の経験が分かりやすくうまくいったとの事ですが、今回の方はアメリカでは一瞬では分かりにくいキャリアをうまく伝える方法を考えてうまくいったのだと思います。

大学時代・留学のきっかけ

  • 在学中に二週間ほど海外の学生とプロジェクトを行うプログラムに参加し、より本格的に留学したいと思うようになる。
  • 4年次にオーストラリアへ1年間の交換留学を決意。1年留年して大学を卒業。留学は海外生活に慣れる機会だったが、授業についていけない部分も多く、不完全燃焼感が残った。


商社時代

  • 卒業後に商社へ就職し、東南アジアに2年間の駐在を含め約6年間勤務。
  • グローバル企業で働く人々との出会いから、駐在では自身のキャリアを自分の意思でコントロールしづらいと感じるようになる。


アメリカMBA留学

  • 社会人2年目頃からMBA留学を検討し始める。過去の留学での「もっとしっかり学びたい」という思いと、商社の先輩などの影響が決め手に。
  • 商社でのジェネラリスト業務から脱却し、ファイナンスにフォーカスする形で就活を行い、夏のインターンを経てローテーションプログラム(幹部候補生育成プログラム)からリターンオファーを獲得。日本人初の採用となる。


アメリカ就職とビザの壁

  • アメリカの大学院を卒業するとOPT期間があるが、ビザをサポートしない企業では働けないため、スポンサー可能な企業に限定して就職活動を実施。
  • 商社のような「ジェネラリスト枠」はアメリカでの就活において理解されにくく、明確にファイナンススキルを打ち出したことで成功した。


今後の展望

  • どれだけアメリカに残るかはまだ未定。今の業界自体は好きで続けたいが、必ずしもアメリカにこだわってはいない。
  • MBAでアメリカ人と2年間学び、文化やネットワーキングに慣れた状態で働き始めることができたのは大きな強みになっている。

2025年3月10日月曜日

海外就職レポート0024 英国YMSビザでの就職での苦労と今後の展望

さて、今回は比較的キャリアの発展途中にある方のインタビューをまとめました。会社員として積み上がるようなキャリアを積んでいくためには職歴が大切な事や実際の職場で働く事で専門用語を使う英語を伸びていく事を聞く事ができました。現在の仕事の延長にデザインやアートに関わりたいという目標もあり、そういった目標に到達できるよう応援できたらなと思っています。今までインタビューしてきた方々はある程度長く経験を積んでいて、一旦の目標を達成した方が多かった印象ですが、発展途上にある方の生の声は参考になる人も多いのではないかと思います。


海外就職インタビューまとめ

もともと海外生活に興味があったものの、仕事の忙しさや金銭面の不安からなかなか行動に移せませんでした。そんな中、イギリス人のパートナーができ、彼が「イギリスに戻りたい」という思いを抱いていたこともあって、まずはYMSビザ(ワーキングホリデーのようなもの)で2年間イギリスに住み、働くことを決断しました。


苦労したのは、仕事に応募しても履歴書がなかなか通らないことです。私はロンドンではない田舎の地域に住んでいるため、そもそも求人数自体が少ないのが現状でした。イギリスでキャリアチェンジをしたいという気持ちもありましたが、イギリスでは職務経験を重視する傾向が強く、日本のみでの職歴では希望する職種の面接さえ受けられない状況でした。


日本では教員をしていたため、小学校の給食監視員としてパートタイムのオファーをいただきましたが、無犯罪証明書を日本から取り寄せる必要があり、それが届くまでの数か月間は働けませんでした。そのほか面接に呼ばれたのは食品工場、レストラン、そして現在勤務している印刷会社とカフェです。


印刷会社の仕事はIndeedで見つけて応募しました。二次面接まで進めたものの、その時点では不採用でした。しかし社長から「ポジションが空いたらまた連絡したいので、履歴書をこちらで保管しておいてもいいか」と打診があり、承諾。2か月後に自分からフォローアップのメールを送り、まだ興味があることを伝えたところ、その約1か月後に退職者が出たので「ぜひ来てほしい」と声をかけてもらえました。


カフェの仕事は、同居しているパートナーの妹からの紹介です。彼女の知り合いがそのカフェの常連客だったようで、「働いてみたら?」と勧められたものの、妹自身は別の場所で働きたいと考えていたため、私に話が回ってきました。


印刷会社では、働く時間を各スタッフの事情に合わせて設定してくれるため、人によって勤務時間が違います。そうした環境なので定時で帰りづらいという雰囲気はまったくなく、残業がないのが当たり前なのには驚きました。さらに遅刻しても何も言われず、遅れた分は後で長く働けばいい(その日でなくても良い)という柔軟さにも助かっています。休憩時間は1日に3回あり、それぞれ好きなタイミングで取れるのも驚きでした。


印刷会社では、イギリスの観光地のグッズ(トートバッグなど)にデザインを印刷しており、デザインデータを実際の形にする作業にやりがいを感じます。基本的に一人で作業していますが、チームのメンバーに相談したり、上司から指示を受けたりする場面もあり、日々英語を使う環境です。そのおかげで、専門用語を含めた英語の語彙が自然と身についてきました。やはり語学は実際に使う環境に身を置くことがいちばんだと実感しています。


もともとデザイナーへの憧れがあったので、今後は会社の中でできることを増やし、デザインやアートワークの分野にも携われるようになることが目標です。現在のビザが切れたらパートナービザを申請し、ゆくゆくは永住権を取得できればと考えています。


海外で就職するには、やはり経験が求められると痛感しました。新卒でいきなり海外、というのはかなり苦労している人が多い印象です。新卒でなくても、私のように手に職がない状態だとレストランやカフェなら何とかなるかもしれませんが(それでも私は応募先の大半で履歴書が通りませんでした)、会社員として働くには海外でも通用するスキルを身に付けておく必要があると思います。もちろん英語力は必須で、英語ができない状態で「どこでも働ける」と言うのは、どんな職種でもいい人向けでしょう。自分のやりたい仕事を海外で実現したいなら、英語は話せないとどうにもなりません。周りのライバルは英語を不自由なく使いこなす人ばかりなのですから…。

2025年3月9日日曜日

海外就職レポート0023 総合商社、東南アジアでのスタートアップ経験を経て仏MBAからの現地就職

さて、今回は10年来の友人でミャンマーにいる際に訪れたこともある方の海外就職の紹介です。総合商社という待遇も良く海外にも任期付きとは言え出やすい仕事を捨て、東南アジアのビジネスの立ち上げからのフランス留学しフランスで勤務という多様な地域に渡る経験の話を聞きました。元々の仕事の経験を活かしうまく仕事を見つけた事に加えて、プライベート、待遇、成長、やりがい全てが高水準で満たされると実感できることはなかなかないことだと思います。それも本人の持つハードスキルに加えて、本人から言及はないですが、文化の違う中で人間関係をうまく作っていく柔軟性や魅力のある人間性があるんだろうと思います。


学生時代の海外志向

  • 神奈川出身で、小中高と野球に打ち込む。大学では国際交流活動に従事。5年在籍のうち1年間はアメリカの州立大学に留学。
  • 幼少期から母親の海外出張やテレビ番組などの影響で海外に憧れを持ち、「留学ならアメリカ」と考え渡米。
  • 留学先はアジア人よりラテン系が多い地域で、外向的なノリに合わせる術を身につけた。


商社就職と早期転職

  • 大学卒業後、グローバルビジネスを目指して総合商社に入社。
  • しかし実態は日本人同士の仕事が多く、グローバルに戦うには不向きと判断し、2年目で退職。


シンガポール・ミャンマーでの事業立ち上げ

  • 人事系の小規模企業に転職し、シンガポールで1年ほど勤務。
  • 日本で獲得した案件の実行が中心だったが、現地法人で直接ビジネスを立ち上げるべく、当時開拓余地が大きかったミャンマーに行き、オフィスを立ち上げ1年半ほど事業を展開。
  • その後、縁のあったクライアント企業に転職を直談判し、人事部門に所属。


フランス赴任とMBA取得

  • 同企業での勤務中にフランス赴任の機会を得て、現地で働くうちに「フランスに残りたい」と考える。
  • 半年ほどの準備でフランスのMBAプログラムに合格し、学生ビザを取得。
  • 比較的フレキシブルなプログラムだったため、在学中にフランス企業でインターン。
  • 半年後、ポジションの空きが出たタイミングで正社員オファーを獲得。COVIDの影響で不安定な時期もあったが、最終的に採用が決まった。


現在の勤務状況と満足度

  • フランスの企業に正社員として働き始めて約5年。
  • 「プライベート、待遇、成長、やりがい」の全てが高水準で満たされており、「これ以上の会社はないかもしれない」と感じるほど充実している。


文化的な適応と働き方

  • シンガポール、ミャンマー、日本、フランスと多国を渡り歩いたが、国の文化よりも会社や所属チームの文化の違いの方が大きいと感じた。
  • 「○○だからこうだ」といった固定観念を持たず、柔軟に適応する姿勢が重要。


今後の展望とアドバイス

  • 現在の会社に大きな満足感があるが、将来的には小規模ビジネスの立ち上げなども視野に入れている。
  • 「世界で戦える」ハードスキルを持つことが大切であり、データやテクノロジー分野での専門性が強みになると実感している。

2025年3月8日土曜日

海外就職レポート0022 アメリカへ留学し製造業から教育分野へキャリア転換

さて、今回は日本の大学に在学中に自身で働きお金を貯め留学、そこからアメリカで働き始めた方の話です。特に印象的だったのは最初は製造業でキャリアを積みつつ教育分野へピボットをした事、またMBA、教育学修士、ブロードレジデンシーなど多様な教育機会を得て積み重ねる事によりキャリアを切り開いている事でした。私も継続的に変化する時代に合わせて勉強をし続けたいと強く思えるインタビューでした。


首都圏の地方公務員の家に生まれ、中学1年生まで英語を学んだ経験はなかったものの、英語は好きな科目だったので熱心に勉強を続けてきた。しかし、帰国子女と同等の英語力を6年間の学習で身につけるのは難しいと感じ、いつか留学したいと思うようになる。大学在学中にアメリカへ1年間の交換留学を経験した際、「やろうと思えばできる」と感じると同時に、「1年では物足りない」と強く思った。


そこで、外資系法律事務所でアルバイトしながら英語を使って資金を貯め、職務経験がなくても受け入れてくれるMBAプログラムを見つけて再渡米。修士課程では2学期目からティーチング・アシスタント(TA)の職を得ることができた。偶然、ジムの前で話した教授がTAの募集を紹介してくれ、翌年も縁があって継続できた結果、学費がほぼ免除になり、多少の給与も得られたため、経済的に支障なく卒業できた。


卒業後は漠然と「日本に帰りたくない」という思いもあり、日系の製造業企業に就職してアメリカで6年間勤務。しかし製造業が自分に合っていないと感じ、転職を考え始める。当時はH-1Bビザのスポンサーが必要だったため、スポンサー企業を探していたところ、教育関連のNPOが日本人を募集していると知り、オファーを受けてビザの切り替えを待ちながら数か月間は前職に留まった。NPOではプログラム運営やファイナンスを含むさまざまな業務を担当し、8年ほど働いたが、そのNPOがM&Aで買収された後にカルチャーが合わず辞職。その後は教育系のキャリアを積み重ね、近年はおよそ50~60校の公立学校が属する学区で学力テストの管理を中心に担当。現在はオペレーション部門にて、学区内におけるプロセス標準化の推進をする業務を進めている。


The Broad Residencyへの参加と現職での取り組み

この教育分野への本格的な転身にあたっては、アメリカの公教育に特化したリーダーシップ育成プログラムである「The Broad Residency in Urban Education」に参加した経験が大きく貢献した。多様な背景の人材と共に学ぶ中で、教育行政の戦略立案やチームマネジメントに必要なスキルを身につけるとともに、自身のキャリアに対する自信が高まり、またプログラムの一環で教育学修士も取得した。現在の学区では大規模な改革プランが進められており、すべての生徒が質の高い学校やカリキュラムに公平にアクセスできるようにする「Rebuilding Stronger」というプロジェクトに携わっている。改革においては、計画準備の段階で学区全体の学力テストや調査データを分析し、コロナ前後の在籍状況を把握する、保護者としての視点を共有するといった面でリーダーシップを発揮している。


保護者としての視点とモチベーション

さらに、自身も子どもを同じ学区に通わせる保護者として、学区が着実に良くなっていることに喜びを感じる一方、「すべての生徒に成功の機会を届ける」という使命感を持って改革に取り組んでいる。学校現場や保護者の視点を踏まえながら教育改革に関われることが大きなモチベーションになっている。


ビザについて

約20年前のH-1Bビザは、制限数に達するまで1か月以上かかることが多く、比較的取得しやすい時代だった。当時のタイミングで思い切って行動したのは正解だったと思っている。


アドバイス

実現したいことが複数ある場合、それらを一度にすべて満たすのは難しい。例えば3つ条件があるなら、2つ満たせれば思い切って飛び込んでみるというマインドセットが大事だ。まず2つを満たしてから、残りの1つを埋めにいく方法もあるため、最初から完璧を求めすぎずに行動を起こしてほしい。

 

2025年3月3日月曜日

海外就職レポート0021 結婚をきっかけにシンガポールに移住し、ジャパンデスクからピボット

 さて、前回と同様に結婚をきっかけに日本から海外へ引っ越し就職した方の紹介です。前回はアメリカでしたが、今回はシンガポールになります。日本で働いた金融の経験を活かしアジアの金融都市であるシンガポールで最初は日本人である事を強みに就職していくものの、少しずつ「日本語もできる事」が強みになっていくプロセスについて伺えました。特に日系企業のいわゆる現地採用には満足いく待遇でない事が多いと感じる事と日本語必須の仕事をしていてはキャリアの幅が狭まる事を聞けたのが印象的でした。

私見では日本経済は未だに大きく、海外に出ていく上では日本企業と仕事ができる事が未だに大きなメリットになると思います。相対的に日本経済の魅力が下がっていく中、早めにその強みを活かして海外に出ていく事は大事だなと感想を持ちました。

移住のきっかけ

  • 日本で日系・外資系の金融機関に勤務し、リテール営業や審査部門など幅広く経験。
  • 仕事のプロジェクトで出会ったシンガポール人男性と結婚し、彼がシンガポールへ戻るタイミングで一緒に移住を決意。2016年9月に渡星した。


シンガポールでの就職と転職

  • 渡星当初は無職だったが、たまたま米系金融機関が日本人を募集しており、2週間ほどで内定を得る。
  • その後、LinkedIn経由で別の金融機関から連絡があり、1週間ほどで転職が決まる。フロントからバックオフィスまで幅広い業務経験が、国を越えても採用されやすい理由だった。

職場文化の違い

  • シンガポール特有の文化よりも、会社ごとの文化の差に驚きがあった。例として「もうご飯食べた?」と日常的に聞いてくることなどが新鮮だった。
  • AIプロジェクトをはじめとする先進的な取り組みが進むアジアの一方で、日本は言語や商慣習の壁が原因でプロジェクトから外れがちである現実を知り、ショックを受けた。


日本語スキルとキャリアのジレンマ

  • 日本語が武器になるおかげで採用されやすい面はあるが、同時に「日本語必須」のポジションしか選べないリスクもあり、キャリアの選択肢が狭まるジレンマを感じる。
  • 日系企業のポジションは給与や労働環境の面で厳しいことが多く、日本語が「必須」ではなく「追加スキル」となるポジションを目指すようになった。
  • 渡星して8年ほど経った現在の仕事は、日本語が絶対条件ではない役割を得ており、より幅広いキャリアを築けている。


今後の展望とメッセージ

  • 結婚を機に予期せぬ形で海外へ飛び出すことになったが、シンガポールでの生活や仕事を通じて日本の置かれた国際的な状況を実感。
  • 「日本語ができます!」だけでは通用しにくく、「日本語もできます」というポジションが重要になっていると感じる。
  • 結婚によって当初の日本でのキャリアプランは変わったが、海外で幅広いチャンスを得られたことで視野が広がった。いまも「シンガポールに住んでいるのが不思議」と感じる瞬間があるが、結果的に多くの可能性と学びを得ている。