2025年4月2日水曜日

海外就職インタビュー0035 日本のマスコミ業から仏留学を経て「国、職種、業界」の全てを変え、欧州就職と起業

さて、今回は日本でマスコミで働いていた方がガラッとキャリアチェンジをしてパリで就職をして、マネージャーに昇進後、クロアチアで起業されたとても珍しい方です。MBA留学をすると色々な人が就職において「場所」x「業界」x「職種」の三つの軸を考える中で全て変えるのはかなり難しいと言われます。留学後の採用はポテンシャル採用が少ない中途採用であるため経験のない人は単純に採用されにくいです。場所が変われば言語の問題もあったりしてハードルが少し上がったりします。そんな中この方は三つ全てを変えて、その後マネージャーにも昇進する事で「職位」の四つ目まで変えるという稀有な方でした。ただ、本人曰くステップバックがやっぱりあったとの事でどの程度まで留学直後に変えるのかは自分で判断した方が良さそうです。キャリアの大きなピボットのきっかけとしての留学で成功例の方の話を聞きましたが、リアルな話を聞けました。アドバイスのところは特にリアルな声が出ているのでぜひ読んでみてください。


学生時代~大学院留学まで

  • 高校までは神奈川県で過ごし、大学は東京。3年生のときにアメリカへ1年間の交換留学を経験。

    • 留学では遊びと勉強のバランスがとれ、日本人の少ない学部に所属したことでアメリカ人や他学部の日本人と深く交流。

  • 大学5年目で卒業後、マスコミ業界に就職。働く中でデータサイエンスに興味を持ち、退職し2年間の修士留学を決意。

    • 学部時代がアメリカだったので、次はヨーロッパを選択。最終的にフランスの大学院で1年目に技術面、2年目にビジネス面での応用を学ぶ。

ヨーロッパでの就職とマネージャー職

  • 畑違いへの転職は苦労が多く、「あと1~2週間決まらなければ帰国しよう」というところまで追い込まれる

  • さまざまな企業にアプライした結果、パリのスタートアップでデータサイエンス関連の仕事を獲得。

  • 会社がオランダにビジネスを拡大する際に手を挙げ、マネージャーとして転勤。データサイエンスのトピックは同じながら、給料が大幅に上がったのは驚きだった。

クロアチアへの移住と起業

  • 2023年、旅行先で出会った相手と結婚を機にクロアチアへ引っ越し、自身の会社を立ち上げる

  • フリーランスでデータサイエンスの仕事を請け負い、当面は永住権取得までクロアチアに滞在予定。

  • 機会があれば国もキャリアも見直す方針で、柔軟に働き方を選択している。

キャリア観とアドバイス

  • 業界・職種・場所の3つを同時に変えるのは一般的に難しいとされるが、まったく不可能ではない。

    • 例えば「マーケティングからマーケティング寄りのデータサイエンス」のように、一部重なるスキルや分野があればよい。

    • キャリアや収入面で一時的にステップバックしても、3つ同時に変えたい人には選択肢となる。

  • ジャーナリズムとデータサイエンスの掛け合わせはまだ模索中。

  • 個人ブログでは歴史やビジネスを中心に執筆しており、今後も情報発信を続けたいと考えている。

  • ビザの問題が一番の障壁となる可能性が高い。きちんと下調べして、目処をつけてから海外に行くべき。現地の大学院を出てからだと現地企業から就労ビザのスポンサーを得やすいのでおすすめ。いきなり海外就職は難易度高め。

  • 世界一QOL高いと言っても過言ではない日本から敢えて出るのだから、生活のいろんなところでストレスを感じるのは当たり前。行政手続きが遅い、医者にかかれない、電車がこない、飯がマズイ…など。そんな時に解決してくれるのは金。クロアチアはいろいろ不便な国だが、自分は幸いじゅうぶんに稼いでいるので良いアパートに住めるし、高い日本食も買える。特に妻が出産を控えている時に高いお金を出してプライベートの産婦人医に診てもらえたのはよかった(パブリックの医者は質が悪いし待ち時間も長い)。自分はお金で精神衛生を保っている。だからこそちゃんと稼げる業界にいる必要がある。

2025年3月31日月曜日

海外就職インタビュー0034 様々な苦境をねじ伏せパートナーとともに米国で勤務

さて、今回は正直特殊な能力がある事は否めない人なのですが、ご紹介しようと思います。参考になるのは、配偶者の労働の権利まで会社が面倒を見てくれる会社を見つけた事とUS撤退という逆境の中でもうまく交渉をして米国勤務を引き出す交渉力ですね。また、こういった特殊な能力のある方でも大学を卒業する事の大切さを説いている事も多くの人へのメッセージとして意味があると思います。

渡米のきっかけと当初の予定

  • 24歳まで地方の実家から大学に通い、修士を終えて博士課程に進むつもりだった。
  • 未踏というプロジェクトで出会った仲間の誘いを受けシリコンバレーを訪問し、各社のオフィスを見学。
  • 当初は大学院進学を考えており、「働くつもりはなかった」が、日系メガベンチャーの米国オフィスでタイミングが合い採用される。


キャリアの変遷:日系メガベンチャー → 転職

  • 入社後1か月でUS撤退が決まったが、一時日本に帰国して成果をちゃんと出したのち、交渉の末に米国勤務を再開。
  • エンジニアとしてハッカソンなどで受賞し、同社に在籍していたが、上司が異動になったタイミングで就職活動を再開。
  • 配偶者も含めてビザ面を考慮してくれる日系ベンチャーに転職。
    • 通常のH-1Bでは配偶者は働けないため、配偶者の労働も含めて福利厚生の一環と考えてくれたのは大きかった。
  • その後、配偶者が就職して配偶者のスポンサーでグリーンカードを獲得し、米国で働き続けている。

フリーランスとしての取り組み

  • ビザの期限や制限により、アメリカに残りたくても残れない人が多い現状に直面。
  • 彼らを将来的に受け入れ支援できるようになりたいとの思いから、日本企業のサポートを行うフリーランス業にも取り組んでいる。

初めての独立生活がサンフランシスコ

  • 実家暮らしが長く、生活費の支払いや一人暮らしの基礎知識が乏しかったため、サンフランシスコでの生活自体が大きな挑戦だった。
  • 例えば、電気代の請求が来たら払わなければいけない、という感覚がまったくなかったほど。

若者へのアドバイス

  • 「大学は中退せずに卒業しておく」ことが重要。ビザ取得の面でも大卒資格が有利になるため、まずは卒業したほうが良い。
  • 職歴と学歴が一致すればアメリカで働くのは十分可能なので、大学卒業と職歴形成を両立させるのがおすすめ。

海外就職インタビュー0033 USCPAを取り、日本からアメリカへ直接転職

さて、今回の方は、多分ビジネス系では珍しく日本から直接アメリカに就職をしたパターンです。多くの場合は同じ企業内でアメリカ本社に転勤したり、大学院等を経由する事が多いのですが、今回は珍しくアメリカに直接転職した例です。USCPAを持っている事がその信頼の担保につながっていると思ういます。

大学時代まで

  • 関東で生まれ育ち、関西の私立大学に進学。中高でテニスに打ち込み、大学卒業まではほぼ日本で生活。

  • 大学では心理学を専攻し、3年生のときに約3か月カナダへ短期留学。この経験を通じて「なんとなく海外に出たい」という想いが芽生え始める。

メガバンク就職と転機

  • 大学卒業後、メガバンクに新卒入社。しかし、在籍中にコロナ禍が起き、海外駐在だった先輩たちが続々と帰国する様子を目の当たりにする。

  • 銀行内で王道の海外駐在を目指すには8~10年ほど経験が必要と知り、「30歳になってもまだ海外に行けないかも…」と将来を不安視。

  • 「ただ口だけで『海外に行きたい』と言い続ける人にはなりたくない」という思いから、銀行外への転職を検討し始める。

独立行政法人での経験とUSCPA取得

  • 海外関連の仕事を探す中、東京ベースの独立行政法人が3年間の契約職員を募集していることを知り応募。合格を機に初めて関西から東京に生活拠点を移す。

  • メガバンク在籍時から勉強していたUSCPA(米国公認会計士)を、独立行政法人で働きながら取得。

  • USCPA合格後、「アメリカに行こう」と決意し、会計関連のポジションを探すうちに1年半の有期雇用でアメリカへ渡るチャンスを得る。

アメリカでの会計キャリアとグリーンカード

  • 渡米後、会計事務所で働き始めて約2年半が経過。

  • その間、交際相手(パートナー)がグリーンカード(GC)のサポートを受けることになり、自分もそのプロセスに便乗する形でEAD(就労許可)を取得。

  • 現在はEADを使って、自身の知見を発信する活動もスタート。ビザの制限をクリアしつつ、副収入も得られるため、さらなるキャリアの可能性を模索中。

今後の展望

  • 大企業よりは比較的小規模な会社で会計のキャリアを深めながら、専門分野の情報発信も続け、何か新しい組み合わせを探していきたいと考えている。

アドバイス

  • リスクを考えすぎると行動できなくなるため、必要最低限の備え(例:TOEIC高得点やUSCPAなど分かりやすい武器)を磨き、リスクを取って動き出すことが大切。

  • 「まずは行動に移す」ことで、キャリアの可能性を広げられると強調している。

2025年3月30日日曜日

海外就職インタビュー0032 米国学部留学から、インターンを活かして米国での就職からのグローバルなキャリアへ

さて、今回は比較的難しいと言われている大学学部の留学からアメリカに無事残り、その上日本、インド等のグローバルなキャリアに発展させていった方の話です。本人も言っていますが、将来の目的のためにパズルのピースを少しずつ集めて積み重ねていったので出せた結果だと思います。特に興味深かったのはInternational student officeで働くことで知見を蓄えた事とCo-opという長期インターンを元々高校生の時から視野に入れて学校選びをしたことじゃないかと思っています。これだけ長期的に戦略的に積み重ねられる人も多くなく学ぶこともかなり多そうです。

海外でキャリアを築くまでの道のり。大学時代から海外で働くことを意識し、インターンや実務経験を積みながら、最終的にアメリカでの就職を実現。これまでの経験を振り返りながら、海外で働くために大切だと感じたことのまとめ。

学生時代のインターンとビザへの知識獲得

  • アメリカの大学在学中、International Student Officeで働きながら、就労ビザやOPTの制度について深く学べたことは、その後の立ち回り方に影響した。
  • 同大学の強みである「Co-op(長期インターン)」を通じて製造業とIT企業で半年間ずつインターン。Co-opは企業と学生の相互フィットを確認できる良い仕組みと同時に留学生として専攻と関係のある職歴が得られる貴重なシステム。

ボストンキャリアフォーラムでの採用獲得

  • 大学院卒業後、ボストンキャリアフォーラムに参加し、外資IT企業のブースにウォークインでアプローチ。STEM専攻だったためOPTが2.6年間(2025年現在は3年)使えたこともあり、アメリカでのポジションを希望しながら交渉を重ねた。結果的に、採用担当者から「Co-opの経験が目に留まった」と評価され、アメリカでの勤務が決定。

グローバルなキャリア展開

  • アメリカでの勤務を経て、さらなる成長の機会を求めて東京オフィスに2年間赴任。その後、発展途上国のビジネスに興味があったため、インドに2年間部署異動。インドでは規制の複雑さや競合スピードの激しさなど、基礎的課題が多い環境で多くを学んだ。
  • 帰国後は日本で物流部門からデジタル製品の経営企画へと業務を移行し、より広い視点でのビジネス運営に関わるように。数年前に再びアメリカの物流部門の経営企画へ再び異動し、グリーンカードを取得。

現在の職場と今後の展望

  • 現在の会社では、新たな分野への挑戦がしやすく、興味のある領域に積極的に関わることができる環境だと思っている。業務の幅が広がるにつれて「やりたいことが尽きない」と感じることも多く、成長の機会に恵まれていると実感。こういった点に魅力を感じているが同時に固執はしないように心がけている。

海外就職を目指す人へのアドバイス

  • 「棚ぼた」的にチャンスが舞い込むわけ機会は少ない(特にアメリカは就労ビザ制度を現状を鑑みると)。強い意志と試行錯誤、継続的な計画が不可欠。
  • 高校生の頃から“アメリカで働きたい”という漠然とした夢を抱き、長期的ビジョンを少しずつ形にしてきた。
  • 「筋トレと同じで、いきなり重いウェイトは上げられない。徐々に力をつけて成長していくプロセスが大切」

海外就職インタビュー0031 PhD後、Twitterを通じてポスドクのポジションを確保

さて、今回もポスドクの方なのですが、日本でPhDを取りポスドクを探すのにX/Twitterで発信しそこから海外の研究室でポジションを見つけた方の話です。ポスドクの方が海外に仕事を見つける話は結構聞いてきたのですが、X/Twitterを通じて職探しをして見つけた方は初めてだったので聞いていてとてもわくわくする内容でした。どういったポイントについても気を付けるのかも聞けたので興味がある方は見てみる事をお勧めします。

日本での研究生活と海外志向

  • 学部~博士号取得: 東京で育ち、海外留学や短期渡航もなく、最長でも国際学会の2週間が限度。

  • ライフサイエンス系の研究を専門とし、博士課程修了後はポスドクを検討。

  • 海外への興味: 「研究の最先端=海外」という漠然とした想いと、ポスドクが最後の海外進出チャンスかもしれないとの考えから行動を開始。

X(旧Twitter)を活用したポスドク探し

  • 募集発信: X上で「自分の研究内容とスキルを明示し、ポスドク先を探している」と英語で投稿。

  • 結果: 世界各地の5つほどの研究グループから連絡があり、Zoom面談を経て、最終的に現在の研究室に決定。

    • もともと論文を読んでいた馴染みのある研究室だったことも大きい。

  • 成功要因: プロフィールに自分の得意技術を明確に記載し、PIが「合うかもしれない」と判断できるようにした。

    • 論文の質だけでなく、「行動力+運+タイミング」が重なったと感じている。

X(旧Twitter)活用のメリット

  • アカデミックな層も多く利用しているため、求人や人脈づくりに意外と有力。

  • ダメ元で試してみたが、求人誌(Scienceなど)に比べてもチャンスがあったと実感。

  • 最初の論文が出たタイミングでアピールし、同分野の研究者との繋がりを広げられた。

将来の展望とアドバイス

  • アカデミア継続希望: アメリカを中心に応募先は多いが、家族が馴染める環境かどうかも重要。

  • 免許は早めに: 海外の生活や研究先で車が必要になるケースがある。

  • 英語の準備: ボスから「話すのが遅い」と指摘されるなど、語学力は現地に来てからも伸ばす必要がある。

  • 研究室選び: シニア大御所ラボはハードルが高い場合も多く、新設の研究室や立ち上げたばかりのプロジェクトを狙うのも良策。

  • Xの使い方: 言語別アカウントを分けたり、研究内容を分かりやすく固定ツイートするなど、戦略的に活用することがおすすめ。

  • 研究者向けの留学フェローシップが他国に比べて比較的充実していると思うので、それを利用するのも良いと思う。

2025年3月24日月曜日

Stanford Medicine ヘルスケアITの修士へ 仕事・家事・育児・アイアンマンのトレーニングをしながら


(スタンフォード大のキャンパスを一望できる丘の上から)

はじめに

先日、Stanford Medicineが提供するヘルスケアITの修士のプログラムに合格しました。医療とビジネス、テクノロジーが融合した1年間の社会人向け修士課程で、忙しい働き盛りの方々が集まる充実した学習環境だと聞いています。ここでは、私が出願を決めた経緯や準備の進め方、家族との関わり合いを中心に振り返ってみたいと思います。

出願を決めたきっかけ

きっかけは「知的労働者としての仕入れ」としての学習を毎年欠かさず行う習慣があったからです。新しい知識や視点を取り入れることで、日々の仕事や生活の質を高められる—そんな思いから、少しまとまった時間をつくっては学びの機会を探すようにしていました。

医療とテクノロジーが融合する世界は今後ますます発展しそうですし、ちょうどベイエリアに住んでいることもあって、スタンフォード大学の先端的な取り組みを直接吸収できるプログラムは自分にとって最適だと感じました。そこで5月頃から具体的に情報収集を始め、11月の締切に向けて動き出したのです。スタンフォード大学以外は受けず、もし落ちる事があったらもう一年後に受ければ良いかなと思っていました。

忙しい日々における効率的な準備

早朝トレーニング中に:問いを立て、運動しながら答えを探す

基本的に毎日は子どもが起きる前の早朝の運動から始まります。11月の締め切りに並行して10月末にあるアイアンマンの大会のゴールに向けてトレーニングをしていました。時間が限られている事もあり、出願の準備期間中は思考の時間としても活用するようになりました。運動前に「CIMプログラムでの学びをどう活かすか」「エッセイの構成をどうまとめるか」など一つの問いをあらかじめ設定しておき、走ったり、自転車に乗ったりしながら頭の中でじっくり考えます。アイデアが浮かんだタイミングで一度立ち止まり、スマホに音声メモを録音。その後、また運動に戻る—というサイクルを繰り返すことで、体を動かしつつ頭の回転も高めることができました。また、10月末のアイアンマンも13時間台と早くはないですが、足の爪が取れるくらいで大きなけがもなく無事完走できて良い思い出になりました。

週末の隙間時間:カフェや屋外でので短時間集中

子どもの週末の習い事に送った後など場所を選ばず、20~30分程度の短時間集中を行うのも効果的でした。エッセイの一部分を書き進めたり、提出書類のチェックをしたりと、大きなタスクを小さく分割して取り組むと意外と進捗が得られます。騒がしすぎないカフェは程よい雑音が集中を促す環境でもあり、数十分でも集中できればその日の目標を達成できることが多かったです。

夜:子どもが寝た後のエッセイカウンセラーとの打ち合わせ

一日の締めくくりには、子どもを寝かしつけてからの時間を活用しました。出願エッセイは内容の推敲が重要だったので、MBA時代にお世話になったエッセイカウンセラーにオンラインで相談しながら推敲を重ねました。昼間に書いたドラフトを共有し、専門的な視点で論旨の流れや言い回しをチェックしてもらうことで、最小限の時間でも効率良くクオリティを引き上げられたと感じています。

家事・育児の負担分担と信頼貯金

家事や育児は妻と共に分担し、仕事と並行して無理のないペースで準備を進めるよう心掛けました。出願中だからといって丸投げするくらいなら修士への受験はやめれば良いし、実際にプログラムが始まってからは回らないだろうと思ったからです。

そこで、普段どおり朝の支度や子どもの送り迎え、家事全般をできるだけこなしつつ、隙間時間を見つけて作業するというスタイルを徹底しました。妻も「無理しすぎないでね」と声をかけてくれましたが、なるべく受験準備のための負担を増やさないように意識した形です。また、無事に合格した今は、授業が始まってからも妻の負担が増えすぎないよう、合格までに貯める予定の信頼貯金を活用したり、外部のシッターさんにお願いしたりしようとしています。私がさらに家事や育児を積極的にこなす期間を作って、これから始まる新生活でも家族みんなが納得できるよう調整するつもりです。あくまで家族全員の幸福を最大化する事を基準にしたいと思っています。

書類提出後の流れ:ビデオ録画インタビューと面接

締切の11月中旬に出願を完了し、ほっと一息ついたのも束の間、数日後にはビデオ録画インタビューの案内が届きました。録画に際しては撮り直しも得に必要なく、翌日には一気に撮影を済ませて提出。そこからさらに二週間後にはオンライン面接がありました。志望動機や仕事上の経験、将来のビジョンなどを問われる時間で、手応えを感じつつも、合否がどうなるかは読めない不安も人なので少し残ります。面接後は再び静かな待機期間に入り1月末まで何も連絡がない状態が続きました。元々1月二週目までに連絡しますと面接中は言われたもののウェブサイトを見たらしれっと一月中に連絡すると変わっていて、待つ期間が増えました。

不安はほとんどなし:まず基準を理解する

出願時、私は大きな不安を感じることはありませんでした。もちろん合否に対する緊張感はありましたが、「どのような人材を求めているか」を把握したうえで、自分の強みをどうアピールするかを考えればいいだけだと割り切ったからです。足りない部分を過剰に取り繕うよりも、これまで培ってきた知識や経験をいかに合理的に伝えるかに注力したほうが効率的だと感じました。

実際、必要書類をリスト化し、エッセイも要件に沿って焦点を絞り込むことで、準備時間そのものは合計20時間に満たないほどでした。隙間時間をうまく活用して短期集中すれば、フルタイムで仕事や家事・育児をしながらでも十分に対応できると実感しています。

合格通知を待つ日々と、その瞬間

それから約2か月ほど過ぎても何の音沙汰もなく、年が明けてからも「まだかな、まだかな」とそわそわする期間が続きました。私自身はRedditの匿名掲示板で他の受験生たちと情報交換しつつ、互いの気持ちをなだめ合い、会社の同僚にはまだ伝える段階ではないと判断して、妻に「何も連絡が来ないよね…」と愚痴をこぼす日々でした。

そして1月31日の夕方、ギリギリのタイミングで「Application Statusに変化がありました」とのメールが届き、急いでログインしてみると“Congratulations”の文字が目に飛び込んできたのです。画面にはクラッカーのようなアニメーションが表示され、思わず両手を挙げて「やった!」と小さく叫んでしまいました。その足で別の部屋に行き、在宅勤務中の妻に「受かったよ!」と報告しました。

その直後、あらかじめ準備してああった「お世話になった人たち」へ順番に合格の報告とお礼のメッセージを送りました。カウンセラーや卒業生、友人など多くの方が協力してくださったので、そのお礼を伝えるのは合格後に最初にやりたかったことの一つです。

プロセスから学んだこと

  1. 過去の経験と蓄積を最大限活かす
    自分に不足しているものを無理に飾り立てるのではなく、これまで積み重ねてきた実績や知識をどれだけ効果的に伝えられるかに注力するほうが合理的だと感じました。

  2. 今までの信頼を使ったや新しい人との出会をを通じた営業的アプローチ
    在校生や卒業生、さらにはプログラム関係者に積極的にコンタクトを取り、こちらの真剣さや魅力を伝えることも大切です。書類だけでは伝わりにくい人間性や意欲を、会話を通じてアピールするのは有効でした。

  3. AI(特に音声対話)を使った思考の深掘り
    自分の考えを客観的に見直すには、AIとの音声対話形式のやりとりも有用です。疑問点を投げかけてみることで、新たな視点を得たり、自分の主張に補足できるアイデアを得たりしました。

  4. 隙間時間の徹底活用
    仕事・育児と両立するには、一度に長時間確保する事は実質不可能です。早朝・昼休み・子どもが寝たあとの夜など、細切れでも集中すればエッセイや書類準備は十分に対応可能でした。また頭のどこかに論点を持って思考を温めておくといった事も有効だったと思います。

2025年3月23日日曜日

海外就職インタビュー0030 PhDから米国へ、その後Meta社で研究職

さて、前回に引き続きPhDからアメリカに残った方のお話です。特にMeta社で研究をするというとても珍しいキャリアの方ですが、そんな方でもPhD中は中々経済面の困難さがあり、銀行口座がマイナスになったというエピソードが印象的です。また、日本人はダメなら帰れる母国があると言っている事もまさしくそうだなと同意します。たまに日本に対して悲観的な意見を見たりしますが、それでも経済大国であることは事実であり、英語がある程度できるのであれば仮に海外に出てうまくいかなくても帰国して仕事を見つける事は難しくないでしょう。また、おそらく経済的な魅力は相対的には下がっていくの今まだ魅力があるうちに出ていく事も良い選択肢だと思います。

背景とこれまでの経歴

  • 幼少期から中学卒業まで、3~4年おきにスコットランド、イタリア、イギリスと日本を行き来しながら過ごす。高校・大学は日本で在学し、東京の大学では都会生活の閉塞感を感じる一方、卒業後は給料が出るPhDコースを検討。
  • その間、半年のギャップイヤーを利用してインドへ渡航。友人から「人を募集しているインドの掲示板」を紹介してもらい、バンガロールのスタートアップを見つけ、生活費込みでオファーを獲得。 “インドのシリコンバレー”と呼ばれる現地のITビジネスを肌で体験する。

アメリカでのPhDと研究生活

  • インド滞在中にアメリカの大学からPhD合格通知を受け、日本に少し寄った後に渡米。
  • 最終的に約6年かけて神経科学の「Brain Computer Interface」分野で博士号(PhD)を取得。
  • RA(研究助手)として働きながら研究を続ける典型的な博士課程の進路を辿ったが、経済的な厳しさが最も大きな課題だった。歯科治療費を支払った際に銀行口座の残高がマイナスになったこともあるが、株トレで生き延びた。研究自体は楽しく、同僚にも恵まれていた。

卒業後のキャリア選択とMetaでの活躍

  • 博士課程修了時、アカデミア(研究職)、起業(スタートアップ)、民間企業研究職という3つの道を模索。
  • 起業家支援のYコンビネーターのインターンに参加し、自身での起業も検討したが、多額の資金と長期的視点が必要な事業領域だったため、その時点での起業は断念。
  • 当時Facebook(現Meta)のBrain Computer Interface部門でインターンを行い、オファーを受けてResearch Scientistとして入社し、部門異動や組織統合を経ながら現在はヒューマンコンピュータインタラクションの組織で研究している。

ビザとグリーンカードの取得

  • PhD取得後はOPT(3年枠)を活用して就職し、早期にH-1Bへ移行。さらに半年ほどでグリーンカードも取得。
  • PhDホルダーとしてビザや永住権の取得は比較的スムーズだったと感じている。

生活面の苦労とプライベート

  • コロナ禍の最中、テキサスからベイエリアへ引っ越し、リモート中心の環境でソーシャル面で苦労。
  • 同時期にオンライン婚活も進め、Zoomデートを通じて現在のパートナーに出会い、結婚。

海外を目指す人へのアドバイス

  • メリット・デメリットを天秤にかけるより、心から面白いと思える領域を突き詰めるほうが納得感がある
  • 日本人の強みとして「ダメなら帰れる母国がある」ことで、気軽に海外へ挑戦してみても良いのでは